新聞記事へのコメント掲載

2019年12月14日(電子版)および15日朝刊(紙面)の日本経済新聞「科学&新技術」に心理学実験の再現性に関する以下の記事が掲載されました.私のコメント箇所を太字にしています.なお,この引用は日本経済新聞「記事を引用する場合の条件は何ですか」を参照の上,その条件を満たすものと判断しています.


「⼼理学実験、再現できず信頼揺らぐ 学界に⾒直す動き」

「つまみ⾷いを我慢できる⼦は将来成功する」「⽬を描いた看板を⽴てると犯罪が減る」――。有名な⼼理学の実験を検証してみると、再現できない事態が相次いでいる。望む結果が出るまで実験を繰り返したり、結果が出た後に仮説を作り替えたりする操作が容認されていた背景があるようだ。信頼を失う恐れがあり、改めようとする動きが出ている。

ノーベル賞のパロディー版として⼈気がある「イグ・ノーベル賞」は9⽉、ドイツの⼼理学者、フリッツ・ストラック博⼠に2019年の⼼理学賞を贈った。授賞理由は「⼈が⼝にペンをくわえると笑顔になり気分も幸せになることを発⾒し、その後そうはならないことを発⾒した」。

ストラック⽒が1988年に発表したこの研究内容は、著名な経済学者が「本⼈が知らない間に判断や考えを操作できる例」として引⽤するなど⾼く評価された。ところが別の研究グループが⼤規模な実験で検証したところ同じ結果は出ず、ストラック⽒も17年に「効果は思っていた以上に⼩さかった」と認めた。

九州⼤学の⼭⽥祐樹准教授は「有名な⼼理学の実験で最近、再現できない事例の報告が相次いでいる」と話す。

最も典型的な例とされるのは⽶スタンフォード⼤学で60〜70年代にまとめられた「マシュマロ実験」だ。研究者は幼い⼦どもの前にマシュマロを置いてしばらく席を離れる。その間にマシュマロのつまみ⾷いを我慢できた⼦は「その後、⾼い学⼒などを⾝につけ社会的に成功する」という内容だ。

この研究は「⼦どもを我慢強く育てれば成功する」というメッセージを教育界に与え影響⼒は⼤きかった。しかし18年に他のチームが再現した実験では、つまみ⾷いを我慢する影響は限定的だった。今では「教育や家庭の環境の⽅がより重要で、我慢強ければ成功するとは限らない」という考え⽅が⼀般的だ。

また「⽬で監視する図柄を⾒た⼈は誠実に振る舞う」という実験結果が06年に公表され、不法侵⼊や窃盗などを防ぎたい場所に⼈の⽬を模した看板やポスターが設置され
た。この結果も11年の実験で再現に失敗した。

スタンフォード⼤で71年に実施された「監獄実験」では、組織や役割が⼈格に⼤きな影響を及ぼすという結果を導き出した。実験の協⼒者を看守役と囚⼈役に分け、⼤学内に作った模擬的な監獄にとじ込めて変化を追跡した。実験を計画した⼼理学者が、看守役に囚⼈役を虐待するよう促していたなど不適切な介⼊があり、やはり再現できない代表的な事例にあげられる。

⽶科学誌「サイエンス」は15年、⼼理学研究への信頼が揺らいでいる事態を重く⾒て、主要な学術誌に掲載された⼼理学と社会科学の100本の論⽂が再現できるかどうかを検証した。結果は衝撃的で、同じ結果が得られたのはわずか4割弱にとどまった。⽇本の代表的な⼼理学会誌「⼼理学評論」も16年、再現できない実験に関する問題を特集号として取り上げた。

⼼理学で再現できない研究がなぜ⽬⽴つのか。⼤阪⼤学の三浦⿇⼦教授は「捏造(ねつぞう)ではないものの、結果を都合よく利⽤する研究が⼀部で許容されてきた」と解説する。100年以上の歴史はあるが、確⽴した⼿法がなかった。実験を何回繰り返すかを事前に決めず望む結果が出た時点で打ち切ったり、結果の⼀部だけを論⽂に載せたりする慣習があった。実験結果に合うよう仮説を作り替えることもあったようだ。

再現できなくても「元の実験が真実ではなかった」とすぐに断定できない点がやっかいだ。三浦教授は「妥当な⽅法で実験していても再現性が低くなる可能性はある。不適切な研究と区別しなければいけない」と指摘する。

⼭⽥准教授は「⼼理学は科学でないと受け⽌められるところまで来ている」と警鐘を鳴らし、研究のやり⽅の刷新を訴える。

著名な研究だとそのまま受け⼊れるのではなく再現実験などで常に検証することや、研究計画を学会誌に事前に登録して不正を防ぐ取り組みなどが必要だと提案している。欧⽶や⽇本の⼀部の学会誌が査読付きの事前登録制度を導⼊するなど、改⾰の動きは出ているという。

ただ、時間と労⼒を費やして再現実験をしても⾼い評価は得にくい。事前登録制度は査読をする研究者の負担が⼤きいなど、改⾰を進めるうえでの課題も多い。「これまでのやり⽅で⼤きな問題はないと考える研究者が結構いる」(⼭⽥准教授)。意識の刷新が最も必要なようだ。

(科学技術部 草塩拓郎)


九州大学の山田祐樹さんと私のコメントが掲載されています.執筆した記者の方からは,2名ともに比較的長時間の取材を受け,かなり突っ込んだ意見交換をしました.どの事例を挙げるかも難しいような,大きく,入り組んでいる問題を,論文より圧倒的に制約が大きい新聞記事という紙幅の中で,うまくまとめて下さっているし,研究者の意識を変えることが必要,という「煽り」で結んでいただけたのもよかったと思います.

個人的には,コペルニクス的な転回ではなく蠕動的に,しかし確実に,心理学を研究する者たちの意識は変わりつつあることを感じています.ただ,意識を行動に結びつけるのは案外難しいので,研究プロセスの様々なフェーズにおけるより積極的な大小の「改革」が必要ではないかと考えています.

なお,誤解されると困りますが,私は「だから心理学なんてもう(いや,そもそも?)ダメ」とはまったく思っていません.思っていないからこそ,こうした問題に正面から取り組むことが大切だと考えています.確かに,研究過程にはいくつも大罪を犯しかねない場面が存在します.それはまるで人生そのものです.その意味で,これは心理学だけの問題ではなく,科学が人間によって創り出されたものである以上,あらゆる科学に携わる者が常に意識すべきことであり,そして,人間の原罪に関わる問題です.

以下に,私がこれまでに関わってきた,心理学の再現性問題に関する論文や記事へのリンクを掲載します.どの資料も,どなたでも無料でご覧いただけます.この問題についてより詳しく知っていただくことができると思います.