巻頭言

 ─ 特集号の刊行に寄せて ─

友永雅己1)・三浦麻子2)・針生悦子3)

  1. 京都大学霊長類研究所
  2. 関西学院大学文学部
  3. 東京大学大学院教育学研究科
【論文PDF】

2015年,Science誌に衝撃的な論文が掲載された(Open Science Collaboration, 2015)。その内容は,過去の心理学の研究論文について追試を行ったところ結果が統計的に再現されたものは追試実験全体のうちの40%に満たない,というものであった。また,2015年の年頭に出たBasic and Applied Social Psychology誌はそのエディトリアル記事で,今後一切統計的検定(null hypothesis significance testing procedure)に関する記載を行わないと「高らかに」宣言して,心理学のみならず幅広い研究者コミュニティの耳目を集めた(Trafimow, & Marks, 2015)。さらに2016年に入って,アメリカ統計学会(ASA)がわざわざp値に関する見解を公表した(Wasserstein, & Lazar, 2016)。最近では,オキシトシンの経鼻投与の研究が実は「空っぽの世界(Null Field)」,つまり,枯れ尾花のような「偽陽性」の蓄積に過ぎないという主張が学界を賑わせている(e.g. Leng, & Ludwig, 2016; Walum, Waldman, & Young, 2016)。

また,一昨年(2014年)にはSTAP細胞問題が世界的な話題となったが(須田, 2014),このようなあからさまな研究不正は心理学界においても散見されてきており,比較認知科学のM. Hauserや社会心理学のD. Stapelの事例(cf: Stroebe, Postmes, & Spears, 2012)などは,その領域の研究者にとってはいまだに生々しい記憶だろう。もちろん,データのねつ造などは論外であり,自分は絶対そのようなことはしない,と多くの研究者は考えている。しかし,近年の社会心理学領域におけるBemの「超能力」論文の出版(Bem, 2011)や,J. BarghとD. Kahnemanの社会的プライミング研究に関する論争(cf: Young, 2012)は,問題のある研究実践(QRPs)がごく身近なところにあることを我々に再認識させた。こうした中で,p-hacking,HARKing,Null Fieldなど刺激的な用語の意味を最近になって知り,自らの日常的な研究の営みと照らし合わせて背筋が寒くなる思いがした読者も少なからずいるのではないだろうか。

これらの問題に対する関心は今に始まったことではないが,ここ数年,研究者の側もこれらに対して自覚的になってきたというのも事実だ。今や心理学は危機的な状況にある,のかもしれない。このことを踏まえ,我々は,再現可能性,統計の問題,QRPsという相互に密接に関連しあうこれらの問題に対する現状の認識と展望について忌憚のない議論を進めるべく本特集号を企画した。

人選にあたっては次のように考えた。この再現可能性を巡る問題の端緒は社会心理学の領域であるといっても過言ではなく,またその過程に密接に関わるのが心理統計である。そこで本特集では,社会心理学における再現可能性問題や心理統計における最前線の議論について複数の寄稿をいただいた。また,本特集号の編集者のうち,1名は社会心理学者であるが,残り2名のうち1名は発達心理学,もう1名は比較認知科学が専門だ。これらの領域では,この問題は「対岸の火事」的なスタンスでとらえられていたのではないだろうか。そこで,社会心理学だけではなく,心理学の他の領域の研究者にも,この問題がそれぞれの領域でどのようにとらえられているのかについて執筆していただくことによって,敢えて考えてもらうことにした。認知心理学,発達心理学,認知神経科学,動物心理学,パーソナリティ心理学,あるいはそれらの総論的な位置づけのものもある。これらの寄稿と社会心理学からの提言を比較・考察してみるのも興味深い。

さらに,本特集号では,個々の論文に対するコメントという従来の心理学評論の体裁を離れ,本特集全体(あるいは部分)に対する別の領域の研究者からのコメントをいただいた。メインの論文から抜け落ちた重要な議論のいくつかがここに展開されている。生物統計学,科学技術社会論,科学コミュニケーション,行動生態学,観察研究,臨床医学,などなど。それぞれの視点からの考察にもぜひ耳を傾けたい。

くわえて,編集者らの見解もここで簡単に述べるなら,我々も,研究者個人が自覚的に考えよというのは当然のこととして,状況を変える努力もできると考えている。例えば,研究の着手にあたっては必ず各機関の倫理委員会の審査を受けねばならない,という状況に置かれれば,その過程で倫理問題への感受性は否が応でも高まるだろう。また,寄稿中にも言及されている,実験プロトコルやマテリアルあるいはデータの公開は,確かに一時的には負荷の高いものかもしれない。しかし,自らの研究の緻密な記録を残すのは研究者として当然の行為であり,それを他者と共有する「だけ」である。そしてそれは,追試やメタ分析のみならず,建設的な発展的研究にも必ず寄与する。論文出版に際してこれらが義務づけられる状況が用意されれば,コミュニティのメンバーはそれに対して規範的に振る舞うのが当たり前になり,結果的に状況が改善されるかもしれない。自由な研究活動をがんじがらめに縛ることは誰も望まないだろうが,我々が自然に正しく振る舞えるよう,制度面での改革もある程度は必要であるかもしれない。本特集号が,そのような制度改革も含めた積極的なアクションを起こすきっかけとなることを願っている。

特集号のタイトルは,ゴーギャンの絵画から来ている。人間が生まれてから老いるまでのタイムラインを3つの人物群像で描いたこの絵画には,彼が反発しつつも生涯にわたって自らに問い続けたキリスト教の教理問答の名がつけられた。我々が,この特集号で研究者としての自らに問い,また読者に問いかけるのも,これと同じ問答と言えるかもしれない。ただ,ゴーギャンは本作を描き上げた後に自殺を図った(未遂)が,我々は死なない。心理学は,理論なき無の荒野どころか,刺激に満ちた豊かな大地だと信じているからだ。

なお本特集号は,心理学評論刊行会の特別のご配慮により,電子版をオープンアクセスとさせていただいた。『心理学評論』始まって以来の試みだ。今回取り上げたトピックが,心理学界全体にとってそれだけ重要な問題であるという証左だろう。多くの人々に読んでいただきたい。奇しくも,今年は日本で44年ぶりに国際心理学会議が開催される。そのような年に,本特集号を世に問う意味は少なくないのかもしれない。本特集号における議論を通して,この領域でこれからも生きていく人々が,現在の立ち位置を再確認し,そこからさらに前進していくことを強く期待する。

心理学の明日はどっちだ。

謝辞

本特集号の編集にあたり,科学研究費補助金の援助を受けた(15H0570915K13122)。

引用文献

Bem, D. J. (2011). Feeling the future: Experimental evidence for anomalous retroactive influences on cognition and affect. Journal of Personality and Social Psychology, 100, 407-425.

Leng, G., & Ludwig, M. (2016). Intranasal oxytocin: Myths and delusions. Biological Pychiatry, 79, 243-250.

Open Science Collaboration. (2015). Estimating the reproducibility of psychological science. Science, 349, aac4716.

Stroebe, W., Postmes, T., & Spears, R. (2012). Scientific misconduct and the myth of self-correction in science. Perspectives on Psychological Science, 7, 670-688.

須田桃子 (2014). 捏造の科学者 STAP細胞事件. 文藝春秋社

Trafimow, D., & Marks, M. (2015). Editorial. Basic and Applied Social Psychology, 37, 1-2.

Walum, H., Waldman, I. D., & Young, L. J. (2016). Statistical and methodological considerations for the interpretation of intranasal oxytocin studies. Biological Psychiatry, 79, 251-257.

Wasserstein, R. L., & Lazar, N. A. (2016). The ASA’s statement on p-values: Context, process, and purpose. The American Statistician, 70, 129-133.

Young, E. (2012). Nobel laureate challenges psychologists to clean up their act. Nature News, Oct, 3, 20