先だって出版情報を紹介したこの本が発売開始され,Amazonにも書影が掲載されたので再度リンクと共に.サポートサイトはこちら.「本書に登場するホームページのリンク集」でリンクがアクティブなものとそうでないものは,何で識別されているのだろう.もし許諾制なんだったら私は許諾です.心理学者の名前はちらほら見えるが,社会心理学者の名前はあまり多くない.関係者を除くと渡邊さんくらい? なんだか寂しいが,現状は確かにそんなものかも.
思い直してやや詳しくする.詳しくするのにも手間がかかる.嗚呼,大変だった.でもほぼ完成.
というわけで各種資料や会場の準備.今年の参加は41名だ.
本日朝日夕刊科学面に「ブログ考現学」絡みの研究が紹介されました.このサイトのスクリーンショット「風」のイメージ付きです.朝日新聞をご購読で,なおかつ夕刊配達区域のみなさまは,まちかねM君,にのじさん,私の豪華トリオと「暴走族」佐藤郁哉先生のコメントをお楽しみくださいませ.
社会心理学領域2年次生ゼミ配属記念の2日がかりのゲーム実践初日.今年も40名弱の学生が参加した.去年とまた動きが違って面白いが,今年は「最貧」の赤グループが早々と他グループに移民して,生計代理店を獲得するという活発な動きに出たため,ニートならぬ高等遊民状態に.さすが模擬社会ゲームだけある.
今年度の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作.先だって書店の店頭でパラパラめくって「うーん,面白そうだけどなあ」と逡巡していたのだが,nmさんがブログで言及しておられたのでやはり購入.硫黄島での米軍との死闘や,その指揮官が栗林中将という人であることは知識として知っていたが,本人の人間的な面に触れたことはなかった.死地からもなお残した家族や家のすきま風を気にかけ,その具体的な対処法まで書き送る繊細さを知ると,本当にあの戦争とは何だったのだろうかとまた思う.そしてそうして悲しく散った人たちのことを悼むことはできても「今ならあり得ない」としか思えない今の私も,一体何なんだろうかと.
泣けるので公衆の面前で読む場合は注意.
濃い会議を9時から2時間半やった後だったので,なんだかくらくらした.暑い廊下にいたせいもあるのだろう.
学生はかなり機嫌良くゲームをやっていたので,よかった.それにまるで高度経済成長〜現代の日本を見るような展開になったのが面白かった.当初のセッションでは飲まず食わずでゲームに没頭していた学生たちが,セッションを重ねて国政指標がそこそこ向上し,手元に現金が貯まり始めると,集団で他グループに旅行に出かけたり,ベンチャービジネスという名のギャンブルに憂き身をやつすようになる.労働争議や暴動など起こるわけもない.佳き哉平和,ほんとに佳いの?
また楽しい雑談が多かった(笑 でも多分そこそこ進んだと思う.まだ「よっしゃこれじゃあ!」という切り口を見つけるための試行錯誤の段階だけど… とりあえず言えることは,買いたいと思ったらそれを運命だと思って買え,ということである.
日々のストレスを少しでも軽減すべく,言いたいことをべらべらと言い合い,開催中だけでも心穏やかに楽しく過ごすことを目的とする会.第5回.
今日は「どこか外に出る」ご意向があり,しかし当然「どこがいいか考える暇はない」と言い切られたので,豊中ロマチカのフレンチ「ラ・メゾンブランシュ」へ.ウェブ情報で想像していたより遙かにカジュアルなフレンチだったのでほっとした.言いたいことをべらべらと言い合うのが憚られるような高級な雰囲気だと困ってしまったからだ.でも,店を決めないで出かけると,
はや 魚太郎
とかに連行されてしまうので,気が抜けないのだこの会は.
サービスのスタッフは,べらべら話す連中は適度にほっておき,そうでなければあれこれ話しかける,というのがフロアの人間に対する教育のようであった.
話の内容は,某プロジェクトについてなど.
朝9時から夜19時まで地獄打ち合わせ.まあ,じっと黙って座っていなければならない類の会議じゃないからまだましか…
10時間会議を終えて車で帰宅途中,神戸港付近で花火大会に遭遇.ちょうどフィナーレ直前だったらしく,かなり大きいのの連発を車窓から楽しむことができた.ホテルオークラのそばでやや渋滞気味になったときが,まさにフィナーレのタイミング.特等席で鑑賞できた(ただし横目)といえよう.あまりに楽しみすぎて事故ることがなくて幸いだった.
今日は淀川の花火大会もあったはず.夏だねえ.
つくばから夫実家に帰省してきたしばと茨木ランチ.茨木・高槻というところは居住者層の割には小マシな店がない地域なのだが,今日の店は珍しく各ウェブサイトが絶賛モードなので,ものはためしと行ってみた.金曜日に行った「ラ・メゾンブランシュ」や甲風園の「ラディーチェ」と同じ一日会大阪という関西の仏伊料理店の勉強会に入っているようだ.オーナーシェフはフランスでジョエル・ロブションの下で修行した後にラベにいた人だそうで,その辺の経歴からも人気を集めているようなのだが,まあそんなことを抜きにしても,なかなかよいお味の,皿の雰囲気もランチでもあまり手を抜かずにちゃんとしてある店だった.ちょっと店内が狭苦しいレイアウトなのが気になるが,それもまたよく言えば「隠れ家的」なのかもしれない.メイン1皿のハーフコースで2350円.味付けはやや「甘め」寄りか.「ラ・メゾンブランシュ」よりはやや居住まいを正す系の店だが,夜は3500円かららしい.やっすーい.まあ,茨木だしね.
旅行のスーツケースを今日出すので,荷造り.出発は10日午後とまだ先なので,いまいちピンと来ない.というか,最近は飛行機に乗ってからようやくピンと来るくらいの感じなのだが.
高校野球が始まった.行進と「嗚呼栄冠は君に輝く」が大好きな私は,開会式を見ただけ大満足だ.
今も昔も応援団ブラバンの定番は「ねらい打ち」と「サウスポー」のようだ.しかし,前者はともかくとして,後者を攻撃側の応援団が演奏するのはおかしくないか?
昨日旅行の荷造りをしたのだが,ほとんど夏モードの服しか入れなかった.しかし今,今調べてみたら行く場所みんな最高気温が25度ないし,ザルツブルグなんか13度とかの時もあるらしい(ガクブル).ジャケット足して持っていかないと,風邪引くよ… 我ながら「昨日荷造りする前に調べろよ」という感じだ.
NHKによる中継の解説者に坂本佳一さんが登場.これまでにも出演されていたのかもしれないが,全然知らなかったので驚いた.バンビ成長して立派な鹿となり,普通のおじさんになっておられた.NPO法人などで今も野球と関わる活動をされているようだ.
昨日放送されたNHKスペシャル.先だって「散るぞ悲しき」を読んだ流れで見た.
半分くらいはほぼ既読の流れだったが,後半は栗林中将(すなわち前掲書の主人公)亡き後のゲリラ戦に関する兵士たちの証言だったので新たな興味をひかれた.特に投降を呼びかけた米兵の証言「日本兵に「出てこい,身の安全は保証するし,日本に帰れるのだ」と呼びかけても誰一人出てこようとしないのはなぜなのか.信じられない」や,生き残った日本兵の証言「投降しようとした仲間を後ろから撃った」などを聞くと,「生きて虜囚の辱めを受けず」と,生き恥をさらすことを最大の屈辱としていた(そのように教育されていた)日本人の精神性を痛感した.今の証言者は,そうして後ろから撃っておいて自分は結果的に生き残っ(てしまっ)たのだから,戦後もずっと口をつぐんでいたというのもむべなるかな,か.
寝室でじぃっと見ていたので,ご夫君に「あんた,ほんま戦争好きやなあ」と呆れたように言われた.いや,戦争が好きなわけではない.軍人にせよ旧皇族にせよ華族にせよ,ほんの六十数年前は日本を代表するセレブリティとして崇められていたのに,戦後ほとんど抹殺されたような存在たちが,一体どういう人たちで,一体どういう生き方をしていたのかを,単純に知りたいだけなのだ.確かに彼らは(現在の)日本では歴史上の汚点なのかもしれない.しかし,決して単にそれだけではないはずなのである.
終日,狂犬プロジェクトの地獄作業.あ,いや,午前7時から9時までの間は,かろうじて某プロジェクトの最終詰めと,チュートリアル演習原稿の修正に手をつけることができた.
狂犬プロジェクトは,帰国翌日,すなわち伊丹空港に戻ってきた当日午後にも大学に出なければならないことになった.学部長曰く「asarinさんはいないとだめ」らしい.マジかよ….なんだか悲しくなったので,
「学部長よぉ,弁当買ってこいや〜」
とこき使ってみた.そういうことするから「いないとだめ」になるのかもしれない.
18日までオーストリア・チェコに出かけます.
夕方UKBから羽田に移動し,さらに成田にバス移動してエールフランスの夜便でパリ経由ミュンヘンへ.そこからはレンタカーでオーストリアとチェコを巡ります.
いつも通り現地から適宜ブログを更新する予定ですが,最近自宅サーバの運用が,主にサーバによるものではなく通信回線によるものと推測される原因により不調なので,ひょっとすると倒れてしまうかもしれません.そうなったらごめんなさい.当然メイルも受信不能になるので,そうなったらgmailか大学のアカウントに連絡よろしく.
→と思ったのだが,UKB便が(那覇便が回されているらしく)ディレイすることが出発直前に分かったので,急遽伊丹便を買い直し,しかも空港までタクシーで駆けつけてギリギリ間に合うという惨事に(笑 まあそのおかげで羽田からは余裕でした.
普段JAL使いな私はおそらく初利用.微妙に2タミと雰囲気が違う.エールフランスのラウンジは搭乗口の真上にあって,結構広めだが,私たちと同じ便(というかもうこの時間このターミナル北ウイングから出発する便などこれくらいだ)に乗る人々でかなり混雑していた.
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I have just arrived at CDR and wait for a connection flight to Munich. Here in Europe, it is so cool!! It is not summer ;p
先ほどのエントリーはラウンジ内のおフランス仕様Macからだったのだが、キー配列が全然違うので打ちにくいことこの上なかった。ご夫君が大枚10Euroを投資してネット接続したので、そちらに切り替えた。CDR到着は予定より30分も早く午前4時前。ミュンヘン行きのフライトは7時なので、それまでは到着ラウンジでまったりと休憩することができる。ここのラウンジはシャワーもあるので(私は浴びないけど)便利です。
なんでもロンドンその他イギリスの機内持ち込み手荷物が著しく制限されたようで。JALのウェブサイトで見る限りでは身に付けられる最低限のもの以外は何も持って入るなという命令の印象。このラウンジに入るためにセキュリティチェックを受けたのだが、その時にもロンドンとマンチェスターにつなぐ人たちは列の外に隔離されていた。最初はてっきり乗り継ぎ時間があまりないので先に通すのかと思ったら放置状態。どうやら後で厳格に調べられちゃうらしい。その他の国は今のところ特に問題なさそう。
摂氏15度だそうです。まあ、未明ですけど…
ターミナル2Fから2Dに移動して次はミュンヘンに移動.所要時間はたったの1時間半だから当然機材もおんぼろ737である.一応こちらもアッパークラスのチケットを取っていたので,一体どんな席だろうかと思って乗り込んだら(ただし,もとより期待はしていないが),3列並びのシートの真ん中を塞いだだけのシロモノで,当然前後も含めてシートピッチは普通席とほとんど似たようなものだった(多分).分かっていてもちょっとがっかり.朝食サービスはあった.
ミュンヘンで車を借りてザルツブルグへ.オートマを予約していったのにやっぱり「チェコに行ける車でオートマはない」と言われてルノーのメガーヌ・シーニックというマニュアル車を押しつけられた.というわけで今回も運転はご夫君オンリー.せっかく国際免許を更新したのに…
ザルツブルグまでは高速で180キロほど.途中でルードヴィヒ2世の城があるというキームゼーという湖で遊覧船に乗ってヘレンキームゼー城を眺めに行ったりしながら,15時前に到着.
このキームゼー,ミシュランの道路地図を眺めていたら「眺望あり」マークがついていたので,高速のそばだし行ってみるか,と出かけた(正確に言えばYからもらった「地球の歩き方ドイツ版2000」に1ページだけ記述もあった)だけなのだが,実はかなり地元では有名なところだったようだ.湖自体はドイツ一広いそうだし,小島にあるヘレンキームゼー城はルードヴィヒ2世が作った3つの城の1つ(残り2つはノイシュヴァンシュタイン城とリンダーホーフ城)だし,彼が亡くなった(自殺?他殺?)のもこの湖.というわけ.城はヴェルサイユ宮殿を模しているそうだ.私たちの旅行はモーツァルトの足跡を辿るものだったのと同時に,狂王ルードヴィヒ2世の足跡をも辿っていたのである.どちらもまったく偶然に.
レジデンツ…中がザルツブルグ音楽祭の野外コンサートの会場になっている都合か何かで,普段公開されているはずのところがクローズされていた.入場料を払って入るところはギャラリーだった.なぜこの私が選んで美術展などに.むむむ.
ザンクトペーター教会…切り立った崖の中にカタコンベを持つ教会.カタコンベのそばにも立派な墓が建ち並んでいて実にはかばかしく好ましい.
ホーエンザルツブルク城塞…上記教会のそばから切り立った崖をケーブルカーで20秒ほど上がったところにある.ザルツブルグを一望できる眺めが素晴らしい.
新市街と旧市街は川を挟んで向かい合っているが,2つを結ぶ通りは観光客でごった返している.宿泊しているホテル(Raddison SAS Hotel Altstat)は川沿いで,幹線道路に面しており,また遅くまで騒ぐ観光客で結構うるさい.内側の部屋の方がいいんだろうな.
結局ホテル裏口前すなわち私たちの部屋の直下では,午前4時頃まで多くの人が騒いでいた.途中で我慢できなくなり遂に耳栓着用.川沿いで特に店があるようなところでもないのに,一体何だったんだろうか.そして朝から雨.
→朝になって見てみると、ホテルの直下は「Altstadt Keller」というどうやらビアホールらしき店だった。金曜の夜ということで、ここで大騒ぎしていたのだろうか。しかしこんなにうるさい夜はいつぞやのフィレンツェ共和国広場前のホテルサボイに泊まって以来のことだった。
10時過ぎにホテルをチェックアウトして(車と主要な荷物はすべて預けたままで)祝祭大劇場へ。冷たい雨がそぼ降る中でも観光客はたくさんいて、モーツアルトの生家など既に入り口に列ができていた。頑張るねえ。私はそんな気力も趣味もないので一直線に歩いて5分ほどで大劇場に到着。さすがに正装とはいかないまでもスーツにネクタイだったり女性もそこそこきれいな服の人たちでわさわさしていた。日本人の姿もちらほら以上に見えて、中には着物をお召しの方もあった。また,ハイジみたいなチロルの服を着ている女性も.これも礼装に入るらしい.ちなみに私たちの服装は,ご夫君がダークスーツ,私が黒白のノースリーブワンピースに白いボレロ+ヒールというごく普通のものだったが,特に浮くような感じはなかった.
祝祭大劇場は外側も中身もごく簡素な雰囲気で、ニューイヤーコンサートの会場なんかを想像するとギャップは大きい。座席は前から9列目の向かって右サイド。周りはいかにもいつも来てますみんなかおなじみですって感じの人たちが多かった。ちなみに料金はEUR150で、音楽祭ウェブサイトから直接予約したが、ニューイヤーとは違って、早めに動いてさえいれ入手困難プラチナチケットということもなさそうだ。今日のプログラムは記念年らしくモーツアルト主体で、
Wolfgang Amadeus Mozart Concerto for two Pianos and Orchestra in E flat major K. 365(316a)
Fabio Vacchi (*1949) Giusta Armonia commissioned by the Salzburg Festival World Premiere
Wolfgang Amadeus Mozart Symphony in C major K. 551 "Jupiter"
の3曲。最初の2台のピアノのための協奏曲を弾いた2人のピアニストは、一人がパレスチナ人、もう一人はイスラエル人。意味ありげな取り合わせだ。息の合ったセッションを見せた後はがっちり握手&肩を抱き、マエストロ・ムーティを交えて互いの演奏を称えあっていた。2曲目はナレーションが入る(ドイツ語;英語字幕)珍しい構成の現代曲で、これもメッセージとしては「人類は貧富や民族や宗教の差を越えて一緒にならねばならない」ということを伝えるものだったようだ。
メッセージ性の強い2曲の後は休憩を挟んで定番のジュピター。普通に名演。音響がどうとか聴衆がこうとか、何も言わずともよい心地よい音楽空間だった。こんなところにしょっちゅう身をおける人はうらやましい限りだ。
ムーティ御大も、キュッヒル蛸親父も、トバイアス・リーも、そしてK(青)さんもお元気そうでした。
コンサートがアンコールもなくあっさりはねた後は再びホテルに戻り、荷物と車をピックアップして慌ただしくザルツブルグを後にした。結局新市街はまったく見られなかったが、まあ、次の機会ということにしよう。
プラハまでは、途中リンツまで高速で、その後は一般道をひたすら北上するというルートだが、チェコ国境(パスポートチェックも何もなし)を超えると途端に雰囲気が変わる。似たような田園風景なのだが、やはりこれが旧・共産圏というものなのだろうか、少しずつ荒んだ感じが否めない。特に国境付近はざらついた感じで、しょっちゅうヒッチハイクをするような雰囲気の人がいて、気がつくとミニスカートをはいた化粧の濃い女性ばかり。どうやらただのヒッチハイクではないらしかった。
総距離400キロ弱を休憩3回、5時間ほどかかって走破。お疲れ様でした。これから2泊はフォーシーズンズプラハ。今日の夕食はルームサービスであっさり済ませた。
昨日は到着しただけだったので実質的な初日。車でプラハに入ったところの町並みや、ホテルから見えるライトアップされたお城がとても美しかったので期待大だ。ただ、天気はあまりよくなさそう。昨日は雨の中をずっと走って最後はあがっていたのだが、どうやら私たちが雨雲を連れて北上した模様である。
ホテルは至極快適。昨日のホテルも悪くなかったはずだが、広さも調度もランクが違う感じだ。さすがフォーシーズンズ。ただ、スタッフの話す英語がフロントからベルからルームサービスの担当者までめっちゃ早口なので聴くのが大変だ(笑 iPodをつなげるスピーカがあったので、早速持ってきたクーベリックが1990年に振った「わが祖国」をかけてわかりやすく雰囲気を作ってみた。
考えてみれば今回の旅行、ザルツブルグ−プラハ−ウィーンと見事にモーツアルトの足跡をたどっちゃっていて、生誕250年に合わせたかのようなミーハー企画に見えないこともない。ということに昨日コンサートを聴きながら初めて気がついた。恥ずかしい〜。実際のところはそんなことは何も考えてませんでした。
ドイツ・オーストリアを走っていると、車の後ろにキャンプ用サイトをつないで引きずって走る車がとても多い。基本的にスピードを出して走っている車がほとんどだが、その分バスやトラックなどとのスピードの差が際立っているため、テンポの切替が難しい。ただ、交通マナーはいい感じ。走っている車種はドイツ車中心ながらも、プジョーやルノーもたくさんいて、もちろんトヨタやマツダ、ダイハツの車まで。
それがチェコに入るとやや様相が変わる。今度は屋根の上にMTBを積んだ車がとっても多い。家族全員分だろうか、普通の車でも4台くらい積んでいるのがたくさんあった。車種はややドイツ車が少なくなり(治安がよくないという理由で、レンタカー会社はドイツ車でのチェコ入国を禁じていた)、代わりにSkodaという地元車が増える。そして運転マナーは…悪くはないが、怖い。ものすごいスピードで飛ばしまくるやつがいて、神経が磨り減った。
ホテルから歩いて出発。まずゲットーつまりユダヤ人街へ。チェコはそもそも第二次大戦の頃まではドイツ人とユダヤ人が非常に多く住んでいたところだったそうだ。1200年代からあるというシナゴーグやユダヤ人墓地などを見学。墓地はそれほど広さがないのに何百年も埋葬が続けられてきたために、折り重なるように、いや実際折り重なって墓石が並ぶ。なかなか壮観だ。シナゴーグの中は残念ながらみな撮影禁止だったが、展示物はほぼすべて「ユダヤ人はこんなに偉い」ということを強調するものだった。自らの国を持たない彼らの誇りの源泉が良くわかる。カフカやフロイトなど、なじみのある名前も多かった。シナゴーグ内では、男性はふち無し帽子を頭にちょこんと乗せるよう指示される。
その後ちょっとだけ地下鉄に乗って旧市庁舎や市民会館などがある町の中心地へ。市民会館は「プラハの春」音楽祭が開催されるところで、隣には対ロシア戦争時に火薬庫として使われたという塔がある。塔に登るとプラハの町並みを眺め渡すことができた。旧市庁舎には中世のからくり時計(ただし現在は電動だそうだ)があって、毎時0分にからくりが動くことになっているらしい。ちょうど15分ほど前に行き合わせたので、そばのカフェで休憩しながら見学。同じように、あるいは道に立ってからくりが動くのを待つ観光客多数。いよいよ動いたからくりは40秒ほどであっさり引っ込んでしまい、何ともいえない落胆が周囲を包んだのであった。そう、つまりは「これで終わり?」的にあっけなかったんである。
その後は、カレル橋を渡ってプラハ城方面へ。ユダヤ人街から既にそうだったがとにかく観光客が多い。橋は歩行者天国だが、押すな押すなくらいの勢いである。観光客はもちろん欧州の人も多いが、アジア系もかなりいる。ただし、日本人は驚くほど少なく、中国人と韓国人が驚くほど多い。なんでもプラハにはKALが直行便を飛ばしているそうだ。天気を心配していたが、この頃から晴れてきてかえって暑いくらいになる。
いろんな聖人の銅像が並ぶ橋を渡りきったら、今度はだらだらと続く石畳の坂道をのぼりながら城へ。途中CDショップに行ってドボジャーク等々のCDを購入。CDはケースだけ並べてあって、レジでディスクを入れてもらう仕組み。間違えられてもわからない。レジのお姉さん、ネドヴェドに似た、ちょっとエラの張った美人さんだった。
城の中には大聖堂があって、ミュシャ(チェコ風に発音するとムハ)作などのステンドグラスが必見とのことだったが、異様に行列しているのであっさり中に入るのをあきらめて、広場から外見を眺めるのみにする。「さすがは中欧のパリ」とはご夫君の言だ(ところで中欧のパリとか東欧のパリとかいうのはいったいどこを指すのか、どうやらまちまちらしい。プラハかブタペストかブカレストか。まあ小京都みたいなもんだろう)。大聖堂はゴシック様式の壮麗な建築で、近くまで来てしまうととてもカメラのフレームには収まりきらないスケールだ。雨どいが人型をしていて気持ち悪い。その後はお土産屋さんが軒を連ねる黄金小路(なんとここに入るのに入場料を取られる!)に行き、カフェ・カフカで軽くランチした後にいろいろお土産を見繕いながら歩いて、まただらだらと坂を下り、モルダウを渡ってホテルに帰着。
ホテルで休息を取った後、夕食は旧市街広場に面したチェコ料理の店へ。日本語メニューまである観光客向けの店だが、ビーフシチューなど郷土料理はなかなか美味だった。また、ビールもおいしくとても安い。プラハの人は昼からビール、が結構普通らしかった。
昨日チェコ−オーストリア国境付近でたくさんお商売らしき女性がいたと書いたが、調べてみてわかった。チェコは売春が合法なんである。
今日もまずまずのお天気。ウィーンに移動。
まずまずのお天気の中,プラハを10時に出発.ウィーンまでは約300キロだ.半分くらいは高速で東に行き,その後は地道でどんどんと南下すればよい.国境付近はやっぱり怪しげな雰囲気だったが,お商売のお姉さんはおらず,代わりにカジノや怪しげなアジアンマーケットなどがあった.今度は一応ポリスがパスポートを改める手続きがあった.
ウィーンに入ったらまず少し中心部から離れた中央墓地へ.ここはベートーヴェン,シューベルト,ブラームス,ヨハン・シュトラウス父子,スッペなど音楽家の墓と,モーツアルトのモニュメント(彼自身の墓は別のところに,しかも共同墓地に雑多に埋葬されているので正確にどこにあるかは分からないそうだ)などがある.しかしそこに近い入口ではないところから入ってしまったために,広大な墓地内部でかなり迷う.中央墓地のトラム駅はゲート1の目の前にあるのだが,楽聖特別区32Aが近い大きな門はゲート2なんである.もちろん墓地には違いなく,歩いていても実にはかばかしいので楽しいのだが,かなり歩いた.途中で杖をついたおばあさんがいかにもここに先祖の墓がありそうにない私たちを訝しんだのか「モーツアルトの墓探してるのか」と片言の英語で聞いてきて,親切に道筋を教えてくれた.ありがとう,おばあさん.無事いろんな墓が見られました.…でも後で検索したらボスコフスキーの墓とか見逃していたことが判明.明後日行き直し!
その後はウィーン中心街に入り,スムーズにホテル・ブリストルを見つけてチェックイン完了.欧州らしいクラシカルな作りの部屋で,ベランダに出ると目の前が国立歌劇場という恵まれた立地だ.国立歌劇場に面した部屋(我々の部屋もそうだったが)には歴代音楽監督の名前の付いたプレートが掲げてある.残念ながら知らない人だったけど…
チェックイン直後に大粒の雨が降り始め,1時間くらい土砂降りに近い感じで足止めを喰らった.その後あちこちに海ができた通りに出て周囲をぐるっと一回り.ムジークフェラインの本物を見て感激.ミーハーだと言われてもいいから,いつかはニューイヤーコンサートを聴きに来たいものだ.
とりあえず今のところ晴れ.
…大阪の気温が38度ってなってるんですけどマジですか.今,ここは大体その半分くらいの気温です.
朝のうちにシェーンブルン宮殿,旧王宮,国立歌劇場ガイドツアーを一巡り.宮殿はやっぱりどこに行っても宮殿である.旧王宮は外から見ただけ.国立歌劇場は日本語ツアーに参加.案内は日本生まれだという若いオーストリア人男性だった.ほぼ完璧な日本語を操るので,説明が明解で聞きやすかった.こういうツアーではバックヤードも見られるのが面白い.オペラを鑑賞する趣味のない私には,コンサートよりもこちらの方が似合いかも.その点ムジークフェラインは逆である.雨がたまに降るchillyな日.
ディナーから帰ってだいぶ今日の日記を書いたのに消してしまった.また後で書き直し.
昼からは少し市内の外れに出かけるため,ホテル目の前の駅からトラムに乗車.ウィーンしないにはリングという環状道路が整備されていてそれを30分くらいで1周するトラムがある.朝地下鉄トラムバス一日乗車券を買っていたので,自由に乗り降りできる.ドナウ河畔あたりまでやってきて,1つ乗り換えてフンデルトヴァッサー博物館へ.
フンデルトヴァッサーというと,大阪人にとってはなじみのある名前(多分)だが,全国的にはあまりメジャーじゃないかもしれない.なぜ大阪人になじみがあるかというと,湾岸の舞洲にあるスラッジセンター(ごみ処理施設)が彼のデザインによる珍妙な建物だからである.ここウィーンのごみ焼却場も同じくフンデルトヴァッサーデザインなので,そっくりの妙ちくりんな格好をしている.博物館自体ももちろんその手のデザインで,まあバルセロナにあるガウディのおかしな建物群を想像すれば似たような雰囲気である(美術的には違うのかもしれないが,私にとっては「ヘンテコリン」という同じカテゴリである).
日本となじみのある人なのだということは上記のような事情でぼんやりと知っていたわけだが,本当に密接に関わりのある人だったようだ.結婚した唯一の女性が日本人(オノヨーコみたいないかにも西洋人が好むが日本人的ではない日本人だったけど),5年ほどで離婚しているが,その後も署名に「百水」(フンデルト+ヴァッサー)や「豊和」(フリーデンスライヒというファーストネームのおそらく日本語)という落款を使っているし,日本をモティーフにした版画作品もたくさん展示されていた.日本の何が彼を捉えたのかは,残念ながらよく分からなかったけれど.
博物館を出て3分ほど歩くと,彼がデザインした市営住宅がある.築20年ほどでそれほど古いわけではなく,実際に今でも人が住んでいるのだが,ものすごく観光地になっている.1階はカフェやおみやげ屋になってるし,うるさくて迷惑そうだけど… でも,それがよいのかもしれませんな.
そう,彼がデザインした教会というのもあるらしい.博物館に「リフォーム前」と「リフォーム後」の縮尺版が展示されていたが,これでいいんか教会さん,という雰囲気だったのは言うまでもない.
市営住宅を出た後はちょうどカールスプラッツ行きのバスが来たので乗車.再び街の中心部に戻り,目抜き通りを歩いて音楽博物館へ.
音楽博物館はソニー様などの協力を得て最先端技術を積極的に取り入れたところである.2000年にできたそうで,まだ新しい.音や響きをテーマにした体験型展示が多く,中でも人気なのがヴァーチャルでウィーンフィルを指揮できるというゲーム.赤外線?を発する指揮棒を振ると,それに合わせてウィーンフィルが曲を演奏する.ラデツキー,青きドナウ,アンネン・ポルカ,アイネクライネナハトムジークからのチョイスで,私はラデツキーを選択.結構うまくいっていたのに途中でリズムが狂い,そうなると立て直せなくて,結局途中でビオラのおじさんに文句をつけられ,演奏を中止されてしまった(笑 でも,キュッヒルさんにゆでだこ状態で怒られるのもまた光栄である.
博物館を出た後は歩行者天国になっているウィーンの目抜き通りを散策.日が照りつけてきて暑い.シュテファン大聖堂の前あたりは大道芸人が雲霞のようにいて,それぞれに人だかりがしている.私たちはカフェで一服.ここはブランドストリートでもあるのだが,残念ながら今日は聖母被昇天の祝日なのでどこも閉まっていた.
ウィーンからミュンヘンへ長駆移動…の前に中央墓地に再度チャレンジして,何とかシェーンベルクとボスコフスキーのお墓を見つける.うろうろしていると他にもヴィトゲンシュタインとかカール・クラウスとか知ってるような気がする名前の墓碑がいくつもあるのだが,なんせ特定できない.有名人墓地を示すマップがあるという情報だったのだが,実際にはそんなもの売ってなかったんである.後で調べてみると,ヴィトゲンシュタインについては有名な彼「を除いた」一家の墓であったらしい.
帰ろうとしたら,一昨日の私たちと同様別の入口から入って激しく迷ったらしい日本人女性が,モーツアルトのモニュメントの目の前で私たちに「モーツアルトのお墓はどこですか」と聞いてきた.「これですよ」と言ったら心底ほっとしたように「よかったぁ!」と感激していた.証拠写真を撮って差し上げる.「この後ヴェルファーレ宮殿に行くんですけど,どういったらいいですか」とも聞かれた.南北線で六本木で降りるんじゃないですか,と言うほど意地悪ではないので,ちゃんと「ヴェルデヴェーレ宮殿」への行き方らしきものを教えてみた.
その後は基本的に高速利用だが,行きに通ったザルツブルグ経由では面白くないということで,ドナウ川沿いのヴァッハウ渓谷一帯を経由してここはゆったり地道で河畔ドライブを楽しむ.途中でKremsという街に立ち寄り,またドナウのほとりのベンチで手作り弁当を食べた.んー,いい感じ.
16時過ぎにミュンヘン近郊のダッハウまでたどり着いて,ナチスドイツが最初に作った強制収容所跡を見学.収容棟が2つだけ残されている.いわゆる絶滅収容所ではないということだが,それでも多くの政治や思想信条の相違で罪に問われた人々やユダヤ人が亡くなっている.もうクローズが近くて博物館は追い立てられるように半分しか見られなかったのが残念だった.
その後はご夫君にしてはやや激しめに道に迷いながらなんとか宿泊のアラベラ・シェラトンに到着.ラストにしていきなり思い切り郊外型のホテルになった.地下鉄で街の中心まで出るのに4.40ユーロもかかる.恐ろしや.
しかしとにかく街に出てまたもやK&Kお勧めのWeissen Brauhausにて夕食.ビールは麦じゃなくなんとかから醸造されたもので,かなりSweetなものを飲んだ.あとはパスタとソーセージとサラダ.なかなかのお味で二人で20ユーロしなかった.NZの新聞記者だというおじさん(でもひょっとすると私と大して年は変わらないかも)と相席になる.彼は5週間の休暇で,バイロイト音楽祭でのオペラ三昧(リング,パルシファル,さまよえるオランダ人あたりに一週間耽溺だったそうだ)を皮切りにしてプラハ,ブダペスト,ウィーン,インスブルック等々とゆったり旅してきたそうだった.明日フランクフルトから帰国とのことだが,シンガポール経由でエアだけで20時間かかるんだってさ.
彼に「大学生か?」と聞かれたので「いや,大学教授だ!」と答えた.当然何が専攻か聞かれたので「心理学だ」と答えると「じゃあウィーンでフロイト博物館に行ったか」と聞かれた.「いや行ってない.私は社会心理学で彼は臨床心理学だから違うんだ」と理屈にならない答をしたら「うん,そうだな,その二つは違う」と答えてくれた.そのくらいの理解はあってよかった.フロイト博物館に行かなかったのは,単に遠かったからなんだけど.
ミュンヘンから一路アウトバーンを南下してドイツアルプス方面へ.ガルミッシュパルテンキルヘン(昔の冬季五輪会場;ヒトラーがオリンピックがやりたいがためにガルミッシュとパルテンキルヘンという街を合併しちゃったそうだ)に向かった.途中まで順調に飛ばしていたのだが,アウトバーンから一般道に降りるところで,車線が減るのと合流するのと信号があるのとで大渋滞.30分ほどタイムロスをした.今日はとてもよく晴れていて,アルプスはくっきり眺めることができた.それだけに,観光客も押し寄せていたのだろう.
ガルミッシュの街中はショートカットしてドイツ最高峰に登れるロープウェー乗り場近くまで車で行き,アイプゼーのほとりにある駐車場に車を停めた.が,そのときにトラブル発生.再始動しようと思ったらエンジンがかからないのだ.いつものようにカードキーを挿してスタートボタンを押してもうんともすんともいわない.なぜ?なぜ?と何度も試すがダメ.ミュンヘン市内ならともかくここでトラブルは大変だ.仕方なくレンタカー業者に電話して,レスキューを依頼.対応してくれたのはご夫君だが,とりあえず向こうも英語を解さないことはなかったようで(何度も「そっちにドイツ語の分かる人間はいないのか」と言われたそうだからお互い片言状態だったのだろうが),現在地を伝えて待ちモードに.ひょっとしてこのまま帰れなかったらどうしよう,と不安はよぎるが,かといってどうしようもない.まさか車を置いて観光に出るわけにもいかないから,もぐもぐと弁当(といってもふりかけごはん)を食べ,ロープウェー乗り場で膝を抱えてレスキューを待つ二人である.
1時間ほど待ったところで携帯に連絡があり,レスキューのおじさん到着.早速見てもらうと…全然問題なくエンジンはかかった.どうやらハンドルがロック状態になってしまっていて,それを解除しないとエンジンはスタートできないことになっていたらしい.なーんだ,そういうことか.分かってみれば実にしょうもないことだが,乗り慣れていない車のことで,これまで1週間同じ状態になったことがなかったので,分からないときは分からないものだ.ほっと一安心.保険に入っているので費用もかからなかった.
というわけで気を取り直してロープウェーに乗ろう,でもよかったのだろうが,なんだか二人ともそうする気をなくしてしまって,結局そのまま現地を後にすることになったのだった.実によい天気だったので惜しい気はするが,まあ,次の機会を待つことにしよう.
その後はアルプスの麓を走り抜け,まるで県境のような看板1つしかないドイツ−オーストリア国境を越えたりしながら,フュッセンを経由して観光の名所ノイシュバンシュタイン城へ.こちらはイメージ的にピーカンの空はあまり似合わない気もする.一応車を停めて麓をうろうろしたが,すごい観光客の数なのと,これまでに痛感している
城はどこに行っても城でしかない
ことを考え,山を登って城に行くのはやめた.
その後は「ロマンティック街道」を走り抜けてミュンヘンへ.そこここに「ロマンティック街道」という看板が立っているのだが,ドイツ語と共に必ず日本語が併記してあった.アルプスの麓のなだらかな平野に,かわいい(おそらく,ロマンティックな)街が点在している.天気がよかったこともあり,ただ走り抜けるだけでも,穏やかな,気分のいいドライブになった.ひどく田舎でもなく,ひどくグループ観光ずれしてもいない,いいところそうだ.今度来るときは,こういう道をゆっくり走ってみるのもよいかもしれない.今回の旅行で痛感したが,もう大都市やいわゆる「観光地」は特別な目的(例えばコンサートを聴くなど)がなければもうお腹一杯だ.
18時過ぎに総計1800km以上を走り抜けてミュンヘン空港に到着.レンタカーを返して,さあ帰りましょうとAFのチェックインカウンターに行ってみると,
「20:45のフライトはキャンセルになった」
との冷たいお言葉.がーん.もう一つ前のフライト(無事飛んでいた)にしておけばよかった,と思っても後の祭り.他の難民化した人々と共に向かい側のカウンターに並んで別のフライトへの振り替えを交渉する羽目に.その顛末は後述のとおりで,空港ホテルをとってもらい,翌朝便に振替になったわけだ.我々の他に少なくとももう一組は日本人夫婦がいたが,彼らはどうなっただろうか.早く帰りたいと言っていたから,ジャングハイ行きのLHに乗せてもらえたのだろうか.こういうときにチケットの種類によって扱いが違うのかどうかは,実験していないのでよく分からない.ともあれ,車は問題なかったが,結局足止めを喰らうことになったのだった.
ドライブを楽しんでミュンヘン空港に来てみたら,乗る予定だったAFのパリ行き20:45のフライトがキャンセルになっていた.カウンターで示されたチョイスは2つ.
1)21:15のLFで上海に行き,そこからエアチャイナで成田
2)明朝10:10のAFでパリに行き,そこからAFで成田
当然2)を選ぶと帰るのが半日遅くなる.しかし,(途中削除)だし,どうせ羽田で1泊して戻る予定だったので,こちらを選択.もちろんミュンヘンで宿泊することになるわけだが,費用はAF持ちである.タミを出てすぐの空港ホテルのまあ広めのダブルをとってくれたので,いいことにしよう.
先に示されたのは選択肢2)だったのだが,その後思い立ったようにAFカウンターの男性が
「今日のフライトでジャングハイに行く手もあるぞ」
と言い出したときは,一瞬ジャングハイとはどこなのだ,我々にどこに行けという意味なのか,と大変混乱した.上海だと分かった後に「だーれが上海!だーれが南回り!だーれがエアチャイナ!」とドン引きして「ここで泊まる!」と答えたら good choice と言われたさ.
AFがとってくれたのは,Hotel Kempinskiといってミュンヘン空港のターミナルと直結している唯一のホテルで,空港からカートを押してそのままウォークインすることができるのみならず,部屋までカートを入れてもかまわないというところだった.部屋は当然味気ないが,それなりに広いダブルルームだったので十分許せる範囲である.羽田で泊まる予定だったエクセル東急も,ノーチャージでキャンセルすることができた.
というわけで1泊してまだミュンヘン空港.といっても既にチェックインは済ませてラウンジで休憩中.この後パリ経由でようやく帰国できそうです.多分.
さまざまな雑感
どの国でも大して使っている人はいなかった.もちろん絶無というわけではないが,あまり見かけない.
どのホテルも無線LANを提供していたが,大体の場合Tモバイル.しかし接続料金が高い!一日18EUROくらいで,一頃に比べて随分渋くなった印象.多分「これで儲けられる」とホテル側が気が付いたのではないだろうか.
オーストリアとウィーンは当然問題なし.プラハはVISAとMasterだけというところやカードが使えないというところもあった.
アウトバーンを中心とする高速道路網をかなり利用したが,当然のことながら日本よりもみなペースが速い.その分トラックなどは極端に速度が遅いので,うまく抜いていかないと自分にとっても,また周囲のペースを乱すことにつながる.速度については特にミュンヘンに向かう路線が強烈で,アベレージが150km/hくらいだった.どう考えても200キロは出てるやろという車がびゅんびゅん抜かしていくのは驚異的だった.そういう車はたいていベンツかアウディだった,ような気がする.ちなみに,よく知られた事実だが,ドイツ国内の高速道路は制限速度がなく,通行料金は無料である.
オーストリアやチェコはドイツと違って制限速度が一応あり,また通行料金もごくわずかだがかかる.通行料金の支払いは,ステッカー(1年有効だそうだ)を買ってフロントガラスに貼り付けるという方式.もちろんチェックに引っかからなければタダで通ってしまうことも可能であるが,普通誰もそんなことはしない.鉄道の切符のシステムと同じである.チェコのステッカーを買うのにかなり苦労した.途中いくつものガソリンスタンドで「んなものは売ってない」と断られた挙げ句に,国境付近でやっと購入できたが,購入してみたら既に借りていた車に貼り付けられているステッカーと同じものだった(笑 ステッカーをどう眺めても,私たちにはそれがチェコのものだとは分からなかったのだ(大きな文字で 2006 Dと書いてある).
オーストリアの運転は特に感じるところはなかったが,チェコの運転は特徴的だった.郊外では,概してみな飛ばしているのだが,途中そここにある街(というか集落)に入ると極端に速度を落とす.交通標識に書いてある制限速度まできっちり落とす.街を出るとすぐにスピードを上げる.そういったメリハリの利いた運転が目に付いた.しかし,プラハに入ると運転が荒いのに驚いた.あまり車線が広くない,都市部の道路でもうなりをあげて飛ばす車が多かった.
バラエティに富んでいる.日本車はさほど目立たないがシビックとかRAV4とか.意外とマツダの車がたくさんいた.アイスランドでたくさん走っていたYaris(すなわちヴィッツ)はほとんどいなかった.
チェコは国産のSKODAが多い.ここは最近はフォルクスワーゲンと合弁でやっているそうだが,昔は純国産だったそうで,その頃のおんぼろカーもまだ現役である.プジョーも結構目に付いたのだが,206CCはかなりたくさんいるのに307CCはひどく少ない.ウィーンとノイシュバンシュタインで1台ずつ見ただけだった.
どの国もあまりよいとは言えない.観光客なのかもしれないが,路上で,歩きながら,タバコを吸う白人多し.当然というかなんというか,ポイ捨ても目立った.犬を散歩させている人は多いが,糞が目立つということはなかったので,これは始末しているのだろうか.ただし,観光馬車が走っているので,馬糞はある.
ドイツとオーストリアはまったく問題なし.
プラハはいろいろな記事を読む限りではかなり治安が悪いようで,凶悪なものは少ないがスリはたくさんいるらしい.幸い私たちは特に被害に遭うことはなかったし,かつて初めてヨーロッパ(イタリア)に行ったときのやさぐれた雰囲気はここ数年まったくないといってよい.例えば,ジプシーが街をうろうろしているといったような,そういうものだ.彼らは今どこを流浪しているのだろう.
本当の意味での外食はプラハ・ウィーン・ミュンヘンで各1回だけだった.どこもそこそこ満足のいく味だったが,ウィーンのカフェ飯は今ひとつだった.果物のソースが使われていて,微妙に甘いのが口に合わなかっただけかもしれない.プラハではグラーシュ(ビーフシチュー)などを食したが,よく煮込まれていておいしかった.ミュンヘンはビアホールだから,まあそこそこビールに合えばいいってことで.
ビールは安い.水より安い勢い.実際味も軽くて量が入る感じ.といっても私はあまり飲まない人なので,正確な評価ではないと思われる.
暑い.
ド昼間のフライトだったので,飛行機の中ではあまり寝られなかった.今日もファースト・ビジネス共に満席.私たちと同様の事情で振り替えられた人もいたのかもしれない.ご夫君が持ってきたDVDで「My big fat Greek wedding」を見た.何の起伏もないアホみたいな陳腐なストーリーだが,それだけに大変楽しめた.多くのブログで既述だが,この作品を「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」という邦題で公開した日本人のセンスは相変わらずひどい.
ロストバゲージではなく,成田から宅配便(AMEXの特典でタダで送れる)で送っていたのだ.ターンテーブルで受け取ったときは気が付かなかった(その部分を持たなかった)のだが,片方のスーツケースの取っ手が壊れていた.またかー.
というわけで壊れたスーツケースは中身を出してそのまんま宅配便業者に逆送してもらうことになった.
狂犬プロジェクト続き.とある強権組織の言うことに右往左往する自分たちが情けない.しかしそうするしかない現状.
いろんなメモを私がとっていた関係上「それ,僕にも送っといて」と学部長に言われたので,ファイル名「狂犬メモ」というのをそのまんま添付で送った.しばらくしたら学部長が,
「asarinさん,ちょっと聞いてもいい? …狂犬って何?」
と震えながら聞いてきた.いや,あなたが狂犬と言い出したのではなかったですか(笑
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今日は研究室清掃日なので,おうちでゆっくり休養.なんと昼まで寝てしまって,自分でもびっくり.
午後からは一天俄にかき曇って雷モード.さっき瞬停まであった.まあ,残暑というところか.買い物に行こうと思っていたのに,足止めを喰らう.
しかし,自宅周辺は結局一ミリたりとも降雨なし.
月末までは狂犬プロジェクト,9月になるとすぐハンシン,一息ついたら社心大会で,あっという間に後期が始まってしまいそうな今日この頃,まだ夫婦揃って時差ボケが取れずに苦悩している.
前述のように一昨日は私は12時間,ご夫君も9時間程度寝てしまったのだが,昨夜は一転して二人してほとんど寝られなかった.寝られないというスパイラルに陥ると「どうしよう,どうしよう」と気持ちばかり焦るので,ますます寝られなくなってしまう.毎度欧州に出かけると,現地で数日はいくら頑張っても3時に起きるというサイクルを繰り返した挙げ句に慣れていっていたのが,今回は当初から6時過ぎまでぐっすり寝られていた.それはそれでよいことだったのだが,逆に戻すときに大変ということなのかもしれない.
今週のうちになんとか元のペースに戻したいものだ.
今回の旅行では5つのホテルに泊まった.
1泊目 Salzburg: Raddison SAS Altstadt Hotel Salzburg
2,3泊目 Prague: Four Seasons Hotel Prague
4,5泊目 Wien: Hotel Bristol
6泊目 München: ArabellaSheraton Grand Hotel München
7泊目 München Airport: Kempinski Hotel Airport München
6,7泊目は置いといて(笑 残りのホテルはどこもお値段がそこそこ張るだけある上質なところだった.SalzburgとWienについては,とてもクラシカルでヨーロピアンな雰囲気,Pragueについてはもう少し都会的だった.
暗めな部屋がちょっと苦手な私が一番快適だったのはFour Seasons Pragueだ.中くらいのカテゴリの部屋に泊まったので,パーシャル・モルダウ・ビューだったのは残念だが,あれでカレル橋の向こうがすっかり眺められるこんな部屋(私たちと滞在期間が重なっておられたようだ.しかもAF利用だし(KIXのようだが),Pragueの前にはWienにおられてBristolに滞在!ちなみにこの方もチェコ人の大変な早口に言及しておられるのが面白い)だったなら,そりゃあもうさらに夢のようなプラハ滞在が楽しめたことだろう.もちろんさまざまなサービスを受けるには相応,いやかなりの対価が必要なので,Pragueの中ではある意味別天地のようなところなのだが,それを出してもかまわないと思わせるだけの質が備わっているホテルだと思った.もし再度Pragueに行く機会があるなら必ずこのホテルを選ぶだろう.
原題「そのまんま」なのだが,この題名を窓口で言えとな… 内容は「アメリカで流行るが日本で流行らない」典型的コメディのはずなので,是非見に行きたいのだけれど.
2日ぶりに出勤.聞いた話によれば一昨日と昨日は研究室のエアコンが故障して地獄だったそうなので,タイミング的には悪くなかったようだ.行きは東行きの阪神高速が通行止めになるほどの事故で,西行きも脇見で渋滞.確かに脇見する価値のある…などと言ってはいけないのだが,かなりの大事故だった.→神戸新聞WebNewsより.確かにトラックの座席部分が完膚無きまでにぺしゃんこだった…お気の毒なことだ.
私より少し後に北欧を巡っていたAさんと久しぶりに会う.彼は私を遙かに凌ぐクラオタで(っていうか私はそもそもオタじゃないわけだが),現地でも船や貴族の館などでのコンサート三昧だったそうだ.そして「先に聴いていいですよ」と,ラハティ響@ヴァンスカのシベ2&3のCDを貸してくれた.これがシベ2に関しては「世界標準」なんだそうだ.
仕事としては,社会心理学研究法の授業準備と,ハンシンのこまごまとした作業.掲示物をA3でいろいろ作ってみたが,よく考えたらA4で作ってコピーする方が(どこでも印刷できて)よかった気がする.残り作る分はそうしよう…
Eightになっていまったらしい.冥王星は冥宮入り(c)よしろうさん だ.さて,80年近く前の語呂合わせはどういうものだったのだろうか.今朝の「おはパソ」でディズニーのプルート=冥王星(発見された年に誕生)だということを初めて知った.ためになった.
ついでに,9惑星時代の語呂合わせいろいろ.
ホルスト「惑星」を聴く.
ホルストがこの曲を作ったのは1914〜16年であり,当時まだ冥王星は「発見」されていなかった.というわけで,松本零士風の表現をすれば「宇宙の果て」は海王星な気分で生きていた人の作品であり,今後の人類の指針となるべきものであろう(笑
演奏はバーミンガム市響.指揮はサー・サイモン・ラトル.ロンドンに行ったときに買ってきたもので,ブリテンの「戦争レクイエム」とのカップリング.イギリスっぽいでしょ.
初めて賞罰に書けるものをもらえそうだ.しかも罰じゃない(w
本学会理事会(210回)におきまして, 貴殿の発表論文が2006年度全国大会優秀賞に決定いたしましことを お知らせ申し上げます.
まあ,もちろんいろんな事情とか星回りとかはあるんでしょうけれども,それでもメタメタなら問題外だろうと思いますので,ありがたくうれしい限りです.データを取らせていただいた山びこ社のみなさま,質問紙調査にご協力くださった山びこユーザのみなさまに,心から感謝します.
文書はなんとか形になったと思われ.
私は基本的に他者の行動を予測する場合に「私と同様には決して行動しないだろう」「きっといい加減に行動するだろう」と思うのだが,実はそう思う人は少数で,どちらかというと「私と同様に行動するだろう」「きっときちんと行動するだろう」と思う人が多いらしい.まあ,別に人のことだからいいけど,そういう思いを抱いていると,すなわち他者に期待していると,期待に反した行動をされたらとってもがっかりしないのかなあ.
私は他者に期待していないので,他者が期待に沿った行動をしてくれるととてもうれしく,変なことをされても大してがっかりしません.
先般豊中に局地的猛烈な豪雨をもたらした雷雲だが,大学付近でも猛威をふるったらしい.なぜなら先般からのエアコンの故障は,落雷が原因だったそうなのである.私の研究室は幸い1日半で復旧したのだが,実習助手や院生のいる部屋のエアコンは,今日に至ってもまだ復旧作業中で,いつ原状回復するかも不明らしい.週明けもダメそうなら,エアコンの効いた部屋に避難してもいいよ,って言わないとな.
帰宅してから神戸屋で軽く食事して,その後ご夫君に付き合ってもらって激安ショップ&ホームセンターでハンシン関係の買い出し.紙コップ630個とかペットボトル箱買い×2とか.カートに一杯買ったのにはっせんえんしかしなかった.すげえなジャパン.
次はマウイに行こう!と、スケジュールも何も決まっていないのに、どこかよさげなコンドミニアムを探して二人でネットサーフィン。
空港から比較的近い方がいい ショッピングエリアに比較的近い方がいい 部屋は広いに越したことはない ラナイは広い方がいい ベッドは(クイーンは狭いので)キングの方がいい 涼しいのはわかってるけどエアコンがないのは不安だ ネットができないと死ぬ(私だけ) びっくりするくらい高いのはちょっと遠慮したい
と初期条件を並べただけで、結構限定されてしまうことがわかった。案外ベッド条件とネット条件が難しいんである。
2リットルのペットボトル.家にあるとなかなか減らないのだが,よく考えてみたら,紙コップ1杯に150〜200CC程度注いで飲むとしたら,1本で1O杯分強しか取れないのである.ということは,1箱60杯分.じゃあ2日分で2箱じゃあ全然足らないじゃないか!(スタッフだけでも30名いるのである) というわけで,新たに3箱買い足した.
結局,われわれの希望する諸条件を満たしそうなのは,
くらいだということになった.コンドミニアムに泊まると,思う存分好きなようにごはんを作れるのがとっても幸せだ.私は,他のどんな食べ物よりも,おうちごはんが大好きだ.
ぐぐって根気よく探すと,ヴィレッジ全体を管理している会社を通さなくても,各部屋のオーナーが直接貸している場合もあるようだ.そうするとどこのどんな部屋かがあらかじめ分かるので安心だろう.しかしもう今から結構予約は埋まっているらしいことが,そもそも行けるかどうかも,当然行けるならばいつというスケジュールが決まっていない我々には難題である.
ここ数日,顕著にスパム検出率が落ちている.FAではなくMissの方.どう考えても招待制から登録制に変更されたせいだろう.早く落ち着いてほしいものだ.
犯罪心理学会というと「むむむ…この事件の犯人は外国人で,オハイオ州に住んでいて,40歳代のプログラマーです」とかやっちゃう人の集団かと思われるかもしれないが,どちらかというとそういう人たちではなくて,犯罪の予防や,犯罪者の更生などに携わっている警察や刑務所や鑑別所や家裁の方々が多い.もちろん大学研究者もいるにはいるが,相対的には少数.ということで何かと私の馴染みのある心理学界とは文化が異なるところがあったりするのだが,なぜか現会長は最近新書界に進出気味なOB先生なのだった.まあ,だからこそY先生が大会委員長を引き受けることになっちゃったわけだけど.文化とは関係ないが,準備委員会に「少年」からメイルが来たときは驚いたな.開いてみると「++県警少年課」に所属する会員の方からの問い合わせだったのだが.
私は当然ながら学会員ではなく,大会開催の準備委員に名を連ねるにあたっても「別に入らなくていいよ」と言ってもらえたので,なんとなく距離感が縮まらないままに大会準備が進んでいる.評価懸念が大して強くないのは私の精神にとってはいいことかもしれないが,大会を盛り上げよう!という熱意は湧いてこないので,その辺が来場者のサポート不足にならないよう,気をつけなければならない.もちろん,既に大小含めてこの手の学会大会・研究会開催経験9回目な私であることだし,必要な仕事はきちんとしているつもりだけれども.
とりあえず今不安なのは,懇親会の予約参加者が少ないこと.当日かなり勧誘しないと,赤が出るやもしれぬ….
社会心理学研究法の準備.第5回目くらいまで終わったので,明日からは対人心理学IIの準備に移行.
材料:米・塩鮭・乾燥ひじき・めんつゆ・マヨネーズ・しょうゆ
米をといで,ざるに揚げて水気を切る
乾燥ひじきは水でもどす
炊飯器に米と分量の水を入れ,絞ったひじきと,塩鮭をのせる
気持ちだけめんつゆを入れて,炊く
炊きあがったら塩鮭の皮と骨を取ってほぐす
気持ちだけマヨネーズとしょうゆを入れて混ぜる
大変簡単な炊き込みご飯なのに,かなり美味し.多分ごまとか振るともっと「らしい」と思われる.
9時から学科会議,10時から臨時教授会・研究科委員会・人事教授会.
狂犬プロジェクトの第一関門だ.これを通過しないと何も始まらない,らしい.当座の心配は,夏休みのイレギュラーな開催日時なので,流会にならない人数の出席を得られるかどうかのようだ.→幸い大丈夫だったようだ.海外旅行を短めに切り上げてまで来てくださった先生もいらっしゃるようで,感謝である.
他学科のベテラン先生から「なぜ特定の任意団体の言うことに右へ倣えしなければならないのか」という質問があった.まったくもってごもっともである.学内的な手続きをすべて通過すれば,次は文科省で,その次はその特定の任意団体である.最終フェーズは,もう私のように無資格者には何もできない.
甲子園の阪神戦で土砂降りになったと思ったら当然うちも雨.その後,雷.雨戸を閉めているので,稲光の予告なく雷鳴が轟くのは,かなり怖い.一発近くに落ちて,ネットもおかしくなってしまいましたとさ.
というわけで寝る.
午前中に美容院に行ったので,午後は自宅作業.
美容院で担当者さんに「私は墓場を見るのが好きだ」という話をしたら,心霊スポットに行った話をしてくれた.多分彼女なりに一生懸命合いそうな話題を提供してくれたんだと思う.彼女が行ったのは六甲にある廃病院らしいが「日本軍の病院だったところ」だというので興味を抱いた.私は心霊スポットの心霊さ加減には一切関心がないので,多分興味を抱いたポイントは彼女とずれているのだが,そんなことはどうでもいい.ちなみにせっかく懐中電灯持参で夜に出かけたのに,同じような人たちがたくさんいて,ちょっと興ざめだったらしい.
帰ってからぐぐると,どうやら軍人病院と通称されているところらしいことまでは分かったが,詳細情報は得られなかった.まだ廃墟として残っていて見て歩けるなら,是非昼に行ってみたい.夜に行ったら何があるかよく見えないのでよくない(しかも怖い(笑).
社心大会のポスター作成.データが大きくて,途中で修正が入って,しかもSASとSPSSのどっちでもできるように作っていた…つもりが,途中の修正を半端にしか対応させていなかったらしく,そのバグをつぶすのに数時間を要した.たまにしか分析しないから,こんなことになるんだなあ.反省….
去年まで2年間は1枚もののポスタにしたのだが,丸めたのを筒に入れて飛行機で持ち運びする鬱陶しさと,何枚ものポスタを押しピンで貼る鬱陶しさを天秤にかけて,前者が重かったので,今年は普通にパワーポイント→A3印刷.
まちかねM君が同じくリモワのトパーズが欲しいと書いていたのを読んで,さらに羅針で新製品情報を読んで,RIMOWA SALSA PLUSが欲しくなった.これなら貯金しなくても買えそうだ.学会出張に行くくらいのコンパクトサイズで,インパクトのある赤がいいんだけどな.…となると機内持ち込み可サイズの6280かしら.実際に見てよさげだったら,誕プレで買ってください>ご夫君
こう考えてみると,私って持ち物は結構派手好きだな….性格や服装は地味なのに.
いやはやこのカテゴリのエントリー,久しぶり.調べてみると,オールスター明けに3連敗して以来だからほぼ1ヶ月ぶりだ.
今日は序盤に1-5とされてああもうダメか,結局3試合やってゲーム差変わらずか,と思っていたのだが,なんだか踏ん張って同点,さらに8回裏に2HRで逆転,とうまくいった.当然もう優勝するなんて思っていないし,「まだあきらめない!」なんて騒ぐミクシィの阪神コミュの人たちは気持ちが悪くてしょうがない.「上位チームとして優勝を阻止すべく頑張る」だけの体裁を保てるチームになっただけでもすごいじゃない.藤川がこんなPになったなんて,どう考えても奇跡に近いし.
昨日今日は,吉野様が地味にワンポイントで活躍.なんとか自信を取り戻しておくれ.反面,モミーはもうダメそう.来シーズンは関テレか.プロ野球中継も斜陽の時代,どうなることやら.
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