とってもいい天気.そして,頃合いよく桜は満開.今年は中央講堂が改築工事中のため,講堂横(生協正門前店そば)にあった大きな枝垂れ桜が中央芝生の一角に移植されていて,時計台を背景にこれも満開.もう,何と申しますか,異常な美しさです.
私自身は新年度になって何か新たに始まることは特になく,特に大学においては学部の学科代表を留任するので,やらねばならないことに大きな変化はなさそうだ.どちらの職務も不承不承ではなく自らやりますと手を挙げてのことだから,これまでの1年の経験を踏まえつつ,もうちょっと尖った仕事ができるようにしたい.
私自身は変わらなくても,周囲にはあれこれと動きがある.この年になると,若い頃のように知り合いの多くが職場を移る,というようなことはない.大学院時代の気の合う仲間5人のグループでも,2004年以来初めて「誰も異動しない」4月となった.しかしその分,個々の異動がもつインパクトが大きい.職場が同じ人たち以外との普段のコミュニケーションはオンラインが主だから,相手がどこにいたってそんなに関係ないじゃん,という意見もあるかもしれないが,やはり行こうと思えばすぐに会えるところにいるかどうかは近接性の感覚に大きな影響を持っている.例えば,東京と京都では,エライ違い.はい,今晩飲みに行くか!,にも随時対応可能です(笑
というわけで今日のタスクは,新任PDとの顔合わせ,新2年生ガイダンス,大学院ガイダンス.新たな1年が,刺激に満ちた充実したものとなりますように.
昨日の話.
10年ほど前はGW前にならないと内定通知が来ないものだった科研費だが,ここ数年は4月早々に採否が明らかになるのが通例になった.これまでは文科省や学術振興会のWebサイトで内定通知が発信された旨が公示され,それに半日や1日ほど遅れて大学の事務担当部署からメイルによる連絡がある,というプロセスを辿っていたが,遂に今年度は
4月1日にe-Radにログインすると内定していれば課題がリストされている
というところ(つまり,通知を待たなくても自らアクセスすれば分かる)にまで進化した.その一報が入ったのが午前中の新2年生ガイダンスを終えた時点.震えながらボタンをクリック→内定→号泣というリアルタイム報告を聞いて,焦らないはずがない.個研に戻って早々に同じことを試してみるが…
課題がリストされていないorz これは…ダメだったのか…と思ったが,一方で若手Bと基盤C以外はこの方法では分からない,という情報も入って来て,混乱.確かに「一部の研究費はこの手続きで云々」と書いてあるのだが,肝心のその一部とはどのカテゴリなのかが明示されていないために混乱するのである.ポスドク2人は若手Bに内定してきゃはきゃは言ってるし,もう一つ内定が分かるのが相対的に応募件数の多い基盤Cなので,これまた内定報告が多いしで,焦ることこの上なし.ポスドクが自前で研究費を獲得できたのはうれしいことだけど,肝心の私がダメだったら情けなさすぎるではないか.…そんなこんなで悶々とした午後を過ごし,さあそろそろ帰ろうかと思った18時前,
【ご連絡】2013(平成25)年度科学研究費助成事業【基盤研究(B)新規】の書類作成について
というタイトルのメイルが!事務担当部署からの内定通知であった.いやあ,嬉しいのとホッとしたので泣けた泣けた.勝手に涙がぼろぼろ出て来るので,落ち着くまで30分ほどは帰宅しようにもできずであった(笑 これで平成15年以来,若手B→基盤B→基盤C→挑戦的萌芽→基盤Bと研究代表者を途切れることなく続けられることになった.それまでの数年間は徹底的に落ち続けていたことを思えば順調だ.審査者の皆様,ありがとうございます.
分担者に入っている特定プロジェクト絡みの基盤Bも採択だったようで,後は同じく分担者の基盤Aの結果待ち.これも是非一緒にやりたい方々との研究計画なので,当たっていると信じたい.
昨日午後から天候が悪化し,やや風も強めに吹いているので,大学付近の桜が徐々に散り始めた.次に天気が崩れる週末にはほぼ完全終了してしまいそうだから,出勤後にやや時間をかけて学内を散策.新月池,日本庭園,図書館横,時計台横とフォトジェニックなスポットを一巡りした.7時前はほとんど人がいない(学内各所のゲートを警備員さんが開けるのが大体6時半過ぎから順次なので,ウォーキングを楽しむ一般市民さんもあまりいない)ので,美しい風景を私と鳥たちが独り占めである.さんさんと降り注ぐ太陽光の下で照り輝くというわけではないが,私と風景の間に邪魔をするものが何もないという感覚は何とも言えず素晴らしいものだ.あまりの美しさに,桜吹雪を浴びながらぼんやりと立ちすくむことしばし.
悲観したほど昨日の雨風で桜は散らず,今日もほぼ満開状態.もちろん風に舞う桜吹雪の数は増してきていて,それもまた美しい.
午後のリサミはお花見としゃれ込み,キャンパス内の日本庭園のベンチでおこなった.屋外リサミは昨年もやったので2度目で,皆ノートPCを持ち出してくるし無線LANは捕まえられるので特に屋内と変わることはない(陽の光で若干画面が見にくくはある).同僚S君に「花見すんねん」と言ったら「酒抜きですか?」とのこと.花見と酒の連合形成がほとんどできていない私は気付かなかったが,学科有志の花見がいつも学内ではなくわざわざ甲山森林公園に出かけておこなわれるのはそのためだったかと思い当たった.学内は飲酒厳禁なのである.
入学式やガイダンスが一段落し、やや落ち着きを取り戻したキャンパス。もちろん、来週からは春学期の講義が始まり、また慌ただしくスケジュールに動かされる日々となる。そんな日々の前の1週間に満開状態のまま保ってくれた桜には心から感謝したい。毎年とても綺麗に咲く桜だけれど、落ち着いた気分であちこち巡ってこれだけ写真が撮れることは滅多にない。
午前中はおかげさまで内定をいただいた科研費の交付申請書に頭を悩ませ、午後は新しく社会学部に赴任したI君の研究室に遊びに行っていろいろ面白い話を伺い、夕方はポスドクの論文の最終チェックをして投稿のゴーサインを出した。人の論文の面倒を見るのは割と得意になってきたのだが、自分の論文を書く時間を確保するのが大変なのは相変わらずだ。
夜はそろそろ切れてきた体内カレー成分の補充のためタージマハルエベレストへ。マトンとほうれん草のカレーが素敵に美味しくて今日も大満足した。
が通過するとのことで、朝から禍々しい雰囲気。不要不急の外出は控えるようにと気象庁も再三警報を発している。こういうときは得てして「なんだ、たいしたことなかったじゃん」という結果になり、うるさいぞ報道機関的な論調になるわけだが、じゃあ何も警告がなく大被害になっていたらこれまたボロカスに罵ることも容易に想像できるわけで、とにかく何にでも文句を言いたい+言いっ放しが目立つ社会の風潮は何ともはや自他を窮屈にさせるばかりである。
で、不要不急の外出予定は特にないので、スーパーに買い出しに出かけた以外は書斎仕事+昼寝。お金の計算をしたり、100名超の方々に一斉メイル送信をして「過去の資料を掘り返して送っていただけませんか」なお願いをするなど。後者に対するレスポンスは、予想通りの方々(ksmせんせとotbさん)が他とは群を抜いて超速であった。つまり仕事ができるというのはそういうことなのだ(念のため言っておくと、レスが遅い/ない人を仕事ができない研究者認定するというわけではもちろんない)。
夜はBSプレミアムで大岡越前のスペシャルドラマを見る。越前=東山紀之は無難な感じだが、伊織=勝村政信と村上源次郎=高橋長英がそれぞれ竹脇無我と大坂志郎の雰囲気をよく受け継いでいて嬉しかった。平岳大と加藤頼の彼我の差(彼らの間の差であり、彼らとそれぞれの親との差)には泣けた。が、途中で荒天のためBSが10分ほど受信不能になったのは残念だったが、来週も見よう。録画しなきゃだ。
先だってハワイで怪我をして戻ってきたのをたいそう心配してくれた同僚が、ザクロのジュースをくれたのに続いて、ご親族から送ってきたという三宝柑というミカンをくれた。どちらもビタミンCがとても豊富でお肌にいいらしい。
三宝柑というのは和歌山県湯浅町楢原というところの特産で、見た目はデコポンによく似ていてでっかいでべそがあり、皮はとても肉厚だがふわふわしている。果実はとても種が多くて、いちいち剥いて種をとって食べるのはなかなか難儀だが、みずみずしく酸っぱくておいしい。ただし4つもらったうち4つめは時間が経ちすぎていたせいか「す上がり」して果実から水分が抜けてぱっさぱさになっていた。残念。
ビタミンCの豊富な供給のおかげもあってか、顔の表面的な傷はほとんど治ってかさぶたもとれ、縫った左目のまぶたも見た目には両目の違いがわからないくらいになってきた。ただしぶつけたときのたんこぶはまだ少し残っていて、ほお骨の上あたりにぼこっと飛び出ている部分がちょっとだけある。皆さん、岩とはあまり喧嘩しないようにしましょうね。
しようと思っていたが、読んでいるととても眠くなる(つまり退屈)なのであまり気が進まない。ひどく大きな瑕疵はないけど退屈な研究が一番苦手である。明日にする…と言い続けて数日。〆切に間に合わなかったらごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
その代わり、というわけではないが、ポスドクのRPD申請書のドラフトができあがってきたので読む。限られた時間内によく頑張って書いているしテーマはとても面白いので(実は長らく考えてきたものにここ数週間のふとした思いつきがうまく反映された成果だったりする)、もっと説得力を増す書き方ができればかなり見込みがあると踏んでいる。明日のアカデミックリサーチスキル演習で他の教員や参加者に叩いてもらう予定。
今日から1週間の予定で、ちょっと外出。といっても家から歩いて1時間もかからない場所だけれども。ちなみに窓の外にはhusだの太陽の塔の裏側だのが見えています。
9時に入院 手続きしてすぐ病棟へ。
部屋は5階の4人部屋。ナースステーションやデイルームに近い。
採血をしたり血圧をはかったり。
はびーはてもちぶさた。
11時から病棟や入院に関する説明 一緒に入院する人は2人。
うち1人は病室で隣。話をしてみるとほぼ同じ病気とのこと、そして。。。
あれこれとインタビューしてみたが、たらこスパのたとえがよくわからんがおもしろかった。
昼ご飯は当然普通食。なかなかおいしい。
お隣さんは友達とスカイレストランに行っていた。そうか、人科の人とご飯食べても良かったか、と思ったが特に食べたい人もいなかったw
午後はお風呂の順番(what a long queue!)待ちつつ、看護婦やら麻酔科医やらなにやらからあれこれ説明を聞くが、あまり頭に入らない。何せ経験したことがないことを説明されてもわからないので、事後に納得するためのものと了解する。
看護士は基本フレンドリー。そうしつけられているのだろう。昼から担当の人さんはiPhoneやペンケースをめざとくみつけて褒めまくり。写真見まくり。アプリ教えまくり。勝手に人の写真をスクロールして見まくるのは他の人に対してはやめた方がよいのではないだろうかw まあ最初に写真を見せたのは私ではあるが。
デイルーム(隣の整形外科病棟と共用の広々したオープンスペース。ここでご飯を食べても良い)に有線LANケーブルが設置されたコーナーがあって、それにつないで自分のPCからネットにつなぐのはただ。これは活用できる。窓が大きく取られていて、すぐそばに人科が見える。
テレビや冷蔵庫、洗濯機、ネット接続パソコン等々はすべて有料、プリペイドカード制。1000円から買えて残金は払い戻しできるようだが、この際買わずに済ませてみようかと思う。
病室とデイルームをいったりきたりして、査読をしたり、メイルを処理したり。30年前に入院経験のあるというオッサンは期間中に論文を1本書いたそうだ。私は…2本かw
19時前になって医師からの手術説明をはびーと聞き、いろいろリスクの説明を受け、数種類の同意書にサインを求められる。普段実験でやっている手続きを受ける側になったというわけ。
その後、入浴して、次に洗髪できるのは3日後らしいのでしっかり洗って、消灯前に睡眠剤と下剤を服用して22時就寝。どちらも特に効いた感じはしなかったが、普段の生活リズム通りに寝ることはできた。5時前まで中間覚醒はしなかったので、それは薬の効用だっただろうか。
いろいろされた数時間、はあったのだが、私自身は徹底的に何もせず、というか、何もできなかった一日であった。こんなに長時間ただただ時間を無為に過ごす経験は久しくしたことがなかったので、なかなか疲弊した。
6時起床。浣腸。。。をしたのはたぶん初めての気がする。
弾性ストッキングなるものを穿く。丸一日寝たきりになるので、種々のエコノミークラス症候群予防が施されるらしい。
7時半にはびーが来て、8時半に手術室へ。フロアは4階で、手術室が並んでいるスペースの入り口からは車椅子に乗せられて奥の奥の方にある手術室9に到着。
その後はすぐに血圧を測られて、点滴の管を入れられて、麻酔薬が入れられて、記憶なし(笑 何度かお声をかけるので聞こえたら返事してくださいね〜と言われたのだが、返事をした記憶がない。
次に名前を呼ばれて目を開けたら、すべては終わって回復室にいた。このブラックアウトぶりは、その過程に間違いさえなければ非常に快適だ。実のところこの全身麻酔をされるということが今回の手術で一番の不安の種で、それは自分がいったいどうされるんだろうという不安だったのだが、要するに、何をされていてもわからないので後で何とも考えようがないということがよくわかったw
はびーは手術の間中ずっと待機してくれていて、主治医からの説明も聞いて、切除されたブツそのものも見たそうだ。右卵巣嚢腫は大腸に割と癒着していたので剥がして摘出するのに若干難儀したが、それでもなんとかなったとか、左にもひょっとして小さい嚢腫があるかもと言われていたが、それは特に問題なさそうだったので何もしなかったとか。私を気遣ってあれこれ質問してくれるのだが、何せぼんやりしているし当然あまり元気ではないので、答えるのがなかなか大変だった。彼曰く「オープンクエスチョンは無理だろうから」という気遣いだったらしいが、それ以上に苦しかったということか。とにかくやりとりが成り立たないので、はびーはほどなく帰宅。
その後は、ひたすら安静を強いられる。腹にはドレーンがささっており、導尿管もつけられ、腕にはもちろん点滴。導尿管の違和感になかなか慣れないのには参ったが、その後は腸がどんどん動き出してそれが若干ひきつれるような痛みを伴っていた。あとは、全身麻酔なので人工呼吸器をつけるそうなのだが、それを口から突っ込んだ時のショックで、のどに痰がからんで声がかすれて出なくなったり、右下の歯茎が腫れていたり。歯を持って口をこじ開けてチューブを突っ込むから、人によれば歯が抜ける人もあるとか。縄文人か。
回復室ではひたすら寝ていなければならない、と言われていたが、結局iPhoneや本を持ち込んでもOKということだったので持ってきてもらったが、さすがに入門レベルとはいえ専門書を読むのはややつらかったw iPhoneの方はツイートしたり、メイルに返信したり、手術終了報告をしたり。こういうときに誰にどういう順番で報告するか、というので、自分が現時点で誰を重要他者として考えているかがよくわかる。
それでも基本的には退屈。超退屈。昏々と寝ているわけにもいかない。こんなに長く何もしないでいることはこれまでになかったので、そのことは相当に苦痛であった。
22時消灯。その後は定期的な体調チェック(血圧+体温+聴診器で胸と腹の音を聴く)で何度か起こされたが、なんとか朝を迎えることができた。
昼頃に、ようやく自由に動き回れるようになった。さあ、論文を1本書かなければなるまいw
10時前にお腹のドレーンを抜いて、点滴と導尿管はぶらさげたままで、病室へ歩いて帰還。ふらつくこともほとんどなく、下腹はじんわり痛い程度でちょっときつい生理痛だと思えば特に問題はなし。
12時に1日半ぶりの食事。といっても3分粥とミキサー食という赤ちゃん仕様。夜は5分粥、明日朝は全粥、そして昼には普通の食事に戻るのだそうだ。
午後に両親が見舞いに来てくれた。母が最近買って面白かったという山川静夫の「大向こうの人々」を貸してくれる。「社会のイメージの心理学」よりは確実に苦痛なく読めるw
18時頃にはまっくん。14階に散歩に行ったり、ローソンに行ったり。
夜はラジコでプロ野球中継を聴こうとしたが、デイルームのテレビ音声より確実に数十秒遅れて展開がわかるのに耐えかねて(笑 PC作業も兼ねてテレビを見に出た。
22時就寝。痛みもさほどではなかったのでロキソプロフェンも服用せず。
私はなんせ粥が嫌いだ。中華粥みたいに味がついていたり具が入っていたりするのものや、おじやについてはまったく問題ないのだがあ、「白ご飯」ぽいのにそうでないというのが許しがたく、30余年前に盲腸で入院したときも一切口にしなかった記憶がある。長じてさすがにそこまでひどくはなくなったが、いくら言われてもあのおどろおどろしい水分は飲めない。うまみはそこにこそ染みこんでいるのかもしれないが、飲めない。
5時半頃起床。22時消灯6時点灯は誠に私の生活スタイルに近くて好ましい。
朝は全粥。ようやく水と米が渾然一体をなしてきた。
毎食後に緩下剤、就寝前に下剤と飲んでいるのに便通がなかなかなかったが、10時過ぎにようやく1回。ああよかった。内臓系の手術後の病棟ほどほど「ガス」「便」が歓迎されるところもないだろう。米飯に復帰した昼食後に2回目もあり、それがかなりの軟便だったので緩下剤を飲むのをやめてみた。その後結局一度も服用せず。
午後は手術後初めてシャワーを浴びることが許される。髪を洗ってすっきり。その直後、また両親が見舞いに。14階で景色を見ながらしばし歓談。
院生君のグルダイ原稿をチェックしたり、院生ちゃんのグルダイ原稿をポスドクが添削している様子を確認したりでその後の時間を過ごす。
まっくんはやはり18時頃に登場。ローソンをうろうろして、ハーゲンダッツのカップアイス(クッキー&クリーム)を買って帰って二人で食べた。
お腹の痛みは相変わらず歩いたりすると鈍くじんわりと響く感じだが、痛み止めを飲むようなものではない。
22時就寝。パジャマを持参のものに変えて若干厚着になったせいか、2回ほど中間覚醒した。
今日も外は寒いらしい。夕方にホチキスの針を4本抜いた。院生のグルダイ発表論文集原稿をチェックしていて腸捻転を起こしかけた(あくまでも比喩的表現)が、すんでのところで食い止めた。
何度か中間覚醒を経て5時半起床。あとでオッサン2に言われたことだが、病院のベッドはマットが薄く粗悪とは言わないが温度調整などできないので、なかなかよく寝られない。そのことに気づくようになったのは体力が回復してきた証拠と言えるかもしれない。
午前中は院生ちゃんのグルダイ原稿のチェック。ポスドク曰く「昨日のよりは随分いい」らしいが息が最後まで続かなかったのか、研究2の結果や考察あたりはよれよれ。分析など本文と結果の記述が合っていない。「なんでこれで媒介効果があったと言えるの」と質問したら「実は媒介分析もちゃんとやって、効果が有意だったんです。書き足します」とのこと。
ちゅどーん(核爆
やはり昨日読まなくてよかった。確実に腸捻転を起こしていた、と我が判断力の良さを賞賛した。
午後はシャワーを浴び、オッサン2からの衝撃の情報を聞いた後、Drの診察を受けて日曜退院OKの確約を受ける。そして両親とプリンを一緒に食べ、院生君の原稿をチェック。こちらはもう一息といったところか。そのほかは、主査担当の査読の報告書を書き、編集事務局に投げた。
夕方には傷口(というかおへそとその左右の脇腹に空けた3つの穴)を留めてあったステープラーの針を除去してもらった。ぴっととげを抜くようなものなので特に痛みはなかった。下腹部内の鈍い痛みは続いているが、表面は痛くない。また、今日になって点滴の管を抜いたところあたりの内出血がひどくなって、右腕全体の表面がぴりぴりしたり、肘あたりが重だるかったりという症状が出てきた。ネットで調べてみると点滴の針の抜き方が下手だとそういうことになるらしい。確かに針を抜いた時は手が血まみれになるくらい出血していたので、ちょっとしくじったのだろう。
22時消灯も、やや寝付きが悪く23時頃までごそごそ。その後も何度か中間覚醒した。
あと1日。
昨日今日とよく晴れて、南に大きく開いた丘からは大阪中心部の風景がよく見える。あべのハルカスを含めた高層ビル群が一望できるのはちょっといい気分で、ことに母はその上を伊丹空港に着陸する飛行機が過ぎていく光景を偏愛していた。私も今日の夕方はそれを飽きずに眺めていた。
ところで朝の地震(朝地震(あさない)があった、といえばナベジュンのエロ小説「ひとひらの雪」を想起してしまい、どうもよくない)の際、初めてスマホの緊急地震速報を受信した。関東地方の方は東日本大震災の余波で慣れっこになってしまっているというアレだ。もう起きていたが突然ただならぬ音と振動だったので本当にびっくりした。ただ、私の受信地域では確かに揺れの前に速報が来て、スマホ鳴動→な、なんだ?と画面を確認→緊急地震速報だと!?→とほぼ同時にガタガタガタと横揺れ、というタイミングであった。震源地も時間帯も阪神淡路大震災にさも似たりで、どうしてもあの時を想起させられた。
病院のチェックアウトタイムは早い。私が月曜9時までに入院センターに出頭せよと言われたのだから当然の話だが、退院者はそれまでにベッドを空けなければならないのだ。荷造りは昨日のうちにほとんどしてあって、朝食は7時半だから、素早く食べ終え身支度をして、8時ちょい前にははびーがやってきて、ロッカーの鍵と体温計を返却して、土日は医師の数が少なくて主治医はいないし、主担当の看護師も昨日の昼勤だったのでいないし、特に親しく挨拶する人もいないので、あっさりとさようなら。料金支払もまだ計算が済んでいないとのことで先送りになった。
娑婆に出た後は、週末の買い物をして、しばらく家で競馬を見てからランチにラーメンを食べに行き、ちょっとドライブして、日曜恒例の昼寝をたっぷりして、皐月賞を見て、実家で母の手料理ハンバーグをご馳走してもらって、とゆったりりと休日を過ごした。
しばらくは無理せずお大事に、と口々に皆さんに言われるし、そうおっしゃる気持ちはよくわかるし、私も入院手術をした直後の知り合いにはきっとそう言うと思うけど、正直普段から「無理」を回避する努力にかけては他人に負けない自信がある私としては、どうしたらいいかよくわかりません(笑
1週間ぶりに研究室へ。いきなり通常モードに戻すのは「無理をしている」と言われそうだなあと思ったので、普段より50分遅く起きて、電車ではなく車で出勤してみた。でも弁当は作った。だって弁当持っていかないとお昼に買い物したくても正門前の生協は閉まっているしコンビニまで歩くのは結構な距離があるしただでさえキャンパスはリア充(あるいはそのふりをした)学生で溢れかえっていて苦労することがわかりきっているのである。
1限はアカデミックリサーチスキル養成を目指した大学院の特別研究に2回目にして初参加。新任ポスドクの研究活動スタート支援の申請書と、AyaさんのRPD申請書について、それぞれの簡単なプレゼンを拝聴してからあれこれと討論。教員はもちろんベテランを中心に院生や研究員もよく発言していたし、何より多様な観点からのコメントが出てくるのがとても面白かった。まずまずはよい滑り出しか。といっても、本番は来週から始まるPDとDC申請書の合評会であろう。
午後はリサミ。ゼミメンバー全員が学振にアプライすることもあり、その〆切が終わるまでは月曜の輪読ゼミはお休みにして週2ペースでリサミをすることになった。今日はM2sのグルダイ大会論文集原稿の最終調整。なんとかかんとか、二人ともまずまず満足のいくレベルの内容で投稿できるところまでこぎつけた。もちろん、優秀発表賞を狙うつもりで頑張った。
今年の卒論生は15名.昨年同様ログをつけながらゼミをやる.就活による欠席者は2名.それぞれまだ進路も卒論もレベルの差こそあれもやもやした状態のようだが,週1回ゼミに出てきて強制的に進行状況を(たとえまったく進んでいなくても)報告し,互いに共有することが,進めていこう,いかなければ,という推進力になると信じている.
午後はひたすら書類仕事+授業準備とKSPの資料整理.KSPの紙ベースの資料がほぼ400回分すべて整理できたので,必然的に電子化しようというプロジェクトを立ち上げてしまった.自分で地道にスキャンする程には暇ではないので業者に外注するのだが,そうなると当然ながら先立つものが必要である.偉い先生にご相談して,少なからぬ方に寄付をお願いしていただいたところ,幸い手当てはついたので,来週に発注の予定.少しでも節約のためにと電子資料の提供をお願いした100名超の方々のうち,これまた少なからぬ方から温かいお返事と資料送付をいただいたので,これらは自炊対象から抜くことができる.これも木下御大の存在があるおかげである.ありがたい.
それにしても,このところ怪我したり入院したりと災難続きである一方で,幸せな出来事も数多くあってうれしい.禍福はあざなえる縄のごとしとはこのことか.
朝一の初回学科会議を見事90分以内で終えて、ほぼその足で3年生ゼミの初回へ。今年は女子5名♪ 4年生の1/3で、やれうれしやと小躍りしたくなるレベルの少人数だ。
せっかくの少人数をうまく活かしたいのだが、なにぶん慣れないことなのでどうすればよいのか思案中。これまでは広く浅く社会心理学の概論について学ぶようにしてきた(というかそれが精一杯だった)が、一部のゼミを見習って狭く深くにシフトチェンジしようかと思っている。各人テーマを決めて概論→日本語論文→英語論文と3段構えで深めていってもらおうか。
というわけでテーマ決定の材料にするために、初回は自己紹介→オリエンテーションの後は1人12分の時間指定で、「社会心理学とは何か」と「その社会心理学の枠組みの中で自分がやりたいこと」についてプレゼンしてもらった。正直あまり内容に期待していなかったので、意外や意外、といっては学生に失礼だが、それぞれなかなかオリジナリティのあるいい報告をしてくれた。今後にも期待が持てそうだ。
またSPSSのバージョンが上がっていた。特に中身に変更がないだろうことがわかっているだけに、げんなりする。
受講生は100名ほどだったのでまた2教室展開。今年度から新しく導入されたLA(ラーニングアシスタント)制度を活用して、学部4年生(いずれも三浦ゼミ)2名が授業補佐についてくれることになったので、これまでより少しでも授業効率が上がればよいなと思う。かれらの提案により、座席は指定制にすることになった。どの受講生がどんな様子か、特定性を高めるためだ。昨年度はコピペレポートの出現などにyろいかなりの人数を不合格にせざるを得なかったが、今年はできれば全員に単位をすんなり出したいものだ。
この2年間は東日本大震災を例に取った社会心理学の概論的な講義を展開してきたが,今年からは枠組みを変えて、対人行動と集団行動に関する「代表的な」 ×「私が好きな」理論について、英語論文を紹介しながら解説するというスタイルをとるつもりである。昨日のゼミもそうだが、ここも「狭く深く」がコンセプトになるのかもしれない。
受講者は登録者が200名。人数が多いのはゼミ生の卒論データ収集のことを考えればうれしいことだ。今日はおおむね静かだったが今後どうなるか。兵庫医大との単位互換で受講している学生もいるようだ。
ポスドクayaさんのRPD申請書はぼぼ完成。学内〆切は22日。
ポスドク戸部ちゃんのPD申請書を検討。大筋はよさげなので、その魅力をどうやったら審査員にアピールできるかについてみんなで議論した。彼女はDC1ホルダーでもあるので、当時の申請書を見せてもらい、その頃周囲から伝授された極意についてM2sに教えてもらった。特により若い世代の申請については小さくまとまっても仕方がないので、大きな夢とそれに向けた着実な3年間のステップの両方を生き生きと語れる申請書になるとよいと思う。
入院から復帰した1週間が終わった。まだ下腹は傷口あたりは触れば痛いし、排便前は腸に痛みを感じる(嚢腫が大腸に癒着していたのを引っぺがした後遺症と思われる。排便後は雲散霧消する)ものの、それ以外に特に気になる症状もなく回復の傾向だと思われる。授業で90分がっつりしゃべると疲れるけど、それは今に限ったことではない(笑
入院している間にソメイヨシノはすっかり散って葉桜になっていたが、他にもキャンパス内にはいろいろな春の花が咲き乱れていて、それらを眺めて歩くのは楽しい。桜で言えば八重桜は葉っぱがちょっと出ているのと組み合わせると桜餅みたいで美味しそうだし、研究室の窓の外にある竹林にはなぜだか大きなシャクナゲの木があって満開だし(灌木タイプのものはランバス記念礼拝堂の裏手に3本くらいある)、ハナミズキも白と濃いピンクので見た目に違いがあって面白い。今日は急に冷え込んで風も冷たかったが、例によって早朝にうろうろして写真を撮ってみた。
金曜日は今年も唯一の講義がない平日。木曜日の各論Bの準備が全然できていなかったので気合いを入れて。ようやく展開が見えてきたので後は一気に、ということで4回分(2テーマ×2回)を作った。といっても、ゼロから書き起こしたのではなく、2006年の自分に感謝、なのだ。
16周年。黄玉婚式らしい。黄玉とはトパーズのことなり。
まずはちょっぴり贅沢にランチしようか、ということでいつものブルディガラへ。予約なしで開店の11時に突撃、がいつものセオリーである。ここは、そんなに高くないのに安定した味がして、天井が高くてテーブル間が割とゆったりめで、サービスのスタッフがきびきびと気が利いているのがとても気に入っている。普段は前菜+パスタ+パンのミニマムなセットを食べているが、今日はメインとデザート+コーヒーもつけてみた。やはり一番美味しかったのはパスタ☆
次なるは、うめはん。結婚記念日恒例の16×1000円=16000円プレゼント交換のために制限時間1時間で探索タイム。阪急はメンズの商品はほぼすべてメンズ館にあるということに気がついたのはスタート後で、これはしまった、と思ったが足を伸ばす気にもなれず。こうなったらワイングラスしかない、と家庭用品売場をうろうろ。私は以前自分専用のバカラグラスをもらったのが、はびーには専用のがなかったのだ。同じくバカラ…はちょっと予算オーバーなので、リーデルに行ってみる。こちらは安すぎかと思ったが、ハンドメイドのシリーズがちょうど予算ぴったりあたりの価格で並んでいて、あまり迷わずこちらを購入。
私に遅れること20分ほどで購入を済ませたはびーと合流して、次は少し雨がぱらつく中を茶屋町方面へ。シアター・ドラマシティで毎年恒例のシティーボーイズライブ「西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を」に参戦。せっかく目を引く長ったらしいタイトルをつけたのに村上春樹にお株を奪われた感があるのは残念だったw 今年は作・演出が宮沢章夫で、いつもに増して放送禁止的な内容が多かった。追ってWOWOWで放送されるはずだが、後半はほとんど無理なのではないだろうか… 60過ぎたおじさんたちが大声張り上げ舞台狭しと駆け回る光景は見ているこっちが息が切れそうになった。また来年もお会いしたいものだ。
帰宅後、プレゼントを交換。はびーからはスワロフスキーの鳥さんの置物(ペア)と値段調整のためのおまけぬいぐるみ(こちらも鳥さん)をいただきました。盛りだくさんで充実した一日だった。
毎年恒例となりそうな関大・岡田先生のお宅にお招きにあずかるホームパーティに参加した.husの後輩な谷本なっちと,今年はそのご夫君でありhusの同級生かつ現在の学部違いな同僚である関君とその息子さんも参加.そして関大社会学部長であらせられる小川博司先生もみえて,岡田さんご家族(除く長男君)と共に賑やかなひとときを過ごした.私はうめはんで仕入れたミックスナッツと果物,なっちはご近所で買ってきたロールケーキを持参したが,一方岡田さんはお手製のゴーヤーチャンプルー,小川先生もお手製のパスタをほかほかの状態のままタッパーに入れてご持参くださり,これがまたどちらもとても美味しい,という一般的な性役割的には面白い構図だった.ちゃちゃっと料理が作れちゃう男子って,いいよね.
ちなみに本日まで禁酒中につき,酒抜き.
16時半頃に岡田さん宅を辞して,夙川→梅田(大阪)→森ノ宮→緑橋というルートで2つめの宴会会場に移動.今度はこの4月に社学に新しく赴任した稲増君の歓迎会だ.社学の社会心理の皆様には何かと気にしていただいていて,いつもこういう集まりにお声をかけていただけるのでありがたい.
今日も会場は吉田先生のコレクションの中から選りすぐりのお店「じょうじ」である.緑橋というのがどこなのかはさっぱり見当がつかなかったが,森ノ宮から中央線で東に一駅行ったところで,つまり中央大通沿いだった.車で何度となく(多分IKEA鶴浜に行く時あたりに)通過している辺りなのだろうが,そこに緑橋という駅があることも,そこが東成区なことも知らなかった.
中央大通から一筋入ったところに忽然とあるその店は,中は大いに賑わっていた.座敷に7名で陣取り,美味しい料理と…ウーロン茶をいただく.こんな状況でも本日まで禁酒中につき,酒抜き.稲増君は30余年を東京で過ごしてきた初関西な方なので,この際是非その楽しさと面白さを覚えてもらいたいものだ.
研究費執行に関するルールが諸々変更になったということで,事務方が開催する説明会に参加した.大きな変更としては,大学から支給される個人研究費が一括前払い(残ったら次年度に返金)から都度払いになったことと,科研費の間接経費が複数分まとめて1つに扱えるようになったことと,源泉徴収の計算率が変わったことの3点.
1点目は,1年分の領収書を保管して記録をつけて会計報告書を出し,出したら出したで何のかんのと(例えば印鑑は作ってはならぬ,とか,本棚を買ったら本当に必要だという一筆を出せとか)言われた挙げ句に最終的に認めてもらえなかった経費を返金に行かされるという恥辱プレイを強要されていたのに比べたら随分と手間/心理的に楽である.2点目も大変合理的.3点目はこれまでの「一律10%」がいかに取りすぎであったかがよく分かった.もちろん源泉徴収分も研究費から出していたので,随分と損をさせられていたことになる.改善されて何よりだ.
しかし眠かった.
夜は京都は四富会館にて快気祝い.四条通の烏丸と河原町の間くらい(富小路通)を北にひょいと折れたところにある,10人も入らない小箱の店がみっちり詰まった食堂街だ.といってもこれまでその存在も知らず,識者に「京都のディープな店といえばここ」ということで教えてもらって突撃した次第.見た目何の店があるか分からないところが怪しげでよい.
私たちが入ったのはこの写真にはない(つまり2009年10月以降に入った)「食堂 清水」というお店.せっまいカウンターに詰め詰めで座って,お魚中心の料理をアテに,ビール(キリン・ブラウマイスター)と日本酒(秋田県日の丸酒造「まんさくの花」)をいただく.はい,今日から飲酒解禁☆ 美味しいお酒と美味しい料理と美味しい話題があるのが,この世で一番の幸せですな.快気祝いはお互い様のはずなのに,ご馳走にもなってしまった.ありがとうございました.それにしても,ほんの数年前まではこの業界で一番おそろしい(畏怖というより明確に恐怖)存在で話しかけることすらままならなかった方とこうして飲み交わすようになる日が来るとは、世の中とは面白いものだよ。23時前に散会.
二日酔いではないが、若干酔っ払っているような気分のまま出勤。
2限の卒論ゼミは、特に「何か持ってこい」と事前の個人指名はせぬまま行き、きっと誰も何も持ってきていないから次週はさすがに指名が必要だな、と候補者を思い描きながら部屋に行ったら、既に資料が2組置いてあった。その意気やよし。それ以外の学生もそれぞれなりに頑張っているようで、悪しき下方比較を心配する必要は今のところなさそうだ。就活の状況が去年より好転しているのか、はたまた今年の学生の方が企業受けがよいのか、内定を獲得した学生もぼつぼつ。早く卒論に打ち込める環境が整うのは何よりである。次回資料持ち込み指名は4名。
学振申請の評価書2通目を作成。
本人の提案をベースにしつつも基本的にはすべて自分の文章で書き直した上で、「私はこの人物をよく知っている。よく知っているからこそここまで褒めるのだ」という説得力を高めるための具体的なエピソードをそこここに散りばめる。通り一遍の評価書など書きたくない。学術論文とは違ってあらゆる言辞を断言調で書き通せるのは爽快だが、疲れる作業だ。気が乗らない人の評価書はよう書かんなあ、と痛感。
残りはDC1の2名。ひよっ子ちゃんを褒めるのは現状を語るのでは難しく、可能性に賭けなければならないのでさらに難しい。気力を奮い起こして頑張らねばである。
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2限は3年ゼミ。ガイダンス。プレゼン方法と内容について指示し、DropBoxのアカウント取得+共有設定をしてから、ラボツアーを兼ねて院生やポスドクと対面してもらった。いずれも実験実験実習の非常勤やTAとしても関わることになるので、タテコンなどなければ接点のない4年生よりむしろ親しむのが早いかもしれない。
3限はオムニバス「行動科学入門」の担当回。いつものように社会心理学とは何かについて語る。今年は同調実験の回。だんだん堂に入っては来たが新味がいまいちないので、来年は言及する研究を追加したり別の実験を紹介したりしたいが、他の科目よりは若干優先順位が低いというのが正直なところ。ほとんどが1年生の200名超という割には静粛が保てていて何より。
4限は心理科学統計。SPSSを本格的に使い始めた。大福帳のコメントを読むと「ついていくのに精一杯だった」「復習しなければまずい」「次は予習しなければならないだろうか」…ってちゃんと初回に「予習復習が前提」って言うたやろがぁー!!!!! まあ、思い知ったなら今度からは是非そうしてください。
4月は学振申請スクランブル体制のため、月木午後はみっしり検討会。先週でRPDが終わったのでPDとDC1に本格的に移行した。戸部ちゃんのPD分はかなり書けているのだが、DC1は当然予想通りどう考えても確実に頼りない。申請書の類を書くのは早くも3回目だが、これまでのとはモノが違う。相当に言葉を尽くして「申請書とはどういうものか」を語り聞かせているつもりだが、そうそうすぐに内容に反映されるものでもない。もちろん今のところそれでよいのだが、今後、半月少々の間に訪れるであろう今年度2回目の修羅場を考えると腸捻転になりそうだw
DC1の二人は来週月曜の特殊研究で内容のプレゼンの順番が当たっている。同僚や他の院生・研究員たちに遠慮なく叩いてもらえるのが楽しみだ。
朝から猛烈な集中力を駆動させて非生産的な仕事のお片付け。もったいないなあ。
昨年度まで頂戴していた挑戦的萌芽科研の分担者分の会計がようやくまとまったので(相手の所属先機関の処理の速さに依存するため、ずっと待ちの状態だったのだ)、4月当初にアクセス集中に耐えられず多くの研究者を多大なストレスに晒したe-Radに久しぶりにアクセスして、そこでしか作れない2種類の書類を作成。そう、先般の事件は、提出書類をここでしか作れない仕組みにしてしまったがために生じたのだった。今日は特に重くもなくスムーズ。提出ボタンをクリックして事務に確認を依頼した後は、手元で作成する方の報告書の総仕上げ。英語の要約がめんどくさくて投げそうになったが、投げる方がよほどめんどくさいと思い直して完遂。
このところ昨年度末までの始末と今年度からの新規分の諸申請で私もてんてこまいだが事務もてんてこまいのようである。ほとんど季節労働とはいえ、お疲れ様です。
夕方はゆったり2ヶ月ぶりの美容院。再来月に移転するのだそうで、あれこれと顛末に関する話を拝聴した。今の店は一人+αで切り盛りするにはいかにも広いので、10坪3席ほどの小さめの店を現在地から徒歩3分のところに家と一緒に新築するのだそうだ。しやくそ至近の街中心部なのによくぞ空き地が見つかったものだ。そして現在地は居抜きで別の店主による別の美容院になるのだそうだが、次の店主にしばらく鏡1台分貸して慣れてもらうつもりだとか。マスターはなんとも昭和風の義理人情に篤い人だ。
髪型はこれからの季節にふさわしく少々短めになった。
世界市民を育てることを旨とする甲山では4/29、5/3、5/6が授業実施日なので、まったくGWとは無縁で普通の土日のみがお休み。あまりに気分が出なさすぎるので、5/3だけは(授業日ではないので)休もうと思う。ちなみに弊社のライバル同志社は6日まで完全にお休みらしい。もちろんその他の部分でちゃんと帳尻は合うようになっているのだが。
午前中は今日確定した履修者名簿を見ながら、座席表を作ったり、レポートの割り当て表を作ったり。各論Bは209名で、授業内試験ができる人数(今の教室で1つずつ座席を空けて着席させると224名収容となる)に収まってくれてよかった。
ランチはタージマハルエベレストで日替わりランチ。相変わらず美味しい。昼寝を挟んで夕方は茨木市駅近くの雁飯店へ。どうにも昨日から餃子が食べたくて仕方がなかったのだ。オーダーして1分もしないでまず餃子2人前が登場したのは京都王将並みで驚いたが、他の料理も次々出てきてあっという間に食事は終了。駐車料金が30分100円で済んでよかった。
心の愛馬ゴールドシップ応援のため、京都競馬場で開催される天皇賞・春(GI)に参戦。
菊花賞・有馬記念に続き指定席抽選には敢えなく外れたため、当日発売の列に並ぶことになった。こちらにあるのが菊花賞の際に同じ京都競馬場で同じ特A指定席の列に並んだ際のレポートだが、JRA公式によれば昨年の春天は特A整理券終了が4時56分であること、2ch競馬板あたりを調べてみても今年も相当早いタイミングになりそうなので、さすがに夜明かしは無理だが若干早めに出ることにした。
3時半に起床、3時50分に自宅を出て、5分で茨木IC、名神で大山崎ICまで10分弱。そこから競馬場付近までは5分の距離だ。菊花賞の際に停めた駐車場は満車だったので、より競馬場に近い=若干法外なほど高額な駐車場に停めて、徒歩5分で競馬場へ。つまり4時20分ちょい手前に到着したわけだが、既に長蛇の列ができていた。や、やはり。菊花賞では寒く暗い中をブランケットをかぶって数十分を過ごしたのだが、今日は4時半に整理券が配布され始めたため、何をする余裕もなかった。つまり、歩き始めた後で気づいたもっともっと安い駐車場に車を停めかえたり、コンビニに行って朝食を調達することはできなかった。当然、のんびり電車の始発で来た人は間に合わないだろう。お弁当を持参しておいてよかった。獲得した整理券ば43番と44番。前回と比べて30番ほど遅い。京都競馬場の指定席は前方が午前中に直射日光に晒されバッドポジションなのだが、当然のようにその区域しか空いていなかった。後で知ったことだが、整理券配布終了は4時46分だったそうだ。
2時間ほど場内ソファで時間をつぶし、6時半にチケット発売発売開始。割り当てられたのはゴール手前の前から3列目。座席のある一帯はさんさんと日が当たっていたが、菊花賞の時と比べると太陽が早く高く昇るので、あのときのように午前中はほとんどまぶしくて暑くておられへん、というようなことはなかった。念のためにパドック側のソファにも席を確保しておいたが、結局朝ご飯に持参の弁当を食べた以外はほとんど使わずに済んだ。
7時半に競馬場全体が開門。一般席を確保したり、レース終了後の夕方に開催される「ファンと騎手との集い」の席取りをしたり、パドックに横断幕を貼りたいような方々はスタートダッシュが大変である。我々も晴れて外に出られるようになったので、ターフィーショップでゴールドシップ+天皇賞グッズを購入。去年まではまったくなかったグッズが今はぬいぐるみからキーホルダーからTシャツからiPhoneケースから、大量に出ている。ものいりである(笑
院生の学振申請書に目を通し、コメントしているうちにようやく10時からレース開始。始まってしまえばそのリズムで時間が進むので割とあっという間である。3Rが終わった時点でお昼ご飯(いつもの吉野家の牛丼!)を買いに行き、お腹がいっぱいになると眠くなったので散歩に出たりして、メインレースを待つ。…しかーし、結果は、、、5着(泣 今までにないようなはっきりした「敗戦」だった。パドックでいつもよりおとなしかったとか、仕掛けが早すぎたんじゃないかとか、いろいろと思うところはあるが、勝負は時の運というところもあるので、仕方があるまい。とはいえ、天皇賞・春は祖父メジロマックイーンの勝った、そしてその父メジロティターンもまたその父のメジロアサマも勝った、シップは子ではなく孫だが伝統の「制覇すべき」レースだったので、本当に残念。また来年、だなあ。
がっかりなので、レース回顧もファンと騎手との集いもスキップしておとなしく帰宅。家に戻ってはびーが最初にしたことは、家中のレコーダを駆使して録画していた今日のレースの映像をすべて消去することであった(笑
月曜朝,始発の快速.いつもなら新大阪から始発のぞみで東上する単身赴任戦士たちがいるために他の曜日よりもホームの待ち客が有意に多いのだが,ふと気がつくと誰もいない.一瞬「時間を間違えて電車が行ってしまった後なのか」と思ったほどだったが数秒で気がついた.そうだ,今日は祝日なのだ.おまけに祝日ダイヤのために車両が短縮されていて,いつも待っている前方から2両目のところには来てくれなかった.しょぼん.
今日から自転車通勤を再開.2週間以上駐輪場に置きっぱだった自転車には特に異状なく,充電したてだった電池もまったく減っていなかった.運転にも特に支障を感じることはなく,これでほぼすべてが入院前に復したと言えそうだ.よかよか.
一般的な時間に電車a/oバス通学をしている学生たちは祝日ダイヤに相当やられたらしい.
今日,日本社会心理学会の常任理事会があったらしく,書類上は4月1日からだが実際のところは明日から,次期学会運営体制が発足することになった.私は新たに理事+「社会心理学研究」編集委員になった.昨年度末で任期が切れたグルダイ学会の理事+「実験社会心理学研究」編集委員とちょうど入れ替わりだ.編集委員は要するに投稿論文の主査を務め,副査を2人必死で探すお仕事である.理事は,よく分からない.常任理事ではないので,多分特に仕事はないと思う.常任理事を選出するためのサブジェクトプールだという認識なのだが,間違っていたら教えて下さい.目が潰れそうになってぎょっとするけどこのPDFはなかなか興味深い.
で,本来ならばやめるはずだった広報委員をもう1期務めることになり,これは実質的な仕事がたくさんある.広報委員は2期4年が基本で,3期連続務めるのは前代未聞(といっても発足してから10年も経ってない)だが,行きがかり上仕方がないというか,やめずにやりたい仕事もあるのでまあいいかという感じ.前々職場のホームページ委員会に始まり,広報系の仕事がたくさん回ってくるのは決して嬉しい話ではないが私に向いている役回りではあるのかもしれない.私からの副査依頼や原稿依頼を「断れない」人材を増やすという意味においても割と得をしていると思う.
具体的な質問項目案など持ち込み4名。欠席者1名を除いた10名については口頭で報告を聞き、適宜アドバイスを送るだけだったのだが、調査ができる授業科目の状況を説明したり、そもそも質問紙調査をする際にどういう心構えでいるべきか、的な講釈を始めたらつい長くなってしまい、準備された材料を検討する時間が短くなってしまった。しまった。
これまでの雰囲気からして、もうちょっとのたのたっと進むかな、と思っていたのだが、やばい、若干学生なめてたw という感じである。
彼は先週土曜日から来週月曜日まで豪華10連休である。以前はメーデーに駆り出されたようなこともあったが、最近はそんなこともないらしい。休日×誕生日なのに遅く帰るのも申し訳ないと思って16時過ぎには帰宅。ご本人は優雅に昼寝をしておられた。夕食は、手間がかかるので平日はまずは作らないハンバーグ。ばんごはんのおかず、といえばこれと鶏の唐揚げが好きという、小学生男子のようなはびーであった。Happy Birthday☆
Before...
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