日本社会心理学会の広報委員として関わった,東日本大震災に関わる日本社会心理学会の特設サイト「東日本大震災を乗り越えるために 社会心理学からの提言と情報」に関する新聞記事が,11月29日付朝日新聞夕刊(名古屋本社管内)とアサヒコム「MY TOWN愛知」に掲載されました.9月19日の大会シンポジウム時に取材を受けたもので,ごく短いですが私のコメントもあります.きちんと真意を伝えてくださっています.宮沢さん,どうもありがとうございました.
アサヒコム「MY TOWN愛知」 防災 異分野の知恵 http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001111300008
教員にあるまじきことにこれまで予防注射を受けたことがなかった(もちろん罹患したこともなかったが)インフルエンザだったが,たまたま両親と話していて彼らが受けに行く,というので自分たちもと受けることにした.数年前は順番待ちだのワクチンが足らないだのという話だったが,今はそれほどでもないらしく,2人1組なら近所のホームドクターに事前連絡をしておけば受けられる,ということだったのではびーも一緒に.なぜ2人なら受けやすいかといえば,ワクチンのアンプルが1セット2人分であるかららしい.なるほど.
18時〜19時半の間に来て下さい,とのことだったので18時半過ぎに出かけた.問診票を書いて,熱を測って,40分ほど待って(この医院は朝イチに行かなければびっくりするほど待たされることがある),診察(心音+喉の腫れチェック)を受けてから,お注射.絶賛気管支炎中なのでNG出されたらどうしようと内心ドキドキしていたが,特に問題はなかったらしく,すんなり摂取してもらえた.採血みたいに肘の内側にするのかと思っていたら,意外にも外側だった.
摂取後は待合室で30分経過観察をして,ようやく終了.丁寧なことである.
日帰りで東京.寒くて雨が降るかもしれない,というので武装度を高めて行ったが,幸い雨には遭わなかった.寒いだけなら防寒さえしっかりすれば我慢できる.
今回は,珍しく学会や研究会や共同研究者との打ち合わせなどではなく,純然たる業務出張であった.タスクは企業との共同研究のネタになりそうな「技術」を30分間にわたって説明する,というもので,理工学部の先生方に混ざって一人だけ心理学から,という構成だった.ぐぐってみるとこの手のイベントをいろんな大学がしょっちゅう行っているらしいが,一体どんな人が聴きに来るのか今ひとつよく分からない.とはいえ閑古鳥ということもなく,人はそれなりにいた.それなりにはいたが,食いつきは鈍かった.もちろんこちらの話がかれらにとってつまらないせいかもしれないが,質疑応答の時間が明示的に設けられていないこともあり,ただ「話す」だけに終わった.まあ,いつかどこかで何かがあることをちょっとだけ期待しておくとするか.
滞在1時間ちょっとにしてお解き放ちになった.会場が四番町だったので靖国通りに出て,ケーキ屋さんに寄ったり,靖国神社で4対の狛犬を観察しつつ大きな銀杏並木がきれいなグラデーションになっているのを眺めたりしてぶらぶらと散歩.九段下から地下鉄に乗って,本郷へ.
東大キャンパス内も木々が色づいてとてもきれいだった.が,暗くなりかけていたので文学部あたりで危うくロストしそうになりつつ,工学部2号館へ.共同研究者の荒牧さんと宮部さんを訪ねて,1時間ほどディスカッションした.話している途中で館内放送が入り,「東電管内の電力消費量が93%を超えたので節電してほしい.95%を超えたら別途指示する」とのこと.工学部で実験施設が多く,そのため特にこういう放送が入ったのか,それとも全学的なことだったのかは分からないが,荒牧さん曰く「こんなこと初めてです」とのことだった.急に寒くなったせいかもしれない.
東大のいいところの1つは東京駅が近いこと.18時10分ののぞみに乗車.EX-ICカードのポイントが1000pt貯まったのでグリーン車にした.駅弁とプレミアムモルツを買って「出張帰り」を過剰に演出.午前中に卒論生に「添削希望の原稿があれば寄越せ」と告知したら4件のエントリーがあったので,そのうち2本の添削をして過ごしていたらあっという間だった.京都で降車し,長五郎餅を買って在来線で帰宅.
先々月に道に迷った挙げ句にこすった320君,泣いて謝った甲斐あってぺたぺたペイントだけでごまかしてよいのかと思ったら,
せっかくええ車やのに,修理せなあかんやろ
と言われて(いやそりゃそうなんですけど)結局バンパーを取り替えるために修理工場送りとすることになった.1週間の入院加療である.
市内の南の外れにある修理工場に車を置いて,3.5キロ歩いて茨木駅まで戻り,ランチは大阪にて.3月に開催される某パーティの会場候補として考えているXEX WESTに行ってみた.サルバトーレクオモグループといえば京都伊勢丹にあった店が以前気に入ってちょくちょく通っていたが,当時はチェーン名を冠しておらずカジュアルながら雰囲気のよい店(店名は「BAR」で,当時のブログ記事はこちら)だった.それがチェーン名を前面に出してリニューアルオープンした後は中途半端に「高級」になってしまったように感じられ,以降足が遠のいていた.しかし,今回はこの手の情報について一定の信頼のおけるソースからのお勧めがあり,有力候補として考えている次第.
予約もせずにふらりと行ったら,随分混み合っていた.待っている人々のほとんどはいかにも「女子会」という雰囲気の女性たちだった.ブフェもやっているらしかったがもちろんそんなのはスルー.5分ばかり待って,店の奥の奥の方に案内された.スタジオ風のオープンキッチンがあり,天井の高い広々した空間.ただし,賑やか.表現を変えると,うるさい.まあ,パーティならここを使うかどうかは分からない.プリフィクスのコースとワインはピノネリをデカンタで.サービスは可もなく不可もなくだが,料理は特に不満のないレベルだったので,後はワインの「本当の」品揃えがどの程度かを確かめれば,ここに決めてもよいだろう.心配なのは「案外会計が安かったこと」くらいか(笑
しかし,こういうリストランテとトラットリアの混ざったような何とも言えない不思議な空間は,イタリアにはない,ような気がする.
亡祖母の遺骨を御影の墓地に納めるため,一家揃って外出.久しぶりに行った御影霊園は,記憶にあるよりきれいになっていて(新しい墓が増えていて),北には紅葉する六甲山系,南にはきらめく瀬戸内海,という眺望もばっちり美しかった.ここを死者のために死守するというのは若干モッタイナイ気分になるほどだ.墓石をどかして見ると,30年以上前に亡くなった亡祖父のお骨はまだきれいに残っていた.冷たい御影石の中に保たれていると,ほとんど劣化しないらしい.お坊さんを呼ぶでもなく,皆それぞれでおまいりして,簡素に終了.
お食事は御影ガーデンシティの大蔵白仙という寿司懐石のお店へ.墓場で食べログ検索→電話予約という超適当な選び方だったが,まずまず手堅いところであった.
せっかく神戸に出向いた+タイミングがちょうどバーゲン開始直後だったので,年に1度か2度しかない「お洋服を買う日」を実行.母が親しい担当さんがいるお店なので,やや品揃えは年寄り向き偏重気味なのだけれど,品質はよいものが揃っている.普段店員に話しかけられることすら嫌な私だが,ここだと安心して担当さんが持ってきてくるものを取っ替えひっかえ試着して,んーこれがいいなと,もっとこんなのが欲しい,と気楽に言えるのだった.はびーもソファにどっかり陣取って「そんなのいつ着るかが問題や」とか「僕ならこれ」とかあれこれコメントしていた.1時間ほどあれこれお試しして,セーター2着とジャケット1着を購入.
フロインドリーブに寄って,このたび正式に判明した後輩の出世祝いにシュトーレンを購入して帰宅.日曜午後なのにお客の姿はまばら(ただし,カフェには待ち行列あり)だなと思っていたら,そのうちにツアー客らしき方々がどっとなだれこんできた.タイミングを外さなくてよかった.
12月も第2週目に入り,ようやく大学周辺の木々も全体的に美しく色づき始めた.甲山も真っ赤に…なっているのだが,何分早朝ではよく分からない.
週末に新聞広告を見ていて,この作家の新作が出ていたのに気がつき,早速購入.「蠅」→「蛍」の連作である.彼のテーマの一つは「戦争」,特に第2次世界大戦にあるが,この著作もそれに連なるものらしい.「軍医であった者たちが『日本医事新報』に寄せた回顧録をもとに,小説仕立てで戦争の様相を描いている」とのことだから,比較的ノンフィクションに近いものなのだろう.
まだ「蠅」の1/3くらいしか読んでいないが,内容は15名の日本人医師(軍医)による第2次世界大戦の戦中戦後の活動を描いたアンソロジーのようだ.「蠅」はいかにもみな途中で終わっているので,これらがすべて「蛍」で完結するといことかもしれない.読んでいないので推測である.「蠅」は広島原爆直後の爆心地周辺で病理検査にあたっていた医師を描いた短編から名付けられたもののようだ.彼の筆致でこうした場面について描写がなされるのだから,相当にエグイ.目を背けたくなるが,それでも読みたくなる,というのが私にとっての帚木作品である.
卒論提出まであと2週間.
ゼミではタイトルを決定.まずは学生たちにそれぞれアイディアを出させて,全員で検討.ふざけたタイトルはいけないが,どれもこれも毒にも薬にもならないようなものでも面白くない.ほどよく数本がちょっとユニークなものになった,かな.タイトル負けしない内容にしてもらいたいものだ.
そして15名のうち8名の原稿が集まった(というより,無理矢理に近い形で週末に添削できなかった学生の分を提出させたのだが).ゼミ終了後,ひたすらチェック.読んでて楽しいものもたまにある.特に論を起こす部分でのセンスは「ある人にはある」のが面白い.それが当然考察にも反映される.残念ながら結果の記述あたりは大同小異で,センスを感じるケースはほとんどない.まあ,そんなの卒論に限らないな.
結局帰りのバスや電車の中でも頑張ったが,5名分しか添削を終えることができなかった.
出勤途上の電車内でも昨日の添削の続きを熱心にしていたら,ふと気がつくと,
次は,芦屋〜
のアナウンス.見事に乗り越してしまった.すぐに折り返しの普通電車で西宮に戻ったが,当然バスにも乗り遅れた.
今日の学科会議で,来年度にとあるお役目を引き受けることになった.たいてい押し付け合いになる某ポストである.若手×教授×確たる配慮すべき状況なし,ということで私にお鉢が回ってきた.どうせ近いうちに引き受けざるを得ないだろうと思っていたし,変に嫌がっていたずらに会議を長引かせるのもくだらないので,下品なギャグを一発かました上で,お引き受けした.オムニバス科目の代表者やら,諸行事での挨拶など,細々した仕事が増えるのはさほど苦にならないが,全体としてどの程度のワークロードになるのかは正直よく分からない.
まあ,こうなったら学科の「あさりん王朝」化でも目指すとしよう.
今日も引き続き卒論生のお相手.
午前中は,昨日原稿を添削していて発見した「重大なミス」を解消するために急遽呼び出した学生.ある社会的場面で出会った見知らぬ同年配の女性,という設定で3枚の化粧の濃さの異なる刺激写真を見せて,どれが「もっともその場面にふさわしいか」を1〜3の順位でつけさせたデータ(つまりいわゆるイプサティブデータで,2週間ほど前は,これの分散分析をどうしたらよいかで悩んでいた…解決した)なのに,平均値を見ると1点未満のものがある.思わず目を剥いて,他の個人的好ましさなどのデータ(こちらは各写真について5件法による回答を求めている)も確認してみると,これもどう見ても直感に合わない「低すぎる」データが並んでいる.SPSSの出力と照合してもやっぱり合わない.何なのこれは,と本人に確認すると,
「よりふさわしい方が点数が高くなるように点数を変換したんです…」
とのこと.なるほど,それならそうとして,どういう変換をしたのか,とさらに問い質すと,
「3から回答値を引きました…」
とのこと(--;) 1か2か3を取るデータを逆転させるのに3から引く++(2字伏字)があるものか.各刺激写真の絶対評価の方も,予想通り5からの差をとっていたので直感と合わないデータになっていたのだった.他にもいろいろと結果の記述がこんがらがっていたのを解きほぐすと,結局話は,
「で,どのデータやシンタックスが最新なわけ?」
などという話に行き着く.人のことは言えないが,このあたりの細かいことを随時きちんと整理しながら進めないと,いよいよ切羽詰まってきてから何が何だか分からなくなって,意外に時間を食ってしまうものだ.多分当該学生は徹夜して明日の卒論添削大会にやってくるに違いない.
事ほど左様に,毎年繰り返される卒論騒動がそろそろ盛り上がりつつある.明日で一区切りとできる学生が何名か出てほしいともくろんでいたが,この様子ではおそらく難しいだろう.
11月18日の第1回に引き続いて,PDのayaさんにサポートに入ってもらって,第2回卒論添削祭を開催した.午前中は秘書ちゃんにも手伝ってもらい,引用文献のチェックや誤字脱字の確認などをしてもらうというおまけつき.秘書ちゃんも本来の身分はお隣の大学の卒論生なのだが,しっかり読んでくれて,同輩としてののアドバイスをしてくれた.ゼミの担当教員こばちから「ゼミでも友達の発表になかなか的確かつ厳しいコメントをしている」との話を聞いていたので当日思いついての起用だったが,想像通りの働きぶり.感想はと聞いたら,
大変緊張いたしました☆
とのことだった.
で,われわれ二人は前回と同様9時から18時前までほぼぶっ通しで15名のお相手.午前中の時間帯を指定された学生たちはほとんど徹夜に近い状態で「頑張って」は来ているのだが,まだいずれも完成までにはもう少し距離があるという感じ.中には最近うっかりケアを怠っていたらとんでもない分析をしている学生もいて,全面やり直し!を通達.序論の流れを見失い,社会的促進の実験をしているはずなのに社会的手抜きの研究について延々と書いてしまう学生もいたり.誰しもが多かれ少なかれ迷走するのだが,迷走パタンが人により異なるので,それらすべてに付き合って正道に導こうとするのには非常なる精神力を要する.来年はあと3人増えると思うとため息が出る.どこをどうてこ入れすべきか,早めに考え,実行しよう.
oritakoさんとargさんとで「なんか知識共有コミュニティに関する研究をする人たちが一同に集う機会があってもいいんじゃね?」という話をしたのがきっかけになって始まったワークショップが早いもので4回目を迎えた.言い出しっぺの一人ではあるがプログラム委員として論文の査読をするだけで運営に直接タッチしたことはなく,今回もニフティの田代さんにご尽力いただいて東北大学〜秋保温泉での開催となった.4回目にして初めての合宿形式である.秋以降2度の震災被災地視察を経て仙台空港に降り立つのは3度目.人生に稀なる頻度だ.今回は初めて空港アクセス線を利用し,仙台駅経由で東北大学川内キャンパスへ.バスが大混雑で仙台駅から積み残しが出るという状況で,いかにも大学関係者らしい若者以外におじさんおばさんが大量におり,どこで何があるのかと訝っていたら,みな美術館で下車.どうやら「フェルメールのラブレター展」が巡回してきていて,しかも12日までらしかった.道理で,と納得.
研究会は招待講演,パネルディスカッション,研究発表と盛りだくさんの内容で,私も科学リテラシーと原発事故情報収集に関するパネルデータの成果を報告.基本的には社会心理学会で発表したが論文集に掲載していなかった分をちゃんと論文として残しておく,という趣旨で行ったのであまり新味はなかったが,それでは発表していてもつまらないので,急遽社会人データのざっくりしたデータも合わせて報告した.その場で急遽分析したこともあり,やや内容がとっちらかってしまった.ちょっと反省.
夕方は送迎バスに揺られて秋保温泉に場所を移し,夕食+招待講演+ディスカッションという構成のナイトセッション.夕食でお酒が入って眠気をこらえるのが少々大変だったが,午後の招待講演と共に,災害対応の緊急の仕組み作りと平時の対応のバランスをどう取るか,有事に対する備えとして平時にできることは何か,あるいはそれが果たしてあるのか,という私にとっても現在目の前にある問題について,深く考えさせられるよい機会となった.
ナイトセッションは22時に終了し,その後温泉にゆっくり浸かったり,女子部屋の参加者の皆さんと歓談したり,時には外に出て皆既月食を観察したりして,久しぶりに1時まで起きていた.
皆既月食は欠け始めにはよく見えたのだが,皆既になる前に雲がかかってしまい,その後は雲間にうっすらちらちら見えるだけだったので,ちょっと残念だった.調べてみると来年5月21日7時半頃には滅多に見られない金環日食が大阪でも観察できるようなので,今からとても楽しみだ.
6時過ぎ起床→温泉.周りの方々は7時頃まですやすやとおやすみであったが,年寄りはそんなに長く寝ていられないのであった.同室の方々のうち二人はM1やM2で,もうはっきりと娘世代なのである.うぎゃ.7時半に朝食.バイキングではなく,一般的旅館にありがちな風景として,なんでもかんでもお客様のご要望にお応えしようと頑張った結果,無秩序に盛りだくさんになった,という内容だった.充分な量のおかずに加えて,ごはん+小豆がゆ+きなこもち+クロワッサンってどんだけ炭水化物過多w 実は昨夜の夕食も同様であったが,食べ残してしまうのが申し訳ないところだ.パンはほとんど誰も食べなかったので,ビニール袋に入れて持ち帰らせてくださった.
午前中に最終セッション.われわれの莫高窟プロジェクトの途中経過についても報告させていただいた.まだ「乞うご期待」としか言えないのだが,年度末報告会も無理矢理日時を設定して自分を追い込んでいるところである.
通常スケジュールでは昼食後に13時に宿からバスを出して仙台駅(仙台空港までは空港アクセス線で20分ちょいかかる上に,ダイヤがそれほど頻繁ではない)まで送ってくださるのことだったのだが,15時の飛行機を予約していたので微妙にリスキーと判断し,12時前に高槻M君と二人で早引けさせていただいた.路線バスは実にのんびりと客を乗せたり降ろしたりしながら田舎道を進み,駅まで1時間以上かかってしまったが,飛行機には余裕で間に合った.結果的には昼食→バスでも間に合った(という参加者が14:30のANA便に乗っていた)らしいのだが,まあ結果論ということで.
空港ではおみやげに「牛タン丸ごと1本500g」というお土産を購入した.前回の被災地視察に同行した私以外の3名(高槻M君,貴公子,こばち)が揃って購入し,揃って絶賛しているというので真似してみたのだ.既に下ごしらえがしてあるので焼くだけでいいらしい.単なる口コミ情報ではなく,食という意味において属性が互いにやや異なる3名が独立して高い評価を与えている,というのがポイントだった.おいしくいただくべし.
きれいな晴天で迎える週明けは少々寒くても清々しいものだ.今日はちょうど月が西に沈んでいくところで,夜明けの空に輝いているのを眺めることができた.
ナカニシヤ出版より『ミス・コミュニケーション』が刊行された.9月予定が11月に,さらに12月までずれ込んでしまった.9月→11月は校正遅れだったそうだが,11月から12月になったのは出版社担当者と編者先生とのミス・コミュニケーションが原因だったとのこと.
本書でいうミス・コミュニケーションとは,コミュニケーションが大得意な未婚女性…ではなく,コミュニケーションが必ずしもうまくいかない,あるいは,それが当事者に的確に認識されない,といったケース全般のことを指す,らしい.必ずしも一般的な言葉ではない.さまざまな対人関係,社会的文脈で起こりうるミス・コミュケーションを取り上げ,どんな原因で生じ,どんな問題を引き起こしうるか,そして防止策はどう立てたらよいのかを論じる,ということで,私は,CMCにおけるミス・コミュニケーションについて執筆させていただいた.CMCの特徴をミスコミという観点から眺め,分かりやすく概説することを心がけた,つもりである.
まだ本日時点でAmazonには登録されていない.このご時世,こういう状況だと広報のタイミングが測れなくてちょっと困る.
〆切1週間前となったが,まだゴーサインを出せた学生は1人だけ.2限のゼミでは全員に現段階での原稿を持参させて,相互に読み合わせをしてもらった.本当ならもっと早い時期にそれをして切磋琢磨を願いたいところなのだが,人数がたくさんいるとそうそう足並みが揃わない.ようやくほとんどの学生はなんとなく論文の体裁をなしてきたので今さらながらの作業となった.
それぞれが黙々と仲間の原稿を読み,誤字脱字など細かいところを中心にチェックしている中,私は引用文献リストのみを見てひたすらに赤入れ.本文との対応関係やら本当にこの書誌情報で正しいのかなどを確認していたら大変なことになるので,明らかにこりゃ抜け漏れ/間違いだろうよ,というものだけを指摘するにとどめた.細かいミスは誰しもある(私自身だって未だに絶滅させるのは難しい)が,何も言わなくてもそれなりにちゃんとした体裁のものを書ける学生とそうでない学生の落差は激しく,当然本文の質の高さとの相関は高い.一方で,普段の「真面目に勉学に励んでいる様子」とは必ずしも相関しないから面白い.ともかく「そうでない学生」には本当に心の底から,
君は4年間ここで何をやってきたのだね
と問いかけたい気持ちになる.実際本人にもそう伝えているが,誰がやったか君の卒論,という話だ.
いよいよ年末も押し迫り,秋学期の授業も残り1〜3回を残すのみとなった.今年はカレンダーが複雑で,火曜日科目だけは12/20と年内に終了してしまう一方で,月曜日は別の曜日に「みなし」でやらないと終わらないという状況だ.今日も水曜恒例の多忙日で,さらに卒論添削祭も重なって慌ただしく過ごした.
3限の心理科学基礎統計は最後のセクションに入り,相関について講義している.今日は外れ値だの擬似相関だの選抜効果だの,解釈の際の注意点について縷々述べた.その中で「風が吹けば桶屋が儲かる」のたとえを出したのだが,大福帳のコメントに,
おけやって何ですか
と書いてあるものがあった.まあ,私だって実際にこの目で「桶屋」を何度見たことがあるかというと心許ないくらいだから,平成生まれの学生たちが面食らうのも無理はなかろう.フレーズだけ出して因果の連鎖を説明することはしなかったのだが,多分それを縷々述べても通じなかったに違いない.目が見えない人→三味線→猫→鼠→桶のそれぞれのパスがつながらない(かろうじて猫→鼠は類推可能だろうか?)と思われる.もっと現代的な良いたとえ話はないものだろうか.
夕刻からは会議.なぜか3週連続で教授会があるのだが,誰のどういう陰謀だろうかw 教授会だけと思い込んでいて,さすがに3週続けてやったらもうネタないやろ=早く終わるやろと高をくくっていたら,研究科委員会と臨時研究科委員会(博士論文審査委員会)もあって3階建てだったのでショックを受けたが,幸い,いずれもそれほど遅くはならなかった.なお,博論は10を越える本数のものが提出されているため,いかにして的確かつスピーディに学位認定を行うかが真剣に討議されたのであった.
授業と会議でバタバタしているうちに,卒論の添削待ちラインに5人ほど並んでいたので,帰りのバス+電車での添削作業を敢行.ここまで来るとそれほど多く口出ししなくても良くなってきたので効率は以前よりよい.それでもなかなか…なものもあって,困ったところだ.
今日までに3人提出.2人が最終段階あるいは直前.まだ残り10名...
これを書いているのは16日の20時前なのだが,既に15日など遠い昔のことのようで,何があったか詳細には思い出せないw ランチミーティングとか会議とかバルサの試合とかあったのだけはようやくこうして書いてみて思いだした.そういえばテルマエロマエ4withティンティナブラムが届いてわーいわーいと喜んだのだったな.
いやはや,来年は卒論生が18名いるということを考えると+これからもここにいる限り+学生/教員比率が改善されない限り,毎年15名前後の学生は面倒を見なければならないと思うと,心塞がる思いである.
忙中閑…はないのだが,午前中は秘書ちゃんの出勤日.現在の2代目秘書ちゃんが卒業→地元市役所に就職のため今年いっぱいで退職することになり,来月からは3代目ちゃんに来てもらうことになったため,顔合わせ+簡単な引き継ぎをした.てきぱきと仕事を説明し,学内を案内してくれる2代目秘書ちゃん,来週までの勤務だが,本当に優秀でいい子だった.できればもっと長い期間来てもらいたかったが,仕方がない.そういう子だからこそ,きっちり就職も決まったのだろう.
3代目ちゃんは,自己評価も他者評価も「クール」(ただし冷たいわけではない)という子である.彼女も就職希望なのでおそらく来年いっぱいでまた代替わり,ということになるだろう.学部学生を雇用する限りこうした問題を解消することはなかなか難しいが,かといって一般の方に週1日4時間の仕事をお願いするのも気が引けるし,もっと頻繁に来ていただくほどの仕事があるわけでもない.微妙である.
ところで私は「サバサバしている」とよく評されるのだが,秘書ちゃんらもかれらのゼミ担当教員であるこばちから私についてそう聞かされてきているらしい.そして「一目会って一言話しただけで」ああ確かにサバサバしてるなあ,と思ったそうだ.自分ではよく分からないのだが,このことをツイートしたならば他の方からも賛意が示されたので,きっとかなり鯖度が高いということだろう.
おかげさまで「もう後は最終チェックだけ」という状態を宣言する「リリース」は9名に達した.うち提出完了者は3名と変わらず.つまり残りは6名.早く終わらせられないのにはそれぞれの事情があり,出すことすらできないような極端に完成度の低い学生はいないが,そこそこ満足のいく出来にまで仕上げられるかどうか微妙なのが若干2名….週末もある程度は添削に時間を割かなければならなさそうだ.
このところ週末ごとに全国各所でいろんな研究会があり,どれに出るのか選択するのが悩ましい.今日はKSP(木下's関西社会心理学研究会)例会と第50回(ひょっとしてオーラス?)対人社会心理学フォーラムとが重なった.内容的にはどちらも魅力だったのだが,体は二つあるわけでなく,どちらか選ばざるを得ないので,そうなるとまあKSPだよな〜,と.
昨日からの底冷えで京都は雪もちらついたとのことだったが,覚悟して行ったからかそうひどい寒さは感じず.JR京都駅ではバス停の待ち行列が大変長く,積み残しも出る勢い.とにかく来たバスに乗る戦法を取ったら失敗で,会場最寄りにはまわらない路線だった.具体的には206に乗るべきところを205に乗ってしまった.仕方ないので荒神口で降りて,1キロほど歩いて楽友会館へ.歩く距離は随分長くなったが,途中に荒神橋を渡ることができたのは幸甚だった.鴨川を渡る橋は何度となくいろいろなところを歩いているのだが,この橋は未踏であった.亀が3匹いるのだよ,亀が.
楽友会館には初めて入ったが,スパニッシュスタイルの古くて重厚な建物で,雰囲気としては京都国立博物館みたいな感じだった.研究会の会場は会議室だったが,ちゃんとテーブルを前にして着席できるのは20席程度で,後は残りのスペースに椅子を詰め込んで座るという形式になっており,15分前に到着した私がぎりぎりテーブルを確保できたくらいだった.講演者が木下先生,テーマが福島第1原発事故のリスク学からの検討,ということで聴講者も豪華+多数だったため,まさに大入り満員大盛況となった.
講演は2時間(休憩)1時間の3時間コースの大熱演.原子炉の仕組みや事故がなぜどのような経緯で発生したのか,この事故が国際的な観点からどういう影響を持ちうるものかについて,等々,社会心理学を越えた情報も整理された形で知ることができた.私は既に木下先生が震災後に出された論文を読んだり,個人的にお話を数度伺ったことがあったから,特に非常に新味のある情報が得られたというわけではなかったが,原発を「やめる」ことが単に日本の今後のエネルギー政策をどうするのかを越えたグローバルな問題をはらんでいること,技術がもたらす成果は通文化的でもその設計思想は文化的な影響を根強く受けていることなどに,改めて気づかされた.またリスクの「想定」と確率との関連についても,じゃあ何をどうしたらよいのかについては木下先生すらまだ答がないとおっしゃっていたが,考えさせられるものがあった.統計学会の春季集会でこのネタ特化のシンポを企画しているらしいので,統計学者たちがどう考えるかを聴きに行っても面白いかもしれない.
研究会後は会館の食堂ホールにて恒例の忘年会.ご無沙汰な方も含めていろんな方とお話しできて楽しかった.何と言ってもこれがKSPの醍醐味なのだ.ついついワインを過ごしてしまい,22時前に帰宅.
研究用ノートPCを代替わりさせることにして,とにかく起動(あるいはスリープからの復活)スピードの速いコンパクトなものを,と考えた結果…といっても大して候補を見比べたわけではなく,ポスドクが使っているのを見たらうらやましくなって,レッツノートJ10を購入することにした.もちろんSSDモデルだ.生協でプレミアムエディションをしかもカスタマイズモデルで購入しようかとも思ったのだが,若干値段がお高め.別に気にしなくてもいいような場面でも安きに流れる癖は直らない.コンシューマモデルで問題ないか,と自らに言い聞かせてからヨドバシカメラの店頭で店員を呼び止め,
「コレください」
と自分としては普通に申告したら,彼は一瞬たじろいで,
「ご,ご購入ですか」
とへどもどしていた.買うんじゃなきゃ君に用などないだろうが,と言い返したいところだがやめておいた.
午後は隣宅ににのじ先生をお迎えして「名付けインタビュー」を敢行していただいた.以前私がインタビュイーになったものを,今度は我が母親を対象になさったというわけ.後半ほとんど単なる雑談と言おうか家族談義と言おうかというものに成り果ててしまった気がするが,少しでも研究のお役に立てばと思う.
かくして我が家の「繊維シリーズ」命名の秘密が近いうちに白日の下に晒されることになるのだったw
午前中はKGB.今日は先だって話題を呼んだラットさんの「共感性」「向社会的行動」に関する研究について議論した.要するにケージメートさんがトラップに閉じ込められている状況に置かれたラットさんはトラップの鍵的なものを開けて仲間のトラップを外すようになる,というのを「仲間を気の毒に思ったラットさんが仲間を解放するための行動をとったもの」と解釈しているわけだ.行動の解釈がいかにも我田引水的に擬人的なのでほんまかいなと思ってしまうが,「ケージメートがトラップの中にいる」という状況だと他と比べてそういう行動が強化されますよ,という部分についてはそんなもん,らしい.
昨夜までに15名中13名まで「あとは最終チェックのみ」のゴーサインを出し,残りは2名.1名については昼にリリースを完了し,もう1名は夕方に…と思ったがまだ修正点が残っていて持ち越しとなった.期日が迫っているとはいえ見切り発車をするのは嫌なので最後まで入念に.既にゴーサインを出した連中は三々五々やってきてチェックシートを提出して行く.とにかく出しちゃおうという学生と,明日のゼミでの最終読み合わせを経てから提出しようという学生とがいて,どちらか良いとか悪いというわけではなく,それぞれの個性があって面白い.
午後はにのじ先生が来てくださって,ポスドクに名前インタビューをすると共に,ご研究の目的と枠組みについて院ゼミでお話+われわれの輪読会にご参加くださった.夕刻ゼミを終えた頃になると外がなんだか賑やかに.事務室に卒論を出しに来る学生がたくさんいるようだ.去年までは人里離れた研究館にいたので気がつかなかったが,それなりの「祭り」状態といったところか.明日の夕方に愁嘆場が展開されないよう祈るばかりである.
ゼミ生は一番遅いのが〆切1時間前に,ただし余裕のゴール.去年よりはバタバタ度が低く,のんびりと当日を迎えられてよかった.皆さんお疲れさまでした.まずは数日はゆるりとお過ごしいただき,よいクリスマスと新年をお迎え下さい…
西宮北口「ラディーチェ」にて,KG教員かつツイッター利用者な者どもの集まりを開催.そもそもは社学のNさんとO君の3人で集まりましょうか,と言っていたのを「まあ,ちょっと声でもかけてみる?」とツイートしてみたら瞬く間にたくさんの手が挙がって,結果的には参加者11名となかなか立派な「オフ会」となった.学部クラスタリングだと社学5(うちOB1),法1,総合政策1,心理4.私自身は,学部つながり以外にも,husの先輩後輩関係だの,着任時期が同じだの,共通の知り合いがいるだの,卒論の資料を送ってもらったことがあるだの,それぞれの方となにがしかにつながりはあって,対面でお話をしたことがなかった方はうち2名だった.同じ学部以外の人は誰も知らない,という参加者もあったが,そんなことはおかまいなしで大いに盛り上がった.同じ大学に所属しているとはいえ,学部や学科が違うと普段顔を合わせる機会は滅多になく,もしあるとしたら全学の委員会の会議くらいである.15年ほどのキャリアの参加者の方々は皆さんそういう経緯で顔見知りだったそうだ.ネットワークが拡がるのはいいことだと思うが,そのためにどれだけのコストを払ってこられたかを考えると…正直,あまりそういう場には出たくない.
今回は初めましてな交流がたくさんだったのであまり席の移動がなかったが,次はもうちょっと宴会中の可動性を高めてもよいかもしれない.
昨日までの喧噪が終わり,今日が年内の(私にとっては)最終授業日.甲山はミッションスクールだからか単に公務員的でないからか,仕事納めはクリスマスとalmost sameである.今年は24日の午後から休業,そして23日の天皇誕生日はみなし月曜日で授業がある.さすがミッションスクールは神以外を恐れない(?)というわけでもなく神より文科省を恐れているからなのだろうが,結果としてそんなことになっている.
さらに言えば秋学期そのものがもうほぼ終わっている.火曜日の授業は昨日で終わってしまったし,水曜の授業は次回の1/11が最終である.心理科学基礎統計はその翌週に定期試験だ.次回とは言えよく考えてみれば20日も先だ.しかも間に挟まるのがクリスマスとお正月と成人式では,リセットするなという方が無理な話かもしれない.学生もお気の毒ではある.
学生たちとは違い,私たちにはもちろんリセットなど許されない.早速仕分けられた卒論がどっちゃりと運ばれてきた.主査分14本と副査分7本.前者は既にあきらめがついているとして,後者になるべく楽しんで読める論文が多いようにと願うばかりだ.
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昨日TLで話題になっていたネコ動画.ランチミーティングでS君が「めっちゃおもろかったですよ!」と言うので見てみたら,確かにツボにはまった.何がというのを具体的に説明するのは難しいが,とにかく笑える.ミーティング中にもう一度見てやっぱり爆笑したS君は「は,はらいたい…」とヒーヒー言っていた. なお,ネコの体はめちゃめちゃ柔軟なので,このくらいの落下は屁でもないらしい.人間ならプールの飛び込み失敗的な腹打ちではすまないくらいの打撃を被るであろう.TLで流れていた動画は最後の6秒だけのものだったが,以下は最後の一瞬までの30秒ほどもついた完全?版.
前任校の学部女性教員たちの恒例の年末のお楽しみに今年も声を掛けていただいて参加した.平安神宮そばのル・フジタでランチの後,南座で顔見世を鑑賞するという趣向である.人間心理学科だけでも10名の女性教員がいる(なんと人口比のごとく男女比がほぼ同数でやや女性が多いという,生活科学系を除く大学にしては特異なところ)ので,さながら同窓会だ.私が異動してから来られた方も増えたが,みなさん学科の和やかな雰囲気を壊さない,良い方ばかり.そういう振る舞いをしたくなる職場環境,と言った方がいいかもしれない.おいしいフレンチをいただき,さらに1時間以上おしゃべりを楽しんだ後,歩いて南座まで移動.三階の3列目に陣取り,イヤホンガイドを聴きながら5時間の長丁場の観劇となった.以下は各演目の感想.
楼門五三桐:15分とごく短く,演目と言っていいのかどうか? 幕をパッと落としてパッと桜が真っ盛りの朱塗りの南禅寺三門があって,ワァってなって,終わり.松嶋屋の長男次男がお元気でよかよか,というのみ.
実盛物語:木曽義賢の奥方をかくまっている百姓夫妻のところに平氏方の斉藤実盛と瀬尾十郎が現れて詮議をし,出産間近の奥方がもし男児を産んだら源氏を根絶やしにするために殺してやるぞさあさあ,という展開で,百姓夫妻の孫のタロキチが川で拾ってきた腕(源氏の白旗をしっかり握りしめている)が実はタロキチの母のもので,その母の腕を切り落としたのが実盛で,実はそのタロキチの母は捨て子で,捨てたのは瀬尾十郎で…という歌舞伎らしい荒唐無稽なストーリー.ストーリー半ばで腕を切られた死体が運び込まれてきーの,腕をくっつけたら一瞬生き返って肝心なことをしゃべりーのまた死にーの,というくだりもイヤホンガイド曰く「超現実的」であった.実盛は菊五郎,瀬尾は左團次.実に堅実.
元禄忠臣蔵:真山青果作品なのでお芝居というより演劇である.討ち入りを終えて引き揚げてきた大石内蔵助以下四十七士が仙石伯耆守の屋敷で取り調べを受け,なぜ吉良を討ったかについて切々と語る,という内容.仁左衛門の内蔵助で,長せりふで魅せる.相変わらずお美しいが,ストーリーは若干退屈だった.
喜撰法師:三津五郎による,遊び好きな酔っ払いのぼんさんの踊り.舞踊はまったく心得がないため,どのあたりがうまさのポイントが分からず,さりとて好きとか嫌いもなく,相変わらずよく分からない.イヤホンガイドの語り口が飛び抜けて洒脱で面白いなと思ったら小山観翁氏であった.
らくだ:落語がベースの世話物.てっきり江戸のお芝居だと思っていたが,そもそもの発祥は上方落語なのだそうで,今回も愛之助・翫雀・亀鶴と関西系で固めたキャストで関西弁ばりばりで演じられていた.なんといっても死人役の亀鶴が面白い.パンダのようなアイメイクに手足を黄色く塗っての大熱演で,場内は爆笑に包まれた.父・先代からの亀鶴の不幸と紆余曲折については気になっていたので,こんなおかしみのある演技のできる役者になってよかったなあ,と思った.
歌舞伎をちょくちょく見始めて30年くらい経つ.当然のことながら見始めた当時の「若手」だった役者さんたち,特に脇役の皆さん(団蔵,秀調,家橘など)は,揃って白髪の爺さん婆さん役をつとめるようになっていて,当然のことではあるがちょっとショックな気持ちがした.同年代あるいは年上でも菊五郎や仁左衛門など主役級の方々は死ぬまで前髪姿の役もするのだから,急に差がついた感じがするのだろう.
終演は21:45.去年はあともう1時間ほど遅くて遠来の方は大変だったらしい.いつものようにお隣の祇園饅頭さんでにっき餅と栗餅をおみやに買って帰宅.
引き続きだらんだらんと過ごしている.卒論を終えてからなんとなく「ちからがでない」モードになっているので,休日は休日らしく過ごして気力回復を図ろうとしている,というと聞こえがよいが,要するにさぼっている.しかしできないことを無理にやろうとしたって仕方がないので,このまま正月に突入するとまずいが,ちょっとは弛緩したっていい,ということにした.
午前中からお昼にかけては梅田に出かけてあれこれと買い物.予約してあったクリスマスケーキを引き取り,夜にワインと共にいただくためのデリを見つくろった.目に付くものを気まぐれに購入した結果,豆狸のおいなりさん4種,鳥芳の照り焼きチキンレッグ,Kaferのキャベツロールとポテトサラダ,と見事に統一感がなくなった.さらに我が家の「数の子大臣」はびーによりお正月用塩数の子500gも購入された.お正月はおせちはなくてもお餅と数の子さえあればよい,というのが我が家スタイルである.
今年のクリスマスケーキはリサガスの魅力に負けてモンシュシュのロールケーキ.ご馳走は買い込んで来たものに加えて牛タンを焼いただけという超手抜きバージョン.ワインはブルネロ・ディ・モンタルチーノの1997年もの.おいしゅうございました.恒例の等価交換プレゼントは,いずれもリクエストにより,toはびーはルミックスのカメラレンズその他カメラグッズetc,fromはびーはヴィトンの真っ赤なストール.これぞ名付けて「ザ・性差」!
皆様よいクリスマスホリデーをお過ごし下さい.
引き続きへなへなと過ごす.
今年のグランプリレースは,3冠馬オルフェーヴルがブエナビスタ以下をまとめて差し切って圧勝した.古馬との初対決にもかかわらず,また,スローペースにも潰されず,お見事と言うほかない勝利だった.来年はトゥザグローリーの3年連続3着というナイスネイチャ以来の「大偉業」チャレンジに期待したいw
来年のオルフェーヴルは順調に行けばドバイWC→凱旋門賞という「王道」を歩むのだろうが,そんな彼と同じ父ステイゴールド×母父メジロマックイーン(母ポイントフラッグ)という血統のゴールドシップが24日のラジオNIKKEI杯2歳Sで2着に入った.旧「ラジたん」といえば朝日杯よりひょっとして,という粒ぞろいのクラシック有力候補が集うレースなので,今後のさらなる上積みにも期待が持てるだろう.オルフェーヴルは母オリエンタルアートにそっくりなきれいな流星の栗毛美男子ちゃんだが,ゴールドシップはマックによく似た銭形も美しい芦毛ちゃんで顔も可愛らしい.来年のクラシックはこの馬(の応援)で決まりだ!
3連休をただひたすら怠惰に過ごしたが,今日からもう残りわずかではあるが年末年始休暇(あくまでも自主的かつ気まぐれに定めるものであり,大学は既に24日午後から休暇に入っている)まではちゃんと普段通り7時前に出勤して様々な仕事を片付けようと思う.と言っても,明日は夕刻以降がレミングスの宴会,29日は女子会ランチなのだが…
午前中はぐずぐずと統計のレポートを見て「因果関係が逆な上に虚数回帰かよ…」と嘆きつつ再提出の指令を出し,あるいは当該科目の最終レポートのための資料を準備したりと雑務で時間をつぶし,午後にようやくちゃんと腰を据えて査読に着手.幸いなのかどうなのか,すぐに済む内容であると分かり,根拠になる論文を探てから1時間ほど英作文をして,submit完了.1日(アメリカ時間なら多分数時間のはず!)遅れで申し訳ございませんでした.
明日は元日〆切の分をやるぞ.おー!
昨日同僚の「梅田のタリーズで卒論を読んでるなう」的なツイートを目にしたことがきっかけで「そうか,事務が閉まってるんだから,仕事するのにわざわざ大学まで行く必要ないよな」と思い,夕刻から梅田で友人たちと待ち合わせ→宴会を予定していることもあって,今日は梅田のカフェで仕事をすることにした.もちろん同僚と同様にやるのは副査担当分の卒論読み+αである.家でやればお金かからんよ,という気もするわけだが,差し迫ったand/orやりたいと思える仕事なら書斎でできても,そうでなければ「こたつでごろり」や「昼寝」といった誘惑に勝てる自信がなかったのだ.
しかしいつもの時間に家を出ていては24時間営業の店しか選択肢に入らなさそうだったので,7時半頃までは家で作業をしてから出発.午前中は梅田阪急ビルオフィスタワー15Fの,午後からはJR大阪駅ノースゲートタワービル11Fの,いずれもタリーズの窓際カウンター席に陣取った.他のカフェはどうだか知らないのだが,この2店はカウンター席に電源があってiPhoneの充電ができるので便利である.高いところにあって眺望が開放的なのもいい.オフィス街に近いこともあって私と同様に明らかに「仕事をしている」客が少なからずいるのも気がとがめなくてよい.おかげさまでノルマも順調にこなせた.
普段は冬だとまだ夜も明けない早朝に研究室に入り,夜暗くなってから出るという穴居生活をしているので,たまには昼日中に街のざわめきを身近に感じがら仕事をするというのはいい気晴らしにもなった.ただし,この手の場所での作業は,やりたいと思える仕事,には向かない,気がする.
2004年以来(ほぼ)毎年集まっている仲間内の忘年会で福島へ.今年の幹事は学長で,隠れ町屋・ごま料理 ごま厨という店で開催された.リンク先にもあるとおり立地は「ザ・路地裏」という雰囲気のところで,看板が出ていなければただのうらぶれた長屋である.しかしもちろんこぎれいにしてあって,ごま+豆腐メインでヘルシー感溢れる料理とお酒をおいしくいただいた.
このグループは結成以来出世魚のようにそれぞれがステイタスアップを果たしていて,私(1回)以外の全員がこの7年で2回所属を変わっている.まだ誰も崖下に落ちて溺れたものはいないのがこの会が長続きしている秘訣だろう.こうした状況ため,毎年この忘年会は誰かの「栄転お祝い」が名目になっていて,今年の主役はもっとも年若なkim.お祝いと称して先輩連中から「いやげもの」をたくさん押しつけられるのを嫌がるそぶりも見せず,大変立派な後輩ぶりを発揮していた.来年の目標は「ダイエット」だそうです(笑 ちなみに手に持っているハムスターのおもちゃは,話しかけるとその真似をしたり声に反応してわしゃわしゃ動くという「ミミクリーペット」というもの.kimは対人コミュニケーション,特にシンクロニーの研究者なのでぴったり…というのはむろん後づけの理屈なのだが,なかなか収まりのよい話でよかった.
はびーは昨日で仕事納めで今日から休暇.午前中に昨日仕上げた査読コメントを最終チェックしてWeb登録を済ませ,ポスドクの投稿予定論文をざっと添削した後,少し早いが混まないうちに,と久しぶりに門戸厄神の夢打庵に出かけて年越しそばをいただいた.行きの車の中では何を注文するか熱心にディスカッションしたものの,やはり基本を大切にということで鴨南蛮.いつもの通り,かつおと昆布のおにぎりと共に.まったく味にも歯ごたえにもぶれなし.相変わらずそばとおにぎりの最高峰は譲らない,というおいしさだった.来年もよろしくお願いいたします.
帰りに研究室に寄って,昨日読み終えた論文たちを置いてきた.残り2本は明日読んで,一応の仕事納めとする予定.やり残した仕事…人様にご迷惑をかけるようなものは,多分なし.
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今年はKSP忘年会に始まり,KGツイッターズ忘年会→前任校女子会+顔見世→レミングス忘年会と,例年よりも若干歳末行事が充実していたが,オーラスは恒例のhus系女子会となった.
数年続けてブルディガラだったのだが,今年はXEX WESTのSalvatore Cuomo Bros.にて.半個室的なしつらえのスペースで心ゆくまでおしゃべりを楽しんだ.昨年は滞留時間4時間という大記録を打ち立てたが,今年もそれには及ばぬまでも気づけば15時半を回っていたので3時間半近くがあっという間に経っていた.懐かしい思い出話から今の仕事の話まで,それぞれがちょっとずつ違う道を歩んでいるだけに気兼ねなく語り合えるし聞いていて退屈しない.こういうおしゃべりを楽しめるのって,割と女性ならではって気がするけど,それはそうでもないのかしらん.
メンバーの一人,とらちゃんはこんな企画のコアメンバーなので,来年は是非北新地の料亭にて特別メニューがいただきたい!ものである.
京都駅〜七条大橋〜…鴨川河川敷…〜賀茂大橋〜出町「ふたば」〜…河原町通…〜京都駅
鴨川河川敷では,たくさんの鳥を見ることができた.マガモやユリカモメ,シラサギやアオサギはもちろんのこと,カワウやカワセミも.寒いけれど,飽きない景色.
当初は鴨川河川敷をどんどん北上して西賀茂橋あたりまで行くつもりだったのだが,北部の天気があまりよくなく鞍馬の山々や比叡山は雪景色,次第に雨が降ってきたので賀茂大橋で地上にあがり,ついでだし,とふたばに立ち寄った.時間は9時半頃だったが既に大行列で,店の前に一重半くらいになっていた.普段なら豆餅ほかのお菓子を買う観光客が中心だが,お正月前なのでキロ単位で餅を買う地元の人などもたくさんいてさらに賑わいが増していたし,個人やお寺さんなどが予約している分が詰められているらしい餅箱もぎっしいと積み上がっていた.我が家は白餅は明日つく予定なので,黒豆・粟・よもぎ・えびの4色の丸餅を4個ずつと,豆餅を購入.我々が買い物を終える頃には行列は三重になっていた.
雨はあがり晴れ間が見えてきたのだが,またいつ何時雨が降り出すか分からず,そのリスクは北に行けば行くほど高くなるのが明らかなので,ここで引き返すことに決定.帰りは河原町通をひたすら南下して1時間弱で京都駅まで戻った.
11時過ぎだったので開店直後のはしたてに駆けつけると,まさにぎりぎりのところで第1陣の客として入店することができた.二回り目になると長時間待たされることは必定なので,急いだかいがあった.河豚天丼おいしゅうございました.晩ご飯用に伊勢丹の地下でひさごのちらし寿司を二折買って,私的には完璧な京都ツアーが完結.午後は気持ちよく昼寝をしました.
今年は弔事があったので対外的には喪中欠礼のご挨拶(でもあなたからのご挨拶は絶賛受付中よ,という内容)をしたが,お正月らしいことを何もしないのは寂しいし,普段からそんなに豪華にお正月らしいことをしているわけでもないので,いつものような準備をした.
餅をついたり(ただしホームベーカリーにすべての作業をまかせ,私はつきあがっがったものを丸めて小餅に仕立てたのみ),お雑煮用の昆布だしをとり(ただし鍋に入れた水に昆布を浸したのみ),おせち料理は作らないのでなんとなく年末年始のお料理風に巻き寿司を作ってみたり(ただし巻きすはないので細巻きは産ラップ2枚重ねで代用し,太巻きは100均で買ったプラスティック型を利用).2日からは小旅行なので保存食は必要ないこともあって,ごく簡単に,食べきれるものだけにした.
夜はETV三昧で,N響第九〜クラシックハイライトで年越し.紅白歌合戦をほとんど→まったく見なくなってもう何年経つだろうか.今ならタイムラインをモニタしていればいつ何が起きているかすぐ分かるし,分かるからといって見たいと思うものも特になかった.作られた「盛り上がり」にはどうも馴染めなくて,距離を置いてしまう.スクロバチェフスキの第九,オケもよく頑張っていたし,独唱と合唱がとても美しくて,なかなかの聴きものだった.
KG3年目の今年,いろんなことには大体慣れてようやく自分の立ち位置も見えてきた.新しく博士研究員を迎えたことで,これまで体をなしていなかった院ゼミやリサミが(大学院志望のB4を巻き込みながらだしM2はいつの間にか来なくなってしまったがw)週1回ずつ運用できるようになり,そろそろゼミらしい活動もできるようになってきた.博士研究員たちは実験メインの研究者なので,卒論生の実験組の指導を分担してもらったり,実験室のメンテナンスで業者との丁々発止wのやりとりもしてもらったりで,大変大きな働きをしてもらっている.また院ゼミで実施している最新論文の輪読会は個人的にもとても有意義で,これまで1人ではとてもフォローしきれなかった最近の研究トレンドに目が向けられるようになった.ゼミ以外でも年末には有志の輪読会(早朝ゲートボールクラブKGB)が発足し,知覚心理学や神経科学についても勉強できそうで楽しみだ.
研究関連活動面では,なんといっても東日本大震災の影響が大きかった.阪神大震災の時とは異なり,自らの立つ地面はぴくりとも揺れることはなかったが,あの日の衝撃とその数日後から始まった日本社会心理学会の震災支援サイト構築に関わる諸活動については,今後もずっと強烈な記憶として残ることだろう.来年4月発行予定の「心理学ワールド」にその顛末を記録させていただく機会を得たのはありがたいことだったし,この活動をきっかけに多くの方と知り合うことができたのは,個人的にはとても大きな収穫だった.次の一歩はどうするのかが課題だが… また,知り合いの方のご厚意があり,2度にわたって被災地を訪れる機会を得ることもできた.津波に一切を流された,まるで遠い昔に文明が果ててしまった遺跡のようなさまとなっていた亘理郡山元町に立った時に見上げた青い空も,忘れることはできない.もちろん社会心理学者としてこの震災にどう対峙するかは常に考えていて,徐々にアウトプットも出しつつあるが,来年はより大きな成果を上げられるようにしたい.
ここ数年,たまに腰が限界を迎えてひっくり返ることはあるものの,比較的心身共に健康に過ごせているのは幸いなことだ.来年以降もこれも継続し,できればさらに充実させて,しかし根を詰めすぎずにマイペースで頑張りたい.
皆様来る年もどうぞよろしくお願い申し上げます.
Before...
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