コタキナバルでアイランドホッピングをした時,うっかり肩付近の日焼け止めをしっかりしていなかった(たぶんシュノーケリングをしている間に落ちてしまった)ために,肩と首周りだけ激しく日焼けをしてしまった.ずっと痛くて,バッグを肩に担ぐたびに
あいてて,あいてて
と言っていたのだが,今度は激しく皮が剥けはじめた.この自らの新陳代謝のよさは褒めるべきか否か.とにかくかなり汚いことになっていて,ノースリーブはしばらく着られない.私はこういうのをべりべり剥がすのが大好きなのだが,ご夫君はあまり好きではないようでがっかりだ.
試験の出来が悪い.どうしよう.どうも,とっても簡単な問題を最初に出したつもりが,変なパニックを生んでしまったらしい.普通に採点すると莫大にDを生産しそうなので,何か工夫しなければ.
いい問題だったと思うんだが,まだよちよち歩きのひよっこちゃんたちにとってはちょっとよすぎたかもしれない.というわけで,これを素材にして後期の社会心理学研究法の授業をやることにしよう.
今日で業務終了.
昨日は初級中国語の試験監督補助をした.ヒアリングもあって,ある綴りの正しい発音を4つの選択肢から選ぶものだったのだが,ほとんどの問題で,4つのうち少なくとも2つの選択肢はまったく私の耳には区別のつかない発音だった.中国語って,難しそうだあ.
今日は教育方法論とかいう科目の試験.他でも結構あるのだが,主担当の先生が盛んに「カンニングをするな」とおっしゃる.この科目の先生は「カンニングはするな.ちょっとくらいなら目こぼししないでもないが,あまりにひどいのは困る.やめろと言ってもやめないようならこちらとしても問題とせざるを得ず…」とかぶつぶつ試験前に述べておられた.あんまりそうしてぶっちゃけた話を学生に述べるのは「あ,じゃあちょっとなら目こぼししてもらえるんだな」と思わせる方向にならないだろうかと素朴な疑問を持たないでもなかった.同じ先生の談によれば,もう既に6人からの学生がカンニング発覚の咎により当該セメスターの全単位没収処分となっているらしい.数千人のうち6人を多いと見るか少ないと見るか.難しい問題だ.
私はカンニングを問題と感じることはほとんどない.そもそも持ち込み不可の試験をやらないし,人の答案を見たらいい点になるような内容の試験でもない…はずだ.
3限の試験監督を終えてから,Oさんと一緒に某ネットリサーチ会社のオフィス@淀屋橋にて打ち合わせ.以前は,こういう会社は鵜の目鷹の目しかし内容はヘボヘボという先入観があったのだが,なかなかどうして,というかかなりしっかりしている割に実に安価に使えそうだということが分かった.しっかり枠組みさえ考えておけば,なかなか良質なデータが取れそうで期待がふくらむ.営業の担当氏は水道橋博士によく似ていた.
しかし今走っているプロジェクトをすべてまともに完遂しようとすると,頭は1つでぎりぎり足りるが,腕と足は数セット余計にいるような気がする.となれば,さて,それをどう調達するか,だ.
なんだか案外強かった.もう日本海に抜けたものと思ったら(いや実際抜けていたわけだが)9時前くらいから大学付近は「猛烈」の部類に入るくらいの暴風雨.ちょうど瀬戸内海からまともに潮風が吹き付けるため,特にひどっかったのかもしれない.たっぷり水分を含んだ風にずっとさらされていて,肌がべたべたと不快なことこの上なかった.
普段のように研究室に籠もっていれば潮風の被害もさして受けなかったのだろうが,今日は2年次生45名ほどを集めての恒例のSIMSOC実習だったので,朝から夕方まで演習室前の廊下に出張っていたのであった.あまりに風が強くて窓を開けられないし,廊下は節電のためエアコンが入れられないために,学生たちはがんがんに冷えた演習室でゲームをしているのだが,進行係のわれわれは暑いのなんの.
しかし今年も面白かった.去年はあっけなく原始共産主義社会ができあがってしまい,面白いがすぐ社会が一種のプラトーに達してしまったのだが,今年は自警団ができて逮捕者が発生したり,それに対して異議申し立てが出て裁判が開かれたりと,社会問題があれこれ発生するというパタンの面白さがあった.去年「帝国を作るんだ!」と勇んでいたのに肩すかしを食らった学生をはじめ,現3年次生5名がオブザーバ兼お手伝い(それぞれ「風」「雲」「空気」「石」「花」のネームプレートをつけてもらった)として入ってくれていたが,彼らもかなり楽しめたようだ.2年次生にとっても社会心理学領域の仲間同士のいいアイスブレイキングになったのではないか.
学部〜修士時代の師匠S先生が,このたび日本グループ・ダイナミックス学会の名誉会員に推戴された.それをお祝いしての宴会を芦屋ゆるりで開催.名誉会員推戴のニュースを聞いたのが6月末,慌てて企画して日程調整をしたのだが,その割には多くの方が趣旨に賛同してくださり,声をかけた16人中13人が集合した.私が学部時代=S先生のhus着任当時)の助手さんから最後の修士指導生あたりまでと幅広い年代で,実は今日初対面という組み合わせもあったし,私にとっても10年近くお目にかかっていない先輩もいた.3時間ばかりの短い時間だったが,わいわいと歓談.誰もが業界人だけに,世知辛い大学事情の話が多いのは仕方のないところではあったが,まあ,なんとか全員業界にしがみつけてはいるということでもあるか.
そういえば,グルダイ学会の実質的な創設者はS先生がいつまでも畏怖するMJ先生だが,なんと創設当時はまだ大学院生だったとのこと.毀誉褒貶いろいろある方ではあるが,その企画力は実際凄いものだったのだなあと感心した.
日曜恒例となった早朝散歩.今日は阪神甲子園駅近くまで車で行った後,甲子園球場〜甲子園浜〜武庫川と約7キロほどを歩いた.6時40分頃にスタートしたのだがもうクマゼミのうるさいことうるさいこと.照りつける太陽の日射しがまぶしい.それでもまだこの時間帯なら日陰に入ると随分涼しいので,炎天下に比べればかなりさわやかだ.ペースをややゆっくりめに,2時間かけて歩いたが,最後はだいぶへたってしまった.甲子園球場はもうすぐ夏の高校野球開催ということで,来週あたりは応援団バスなども集結して賑わうのだろうが,まだ報道関係の車両がちらほらと姿を見せているだけだった.朝マクドして,9時前に帰宅.
心理統計法の採点が半分ほど残っていたので必死になって作業.夜に至ってようやく終了し,前期の成績評価はこれですべて完了した.
今日から3日間は正雀大学で記述統計の集中講義.去年まではYがやっていたものを引き継ぐ形になる.この後,後期にWeeklyで推測統計の非常勤をやる予定なので,その前哨戦というか予備知識というかの段階である.本務校では半期でやっている内容を夏期集中+後期でやることになり,さらには記述統計の部分は全体の1/3くらいであり,さらにさらに受講生の人数が半分しかいないので,ゆったり時間をかけて講義をすることができそうだ.
なぜ心理学に統計法が必要なのか
記述統計と推測統計の基本的考え方
変数と尺度の種類
代表値(平均値・中央値・最頻値)
散布度(平均偏差・分散・標準偏差)
相関の基本的考え方(散布図と相関の対応関係)
というテーマについて,超ゆっくりペース(当社比)で,大体4限分相当の授業をした.演習問題をいくつかはさみながらだから,ひっきりなしに話しているわけではないのだが,それでもそれなりに疲れる.受講生はほぼ100名なので,普段に比べると約半数程度.これくらいなら全然「掴める」感じがする.概して学生も真面目に取り組んでいたので(寝ているのはいるが,授業の妨害にはならないから放置している.そのおかげで単位が取れなくてもワタクシの知ったところではございません),授業自体はやりやすかった.
明日はもっともっとゆっくりペースで,
共分散・相関係数
相関を考える際の諸問題
あたりをだらんだらんとやることになるだろう.
共分散
相関係数
相関係数の解釈上の諸問題
ついでに偏相関
連関係数
と話しても,16時前に終わってしまった.明日何を話そうか真剣に悩んだ挙げ句,仕方がないので回帰直線と正規分布の話をすることに.特に分布の話は基礎統計の中に混ぜると何かとめんどくさいのであんまりしたくない(推測統計の大前提の話ではあるけれど,結局実際に検定をやる話になるとほとんど意識しなくても実効上の問題がないゆえ…)のだが,仕方がない.今さらシラバスを見直してみると,そんなことを話す予定になってたし.
エレベータを呼ぶと早く来る.
チャイムがうるさい.
学科長+社会心理系のスタッフ+大学院生で食事会を開催してくださった.正雀駅近くというところを初めて歩いたが,庶民的なところだった.大学のすぐ近くにJRと阪急の操車場があって,カメラ好きあるいは鉄分の多い人にとっては垂涎の環境である.食事会では私一人がアルコールを口にしなかったせいもあるかもしれないが,大先生を中心にみなさん過激なご発話が多く,私などまだまだ甘いものだと思い知らされた.元ボスも同一日程で集中に来ていて,合同での食事会だったため,主たる話題の振り先が元ボスになったのは楽ちんだった.
一億総メタボにはさせまじと,国策によってダイエットのための専門書を揃えた図書館が完成…したのかと思った.我ながら無教養をさらけだしておることよ.
そして最終日.
午前中は単回帰分析と正規分布+標準得点の話をして,午後はテスト.回収して,簡単に解答解説して,15時前にさくさく終了.もうシラバスの範囲で教えていないことはない…はずなので,社会調査士認定機構に睨まれることもないだろう.
入道雲がにょきにょきわきたつのを横目に見ながら,一路西へ西へと進路を取り,本務校へ.明日から事務が一斉休暇に入るため,成績提出と郵便物の回収をするためである.業務が完了して,ようやく本当に前期が終わった.
暦の上では,もう秋である.
お昼休みのおしゃべりの時に,元ボスD先生に
「水曜どうでしょう」ご存じですか?
と聞いてみた.もちろん知っておられた.子どもさんたちがファンなのをきっかけに知られたそうだが,ちゃんと「大泉洋は北海道弁丸出しのただのもじゃもじゃだと思っていたら,「ハケンの品格」では随分いい役やって.いやああれは出世したもんだ」などときっちりその後もフォローしておられるのだった.むむ,これはいける,と思わず白石区と厚別区の話で盛り上がってしまったのだった.
コタキナバルでシュノーケリングをしていた時に,ちょっと慌てて珊瑚礁の上で膝をついてしまった.当然固くでこぼこしていたので「あいてて,あいてて」となり,その場では膝小僧に数カ所血がにじんでいるくらいの怪我になった.そのままほったらかしていたのだが,どうも完治しない.しばらくは赤く腫れて痛がゆい状態が続き,今はそれはおさまったが,まだぼこぼことした突起は引っ込まないでいる.
これはひょっとして膝から珊瑚が生えてくるのかも,と思って調べてみたら,毒を噴射されていたのかもしれないことが分かった.へえ,そうなんだ…
今日は久しぶりに業務のない平日.
9時に自宅を出て甲子園方面に行き,カーベカイザーでおつかいものの「トンボ一筋」を購入してまずは茨木へ.尼崎から名神に乗ったら事故渋滞に遭う.東行き車線では何があったかボンネットが全焼した車が停まっており,西行き車線ではトラックに突入してボンネットがぐしゃりと潰れた車が停まっていた.
茨木では実家に植物さんを預け,コタキナバル土産を渡し,珊瑚の生えそうな膝小僧を自慢し,ザルツブルグで行ってほしい店のリクエストを受けた.
次に阪大豊中キャンパスへ.Jスルーで久しぶりに出来合いの弁当を食べ,トンボ一筋とマンゴープリンを食べて,秘密の相談と悪口の言い合い(笑 をしてから,慌ただしく追い出されて今度はD棟に移動.AIDs研究会に出席して西田研M1君たちの発表した2本の論文についてあれこれとコメントする.Knowledge basedなパーソナライズドリモコンの開発に関するお話と,MSのClearTypeというフォント表示スタイルは素晴らしいのだということを言わんがために評価実験をし,かなり無理めの結果解釈をやっちまった実験のお話.HCIってどういう学会なのか,一体審査が厳しいのか甘いのか,段々分からなくなってきた.
研究会終了後,IさんとNくまるちゃんと3人で,新築なったまちかねM君ちにおじゃまさせてもらう.阪大豊中キャンパスから徒歩圏の落ち着いた住宅街にあるぴかぴかの新居.玄関脇にはひろびろウッドデッキがお出迎えだ.渡辺篤史モードでいろいろと探訪させてもらった.2時間ほどお茶とお菓子を楽しみながらおしゃべりしてから辞去.
先月下旬に,投稿していた知恵袋論文が受理された話を書いた.
その時,大変迅速かつ的確な対応をしていただいた主査の廣岡秀一先生が,本日にお亡くなりになったとの知らせを受けた.長く続けておられたブログに突然終了が告げられてから1ヶ月も経っていない.入院されたことはブログを読んで知っていたが,まさかそんなにお悪いとは夢にも思っていなかった.集中講義の時にD先生とお話しして,実はとてもお加減がお悪いことを知った.しかし,それでも,こんなにすぐにお亡くなりになるとは,夢にも思っていなかった.というよりも,そんなことになるなんて,思いたくなかった.
お加減が悪いことを聞いた時点で,共著者のにのじ先生とご相談申し上げ,論文には主査+匿名の査読者2名の審査に対する謝辞をつけることに決めていた.その許可を,まさに今日の午後に編集事務局からいただいたところだった.私たちの感謝の気持ちをお伝えできないままになってしまうことが,本当に残念だ.
何とも言葉にならないのだけれど,とにかく,心よりお悔やみ申し上げます.
今日は11〜13時に東京ミッドタウンのイタリアンでランチMTG.来年の某行事にご参加をお願いする某ジャーナリスト(別にもったいぶって秘すわけではないが,正式に決まっていないので一応)の方にお引き合わせいただいた.2時間弱だったが,さまざまに興味深いお話を聞くことができてとても有意義だった.キーワードは「最後に正義は勝つ」と「多事争論」.そして
セカンドライフは絶対流行らない
で意見が一致したのはうれしかった(笑
したかったのだが,お盆の帰省ラッシュのためにお昼の中途半端な時間帯すらまったく空席がない.せっかくシャトル便でフライトを取っているのを有効活用してみたかったのにな.残念.
明日から出かけるので,家に泥棒が入っていないか,家が燃えていないかを外出先から確認すべく,リビングルームにネットワークカメラを据え付けた.いやもちろん作業をしてくれたのはご夫君である.現在14時過ぎ.部屋が暗い.さては昼寝をしておるな(笑
こんなことになるなら「ハナタレ」「おにぎり」だけではなく「どうクラ」も札幌M君に録画しておいてもらえばよかったと思ったが後の祭りである.ちょっと努力すれば友達の友達くらいから手に入りそうな気もするけれども,まあそこまでして,か.
この番組は私たちのように熱狂的なファンを生む一方で,当然のことながらややヒステリックなまでの拒否反応を示す人たちもいる.同族嫌悪のようなものを感じるものもある.私など,北海道人がどんな人か知らないし,そもそも知りたいほど北海道らしさに関心もないので,多分この番組を面白いと思うことと北海道がどうたらとは独立なのだが… きっと北海道ニューロンをもつ人とは反応するポイントが違うんだろう.また,このところ洋ちゃんやNACSも随分ネームバリューが出てきたので,その分叩く意味も生じたということでもあるのかもしれない.一ファンとしては「ヒゲがんばれ,うれしーがんばれ,ミスターがんばれ」という気持ちで見守るのみである(なぜか洋ちゃん頑張れとは思わない.彼はこの番組制作において頑張れない立場にいることが役割なのである).
ところで「吉本(のクズ)芸人」があの番組に一度でも出たことがあったなら教えてほしい.制作に関わっている関西人がいるなら教えて欲しい(藤村Dは名古屋人,嬉野Dは佐賀人なので広く見れば関西人かもしれないが,普通関西人というのは京阪神の人間を指すものであろう).私の知る限り,これは明らかに事実誤認である.
でも6時前に起きて読書会のコメントを書くわ,飛行機の中でやる仕事も決まっているわで,もうあれれれって感じですよ(笑
今回は珍しく余裕を持って,予定より1本早い8:05のリムジンバスに乗ったら,ニシキタの時点であとは補助席しかないくらいの満席.JR西宮→阪神西宮では当然積み残しが出たので臨時便が出たようだ.空港も,空港カウンターはまだそれほど混んではいなかったが,両替は長蛇の列だった.今回ややユーロのレートが良くなっているのは好材料だが,珍しくT/Cを買わなければならない(ユーロ圏内に踏み込んだ時点で即換金するため)状況である.
JAL便搭乗.機内食2食目のオンデマンドを初体験.私は「きつねうどん」と「野菜サラダ」,ご夫君は「とんこつラーメン」と「玄米塩おにぎり」をオーダーしたが,どちらもまずまずのお味だった.きつねうどんは,おあげさんが今ひとつなのが残念.きつねうどんの出汁が関西風かどうかを確認しようとおもってCAを呼んだら,思いっきり若いイギリス人男性が来てしまい,
ええと,とっても難しい質問をしますけどね.
と言う羽目になった.ま,結果的にはちゃんとそれなりに薄い色の上品なお出汁でした.
タミ3→タミ1を移動して,今日はあまり行列もなくすんなりBAラウンジへ.めっちゃ広くて開放的な空間で,フードとドリンクもとっても充実.でもイギリスだからおいしくない(笑 イングランド人(推定)がラグビーのW杯を見て盛り上がっている.JLもマイル乱発してただでさえラウンジ入室有資格者が増えているのだから,これくらい頑張って少なくとも面積は増やしてくれよ.ちなみにヒースローにはこの手のBAラウンジが2つなどというレベルではなく複数あるようだ.
これからミュンヘンに移動.仕事は「一応」片を付けた.
とっても眠すぎる2時間弱のフライトでミュンヘン到着.すぐ荷物もピックアップ(片方は鍵がぶっ壊れていた)して,歩いてすぐのHotel Kempinskiへ.去年帰りのミュンヘン−パリ便が欠航して泊まらされたところなので,勝手知ったるとばかりにずんずん歩いてチェックインできた.そして「部屋の入口付近なら空港の無線LANを拾う(と,日本のHotSpotのアカウントで接続できる」ことも知っているので,早速こうして日記を更新.
でももう寝ます.ぐぅ.
といっても空港は市街地とは遠く離れているわけだが.
到着した第一声は「さむっ!」であった.到着前に一雨あったようなのだが,それにしても寒かった.去年も「猛暑だ」と7月に聞きかじった頭のままやってきたら15度でえらい目に遭ったわけだが,やはり今年もそうきやがったらしい.0時前に眠ったが,4時にはきっぱり覚醒するいつものパタン.まあ,体調は悪くない.朝ごはんは昨日のミュンヘン行きのBAでもらったサンドイッチ(チキン+ツナ,チーズ+卵)とインスタントカフェオレ.英国製のサンドイッチにトラウマがある(人生唯一「食べられない」サンドイッチを購入したのがロンドンのコンビニ)私だったが,ご夫君が試食して
まあ,食べられなくはない
というので食べてみた.一応,喉を通った.
吐く息が白いほど涼しい朝.あまり天気はよろしくない.例によって早く起きてしまった.朝食は昨日のLH機内で配られたサンドイッチ.ロンドン便だから…と期待していなかった(というかハナから食べたくなかった)のだが,案外喉を通るレベルのものだった.その後,ホテル周囲=空港を散策してから7時半にホテルをチェックアウト.ここは毎年この時期はビーチバレーの大会(スポンサーはダイキン)の大会が開催されているようで,去年と同じように仮設のサンドコートとスタンドが作られていた.しかも3面も.
ミュンヘン空港8:55発フィレンツェ行きのLHに搭乗.チェックインは長蛇の列…と思いきや,SFCの特権を生かしてスピーディに済ませることができた.ルフトハンザのラウンジで追加の朝食をとった後,飛行機に搭乗してからは雄大なアルプスを越えて1時間半ほどでフィレンツェ到着.こちらは晴れていて,そこそこ暑い.
フィレンツェ空港ではまず車を借りる.空港の建物の並びにいくつかのレンタカー会社が並んでいて,そこで手続きしてそこで借りて乗っていくという簡単な形式.今回はランティスというハッチバックのコンパクトカーだった.一応オートマだということになっていたのが,クラッチなしながらギアチェンジはマニュアルにも変えられる形式.そのせいか,なんとなくクラッチのつなぎが微妙らしい.
車を出してさあどこに行こう?決めていなかったのだがあまり街中をうろうろするつもりもないので,まず10キロほど走って丘を登り,フィエゾーレへ.ここからは,フィレンツェの街を一望することができる.少し曇りがちだがいつもの美しい風景を楽しむことができた.
そして次はアルノ川を越えてミケランジェロの丘へ.こちらはいつものようにツアーも含めた観光客が多い.今度は反対方向からまたもやフィレンツェの街を一望.当然のことながらフィエゾーレよりも随分距離が近いので,その風景には迫力がある.何度来てもやはりフィレンツェの街はほとんど完璧なまでに美しい.
さて後は街中だが,フィレンツェはもうよく知っているので,お気に入りの場所だけを再訪することにした.まずはどこよりもお気に入りのサンマルコ修道院.近所に適当に車を停めて(イタリアの街中は路上に駐車スペースがたくさんあり,無料かパーキングチケットを切るところかは場所次第だが,とにかく便利である),フラ・アンジェリコの受胎告知と,修道士たちの部屋のフレスコ画を鑑賞.その後,お腹が空いたので近所のマクドでランチ.ゆったりランチを楽しむ時間がない日には,確実に時間が読めて(というよりも自分でコントロールできて)味に不安を感じる必要がないマクドはやはり便利だ.そのまますぐ先のサンタマリアデルフィオーレへ.相変わらずの大迫力と大観光客である.最近のツアー客は圧倒的に中国・韓国人が多く,日本人は小さなグループがちらほらくらいで全然目立たなくなっていた.日本人の海外脱出率はそう変わっていないはずだが,どこに消えたのか? ドゥオモと鐘楼の周りを一周した後,またもや相変わらず行列しているアカデミア美術館の前を通過して車に戻り,フィレンツェに別れを告げて高速A1で一路ボローニャに向かった.
A1はイタリアのど真ん中を走るメインの高速道路だが,その割にはカーブが多く,振られまくる.途中サービスエリアでの休憩を挟みつつ1時間半ほどでボローニャ付近に到着.しかし,ボローニャに入った最初の出口で降りずに(大抵最初の出口は大きな街の切れっ端部分で,ここで降りてしまうと結局時間がかかってしまう),もう少し先で,と思ったらいきなり全然降りられない車線に進入してしまって焦る.このままボローニャを通過してしまったらどうしよう!と思ったが,なんとかボローニャの街の周りを半周ちょっとしたくらいでなんとか降りられた.
この時点で16時過ぎ.今日から3泊するアパートのチェックインは,担当者とアパートの前に18時待ち合わせということになっている.というわけで,アパートの場所を確認してから先に中心部を軽く観光することにした.アパートはボローニャの中心部を取り巻いてぐるっと一周できる環状道路から通り1つ離れたところにあり,便利(といっても歩いて中心部に行くのはちょっと距離があるが)で静かなところにあった.街の中心部には,教会と共和国宮殿と噴水,というイタリアの諸都市にお馴染みのモニュメント群がある.教会のファサードはヴァチカンの干渉にあって壮麗にできなかったらしく,ファサード上部に大理石が張られず裸のまま,という奇妙な外観をしていた.中に入りたかったのだが,リュックがノーだと言われたので断念.ネプチューンの噴水のあたりでうろうろし,アコーディオンを弾いているいかにもイタリア人っぽいおっちゃんなどを鑑賞しながら時間をつぶした.
18時ちょい前にアパート前に戻り,チェックイン.ちゃんと建物の玄関前に担当者の女性は待ってくれていた.まずは建物の玄関の鍵を開け,次にエレベータホールに入るための鍵を開け,エレベータに乗って5階にたどり着いてフラットのドアの前へ.ドアには厳重な檻,いや柵があるのでまずそれを開け,ようやく次にフラットのドアの鍵を,今度は2つ開けて室内へ.このセキュリティの厳しさはどうだ.フラットは100平米以上あるとのことで,リビングルーム,2ベッドルーム(主ダブル+副シングル×2,キッチン,洗面スペース×2(バス,シャワー,トイレ2つ,洗濯機等々完備)の構成だった.各部屋にエアコンも完備.バカンスシーズンだけのレンタル,というところまでの既居住感はないが,コンドミニアムよりももうちょっと雑な雰囲気がする.しかしまあ広々していて使いやすそうだ.
一旦外に出て車を駐車場に入れ(一応駐車場のゲート入口はリモコンゲートなのだが,出口は開きっぱなし.あまりというか全然セキュリティの意味がない(笑),荷物を出してさあ再び部屋に入ろうとして,鍵にやられる.エレベータホールには入れたし,檻も開くのだが,どう頑張ってもドアの鍵が開かないのだ!かなりの順列組み合わせをすべて試した,という気がするのに開かない.これは困った,というわけで,もう一度担当者のお姉さんを携帯で呼び出して,ドアの開け方を再度伝授してもらう.携帯を持っていて&担当者の携帯番号をメモしていて助かった! お姉さんはしばらく電話でやりとりして埒があかないのが分かったようで,もう一度来てくれた.ドアの鍵が2つあるうち,メインの鍵は開いていたのだが,もう一つの(どちらかというと手の込んだ方の)鍵を開けられていなかったことが分かる.左に回して「引く」必要があるのに,私たちはドアをとにかく開けたいばかりにぐいぐい押すことしかしていなかったのだ.考えてみれば,ヨーロッパのホテルで「引かないと開かない」ところがあったような… とにかくお姉さんごめんなさい.やっと部屋に入ってひとごこち.
その後,今度は最低限水だけでも買いたい,と再び車で出かけてバールを探してさまよう(ちなみに部屋を出るとき5回くらい鍵開けリハーサルをやってから出かけた).ぐるぐる環状道路を走ったあげく,ボローニャ駅前でようやく開いているバールを見つけて購入成功.日曜日はどんな店もほぼ完全クローズなのは相変わらずらしい.特にバカンスシーズンだからひどいのだろうか.当然スーパーも開いていないので食材購入は明日ということにして,ごはん+インスタントみそ汁で夕食とする.その後は疲れ切って,食べたなり,バタンキュー.
無事到着.中心街の端っこにあるサービスアパートメントに3泊滞在予定.ただ現地で無線が拾えないので,しばらく更新が間遠になります.携帯は普通につながるのでmixiはちょくちょく更新してます.
今は空港に両替にやってきたついでにVodafoneのWiFiをつかまえて執筆中.本日〆切の原稿を送るためなのでした(笑
今からフェラーラとラヴェンナにいってきます.
夜は風が強くて雨戸ががたがた音を立てる.初めての滞在する部屋で,しかも付近の治安がよく分からないので,ちょっとドキドキ.しかし考えてみればあの厳重なセキュリティで5Fまで上がり込んでしかもベランダから雨戸を揺らされていたらそれはすごい.とにかく,5時くらいに起床.
朝は,昨日と同じごはん+インスタントみそ汁を食べて出発.まず,アパートが無線LANを拾わないので,携帯では済まない(つまり添付ファイルを送る必要がある)仕事を片づけるため,ボローニャ空港に行ってネット接続を試みる.ノートパソコンを開いたまま空港内をうろうろ歩き,出発ゲート付近でVodafoneのWiFiを拾うことができた.30分5ユーロ.高いが仕方がない.ついでに両替所でTCを両替するも,手数料を8.5%も取られてご夫君は「アメックスのオフィスなら手数料ただなのに…」と凹む.実は昨日,ミュンヘンの空港のアメックスオフィスで両替したかったのだが,パスポートコントロールの向こうにしかオフィスがなく,シェンゲン条約内=ドメスティックフライトな私たちは入ることができなかったのである.
さて今度は高速道路に乗り今日の第一の目的地ラヴェンナへ.高速はところどころ車が多くやや渋滞気味だったが,1時間ちょっとの道のりでラヴェンナに到着した.ラヴェンナは故・林さんがよく夏に滞在しておられた街で,5世紀など随分昔の教会がそのまま残っており,しかも内部が美しいモザイクで彩られているので有名だ.そのモザイクのある教会たちを求めて観光を開始.最初は一カ所に車を停めて歩き回ろうと思ったのだが,案外暑いのと,端から端まで歩くと30分は楽にかかりそうなので,途中で方針を変更し,車で移動しながら回ることに.どこのモザイクも金や青など深みのある色遣いで美しい.しかもモザイクだと言われないと分からないくらい緻密な表現もあって,描かれている人々の表情も豊かである.思わず三脚を立てて撮影していたら「それはダメ」と怒られた(笑 暗いので手持ちではぶれがどうしても避けられないのだけれど,まあ,仕方がないか.
ランチは,例によって,街中の看板に「左へ5分」と書いてあったマクドを探すが見つからず.歩いて5分も,念のため車で5分も見つからず(笑 なので,何タラヌオヴォ教会(既に覚える気持ちがない)のそばにあるセルフのレストランでスパゲティとタコ・イカ・エビのフリット盛り合わせを食す.教会の裏庭で写真を撮っている時から揚げたての香りが漂っていて空きっ腹にこたえたのである.セルフだけど揚げたてで,んまい.お腹も満ちたので,最後にラヴェンナ近郊の街クラッセに移動して,これまた美しいモザイクを見学.クラッセという街は昔は港だったそうだが,今は全然そんなことを感じさせない,むしろ内陸の土地だった.ここのスーベニアショップで,モザイクの壁掛けとペンダントトップを購入.
さて,こうしてラヴェンナとその近郊で随分時間をとってしまったが,次に第二の目的地フェラーラに移動.ここは城とドゥオモが有名らしい.移動は,一応高速道路があるにはあったのだが,ほとんどそれは名ばかりの狭い道だったので(その代わりタダだったけど),結構時間がかかった.街中心部からほんの少し離れた駐車場に車を停めて,ドゥオーモ方面に歩く.夕陽ががんがんと照りつけてかなり暑い.多分32,3度は軽くあると思われる.大阪の暑さほど押しつけがましくはない乾いた感じのするものではあるのだが,それでも温度が高いことには変わりがないので結構つらいものだ.だいぶ歩き疲れたので,城の方の観光は外観だけということにして,ボローニャに戻る.
今日は是非夕飯をまともに作りたい.というわけで行きの道のりで見つけていた町はずれの大型スーパーで待望の買い物.スーパーの中身はアメリカもヨーロッパもさして変わらず,日本でもカルフールやコスコを想像すればそのまんまである.ここではじゃがいもや玉ねぎなどの野菜がとっても安いのが印象的だった.このあたりは1ネットor1パックが1ユーロもしない.にんじんは細いものだが5本入ったパックが0.2ユーロしかしなかった.その他のものはそこそこの日本並みの値段という感じだった.部屋になかったせっけんやキッチンペーパーなども合わせて購入し,しめて19ユーロなり.レジのお兄さんに「ニイハオ」と挨拶される.少々憤然として(笑 「ジャッポネーゼ」と主張.申し訳なさそうなお兄さん,「コンニチハ」と言い直してくれた(笑
フラットに戻り,頑張って料理.食器や調理用品は大体揃っていて,包丁が案外切れるものが置いてあって助かった.しかし缶切りが上手く使えなかったご夫君は,大汗かいてトマトの缶詰を暴力的に開ける羽目になったのだった.21時過ぎにようやく食べられる状態に.スパゲティボロネーゼとじゃがいもと玉ねぎとにんじんのスープ.ま,ボローニャで食べても特に格別の味ということはなく,いつもの私のテイストでございます(笑 今日もよく動いたので,食べた途端に異様に眠くなり,再び今日もバタンキュー.
そろそろ時差ボケも取れてきて,6時過ぎに起床.雨戸を閉めていると明るくなっても全然分からなかった.
朝はごはんと昨日のスープの残り+バナナ(ご夫君は+ヨーグルト)を食べて,8時過ぎに出発.まずはアパートの窓から見えている丘の上の「ボローニャ城」(ご夫君命名)に向かう.途中,サッカースタジアム(レナト・ダッラーラ)も車窓見学.ボローニャ城は,実際はMadonna di San Luca という教会だった.丘を巻くように延々と続いている回廊を歩いて登り,教会に向かう人もたくさんいた.教会はかなり規模が大きく壮麗で,明日の被昇天の祝日の準備がおこなわれていた.巡礼に来たらしき聖職者の姿もたくさん.異教徒(…でもないか.特に信じている宗教があるわけではない)のわれわれとしてはボローニャの街が一望できるのでは?と思ったのだが,残念ながら教会の裏側には出られなくて,背後の田舎風景しか見られなかった.
次に,いよいよ今日の大目的地サンマリノ共和国に向けて出発.途中までは昨日と同じ高速道路を走り,リミニに出るという100キロちょっとのルート.昨日より道路は空いていて結構スムーズに走れた.時速120キロ or upper くらいのイーブンペース.ドイツよりも「ぶっ飛ばしている」車は少ないが,それでも「あれはどう見ても180は出てるやろ」という車もたまにいる.リミニの近くまで来ると右手にいくつかの城塞を備えた岩山が見えてきて,それがサンマリノだと分かった.Rimini Sud出口で降りてその岩山に向かうと,10キロ少々で国境を通過.道路に赤いペイントがしてあるだけの簡素な国境だった.まあそれはEU圏内は最近どこも同じかも.
サンマリノの(観光の)中心部は岩山の上なのだが,ケーブルカーの乗り場のあたりで警察官が誘導しており,どうやら許可をもらっている車以外は市街に入れないようすだったので,適当に駐車場に車を停めて,ケーブルカーで登ることにした.ケーブルカーはものの1分ほどで山頂に到着.観光客でごった返す狭い石畳の坂道を歩いて,教会,城塞×2をめぐる.観光スポット間は狭いがよく整備された遊歩道でつながっているのだが,両脇にはびっしりと土産物屋やレストラン,バールが立ち並んでいる.しかも土産物屋に並んでいるものがすべて微妙.バッグなど革製品はまだ分かるとしても,なぜか鞘に収まった竹刀などもあったりして,「正義」という札がついていたり「Kill Bill」と書いてあったりする.まるで修学旅行生相手の京都の土産物屋のようだ.まあ,観光産業で保っている国(ちなみに人口は2万人台だそうだ)だから仕方がないのかな.しかしこういうところでバッグを買う人の気持ちがよく分からない.が,結構売れていた.城塞からはアドリア海まで見渡せて,360度の眺望がきく.ここだけがまだ共和国として独立している意味はよく分からないが,きっと昔は難攻不落の城だったのだろう.ちなみにF1のサンマリノGPはこの国でおこなわれているわけではなく,数十キロ離れたイタリアのIMOLAという街でおこなわれているそうである.
今日は「16時には宿へ!」が合い言葉だったので,14時にはサンマリノを離れ,途中またしてもマクドでのランチを挟みつつ,一路高速をぶっ飛ばしてほぼきっかり予定通りに帰着.高速沿いにたくさんあるブドウ畑等々を撮影したかった(それ用だとしか思えないような退避スペースもある)のだが,「撮りたいぞ」と思って以降ちっともフォトジェニックな場所があらわれず,結局うまく停まるタイミングがつかめなかったのは残念だった.
というわけで夕方はゆったりとフラットで過ごす.食材の都合上今日もスパゲティボロネーゼ+ジャーマンポテト+じゃがいもとにんじんと玉ねぎのスープとなった.ジャーマンポテトとスープは,明らかに「煮たか焼いたか」の差しかないが,まあ勘弁してほしい(笑 リビングのソファに寝そべってどうでしょうイタリア編やウルトラクイズメモリアルなど,持ってきたDVDをゆったり楽しみ,その後は荷物のパッキング.やっぱり22時過ぎには眠くなってぐー.
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今からミュンヘン経由〜ザルツブルグを通って,ザンクトヴォルフガングに移動します.とりあえずボローニャのガソリンスタンドで30ユーロほどベンディングマシンに食われました(笑 おつりの概念ってないよね〜.
しかしとりあえず元気です.
エアドロミテのプロペラ機で再びアルプスを越えてミュンヘンへ.ここも晴れているとそこそこ暑いことが分かった.4日前には吐く息が白かった土地とは思えないくらい暑い.やはり欧州の気候はダイナミックである.またさっさと車を借りて,アウトバーンでまずはミュンヘン市内へ.アメックスのオフィスを探したのだが,今日もやはり祝日!終戦記念日ではもちろんなく,聖母被昇天の祝日でお休み!こと両替に関してはやられっぱなしのわれわれである.
仕方なく両替はあきらめて,車内でおにぎりを食べながら再びアウトバーンに戻ってザルツブルグへ.途中事故だかなんだかトラックが延々停められていて渋滞していた(ものすごい玉突き衝突かと思うくらい走行車線にトラックが停まっていたのだが,今考えてみれば国境通過の際に抜き打ち検査でもしていたのかも)が,おおむねスムーズに国境付近に到達.アウトバーンはドイツ国内はタダ,オーストリアに入ると時限有効のチケットを購入しないといけないのだが,ちょっとしか走らないのに惜しいぞ,とわざわざ国境手前で高速を降りて,峠越えでザルツブルグに入る道を選んだ.しかし危惧するほど遠回りではなく,むしろストレートにザルツブルグに入ることができた.祝祭劇場の裏のトンネルから街に入り,今日のところは旧→新市街と街中を通過してザルツカンマーグートへ.45キロほど走って今日の宿泊地ザンクトヴォルフガングに到着した.ヴォルフガングゼーの湖畔にある観光地だ.宿泊するホテルは有名な「白馬亭」の向かいで湖に面したWeissen Hirschenで,名前の通り鹿が目印だ.伝統のあるホテルのようだが室内はとてもきれいにリノベーションされていて快適である.バルコニーには美しく花が飾られ,目の前に湖と山々を眺めることができた.
20時からホテル併設のレストランで夕食.ご夫君はバス,私はボイルしたビーフをいただいた.もちろんビールと共に,付け合わせの野菜も含め,なかなか塩加減が適切ないい味付けで気に入った.ほろ酔い加減で店を出るとマーチングバンドが街を行進中で,思わず追いかけ回すわれわれ,というよりもむしろ追いかけ回す私を追いかけるご夫君であった.
部屋に戻り,バルコニーから眺められる降るほどの星空に感動.
ホテルからはどこの何かは判然としないものの費用のかからない無線LANが拾えているので,ネット環境は大復活.
5時半起床.ようよう白くなりゆく山際,を眺めながらの贅沢な朝.今日は午後からあまり天気がよくなくなる予想だとのことで,早めの動きで周辺を堪能する予定.今日もおにぎり持って出発だ〜!
避暑地の朝は遅い.ホテルの朝食が7時半からだったのでジャストタイムに行ったらガラガラ.巨大な(どう見ても卵3つ使用)のオムレツなどをお腹に押し込んで,8時にホテルを出発.その時点でホテル玄関はまだ鍵が閉まっていた.まっすぐ歩いて10分少々の登山鉄道乗り場へ.始発が8:25,昼から今日は天気が崩れるとの予想だったので「絶対始発じゃないとダメだダメだ!」ということで急いだのである.
登山鉄道はアプト式といって,蒸気機関車が上りは最後尾,下りは先頭についている.つまり上りは車両を押し上げていくわけだ.相当な急坂を40分ほど登ってシャフベルクの頂上駅(1700メートル程度)に到着.めちゃめちゃ風が吹いていて寒い.せっかくきれいな花々が咲いているのに,強風に煽られていて写真など撮れやしない.しかし到着して15分ほどはまだ雲がほとんどなく,360度…はちょっと無理で,270度くらいのパノラマ・ビューを楽しむことができた.
しかしその後急速に雲がもくもくとわきたってきて山頂を覆い始め,風はいっそう冷たさを増すばかり.うっかり半袖で来てしまったので寒さに震える羽目になった.たまらず1時間後の下りに乗って帰ることにした.同じように考える人々は多かったようで「10:10の便なら予約はいらないから」だったのに,大入り満員だった.行き会う上り便はかなりの人たちが乗っていたが,山頂に着いてみたとて寒さに震えるだけだろう.彼らは相当不幸だが,やはり山は早朝が勝負,である.
それでも地上駅に戻ると曇りではあるもののまあ天気はなんとか大丈夫,という感じ.出口には,行きの改札でぱちりと撮られた写真が飾ってあった.うつりはそう悪くなかったので,まあ記念にもらっておくか,とEUR5で購入.
今度は車を出してさらに山奥に行ったところにあるハルシュタットへ.ハルとはケルト語で塩を意味するそうで,つまりは塩の街である.ザルツブルグにせよハルシュタットにせよ,このあたりの山は岩塩を非常に多く含んでいるそうだ.そしてすっかり世界史の知識など消し飛んでいたが,ハルシュタットは先史時代から人々が居住し,鉄器文明も栄えていたところだそうだ.
ハルシュタットの街は塩抗のある岩山と湖の境界あたりにまるでへばりつくように広がっていて,ほとんど空間というものに乏しい.当然駐車スペースも少ないので,街を少し離れたところにあるパーク&ライドに車を停めて,バスで街中に入った.まあ考えてみればこれもなかなか効率的である.まずはご母君強力リコメンドの遊覧船のチケットを買うが,出発までしばらく時間があったので,湖を眺めながらランチ.おにぎり,うまし.
13:10の船に乗って,湖遊覧に出発.天気は今にも泣きそうだがとりあえずなんとか大丈夫だった.街の対岸にある鉄道駅を経由して,湖一周ぐるっと50分程度.まるで絵のようだと形容されるハルシュタットの街だが,今日は曇天のためにものすごく素晴らしいというところまではいかなかった.また機会があれば是非晴天時を狙いたい.教会のそばの桟橋で下船して,塩やせっけんなどのお土産をちょこちょこ買いながら戻り,先史博物館やカトリック教会(カタコンベが有名らしい)はスルーして,またバスに乗って駐車場へ.
というわけで,今日は天気もいまいちだし無理して遊ぶ必要もないんじゃない,と早めに観光終了.静かな湖畔の部屋で,ゆったりとした時間を楽しむのであった.明日は雨だそうで,最高気温予想が15度くらいとか.本当にこのコントラストがヨーロッパだなあ…
と,ゆったりした時間を延々と楽しむことができないのもわれわれの悲しい性で,16時頃にホテルを出て,すぐ目の前にあるモーターボート乗り場から湖にこぎ出してみることにした.モーターボートといっても0-1-2の3段階しかない頼りないエンジンと,これまた頼りないハンドルしかない大変簡易なものだ.だから誰でも運転させてもらえる.30分8ユーロで乗り込むと,これが案外スムーズに走るもので,1時間あればザンクトギルゲンまで行って帰ってこられそうな勢いだった.われわれは湖の中ほどまでこぎ出して,ザンクトギルゲンをちら見して,ザンクトヴォルフガング側をぐるっと一周するだけだった.これで天気が良ければ素晴らしいのだろうが,残念ながら曇り空.それでも地上から見るのとは違った光景を,遊覧船に乗らずとも楽しむことができたのでよかったとしよう.
ちょっぴりお土産やを冷やかした後,18時には昨日と同じホテルレストランへ.今日はガーデンは寒そうなので屋内のテーブルにしてもらった.ご夫君はレバーダンプリング(巨大)入りのコンソメスープ+サーモンのタリアテッレ,私はガーリックのクリームスープ+ニョッキ,二人でチキン胸肉入りミックスサラダをとった.やはりここの料理は塩味がいい感じで(ただし旅行中という適度に疲労している時でなければ塩辛いと思われる)気に入った.このルールをザルツカンマーグート全体に適用していいのかどうかは知らないが.
食事を終えた頃には残念ながら雨模様.今日も来るかとブラスバンドを楽しみにしていたのだが,おそらく登場しなかったようだ.二人して21時過ぎに就寝.
愛知淑徳大学・斎藤和志先生がブログ・世間流宮別館でさまざまなエピソードを書いておられることを知る.切れ切れに聞いていたエピソードが少しだけつながって理解できた気がした.だからと言って何が変わるというわけではないのだけれど.
ぐっすり休んで6時半起床.残念ながら湖には霧が立ち,周囲の山々も霞んでいる.そして寒い.おそらく日本の1/3程度の気温しかないものと思われる.さすがに今朝は湖を泳ぐ人はいなさそうだ.しかし滞在中にとてもいい天気も体験できたのだからよしということにしよう.今日はザルツブルグに移動し,夜はザルツブルグ音楽祭に出演するバイエルン放響@ヤンソンスを鑑賞する予定だ.しかしホテルのチェックインまでにかなりの時間があるので,何かアクティビティを入れたいが,この天候では,さてさて…
朝食(今日は巨大オムレツと戦うのをやめ,おとなしく目玉2個のフライドエッグにした)後,チェックアウト11時のぎりぎりまでホテルに滞在.ホテルの周囲はほとんど不気味なまでに静かである.天候に無関係にせかせかと観光地を回らざるを得ないツアー客以外は,静かな朝を過ごしているのだろう.うらやましいことだ.
旅行中にユーロがダダ下がりしてますなあ.
欧州滞在中,という一面的に見るとこれ以上いいことはありません.しかし案外カードが使えないところが多いんですねえこれが.
ちっとも行くつもりのなかったザルツブルグ某所に行こうかという気がむくむくと…(笑
基本的に雨.ザンクトギルゲンとフシュルを経由して,フシュルでは一瞬明るくなったので湖の写真を撮り,ベンチに座っておにぎりを食べるも,また雨になったので退散.
ザルツブルグまで戻ったものの,まだホテルのチェックインまで時間があるので通り越して近郊のAnifまで行ってカラヤンのお墓参りをした.幸い,このサイトを保存して行ったので,教会を探すのにやや手間取ったものの,たどり着いてからはまったく迷わずお墓を見つけることができた.教会の手前の通りはヘルベルト・フォン・カラヤン通りといい,カラヤンの生家邸宅(生家はザルツブルグにあった)があるわけだが,どうやら後で調べてみるとムーティさんのおうち(多分生家だろうが…なわけないか.イタリア人だもんな.っていうことは住んでる???→別荘らしい)もあったようだ.
新市街ミラベル庭園そばのCrowne Plazaにチェックイン.まあ味気のない普通のホテルだが仕方がない.そもそもこの音楽祭の時期にザルツブルグに1泊しかしないという行為自体が味気ないため,普通によいホテルは泊まらせてくれないのである.
まだ小雨模様だが,コンサートまでまだ随分時間があるので周辺の町歩きに.去年は旧市街に泊まり,新市街は車で通っただけだったので,今日は新市街のミラベル庭園をうろうろ.しかし周囲の風景を入れ込んだ写真を撮るには天気が悪すぎる.というわけで花を中心に.その後は旧市街に行き,後でまた来る祝祭劇場近辺とゲトライトガッセ(目抜き通り)を散策.ゲトライトガッセ最奥,ヴィトンの前あたりに K&K&k 一家が音楽祭期間中に滞在しているアパートがあり,「おお,ここにキティがいるのか〜」と思いながら,階下のアイスクリームやで,おすすめのバタークッキーとMohnフレーバーのアイスを食べた.Mohnは私の食べる限りココナッツの味がした.その後は適当に見つけた民族衣装の店で,ご母君お言いつけの木綿のハンカチーフを購入.ちなみに「ハンカチーフはあるか」と聞いたら通じず,ご夫君のそれを見せて納得してもらった.何と言えばよかったのだろうか.
クラシックのCDが欲しいと思い,うろうろするが祝祭劇場のショップとゲトライトガッセの楽器店にほんのちょっぴり置いてある以外は見つからず.ネットで探索してもあまりめぼしい情報は見つからない.ここは「音楽はライブで」が基本の街なのだろうか.音楽祭期間中くらい特設で店を出せば,儲かりそうなものなのになあ…
一旦ホテルに戻って着替え,再び19時過ぎに出かける.祝祭劇場に行く前に腹ごしらえを,というわけで新市街ホテルザッハー近くのロジにあるHappy Chineseへ.中国人や日本人の旅行者が多くいた.白菜とキクラゲの炒め物と野菜チャーハンを食する.やっぱり中華は安心できる味がする.ここは小澤征爾ごひいきのお店だそうで,廊下に写真パネルが飾られていた.
去年に引き続き今年もザルツブルグ音楽祭を聴きに行く.去年はウィーンフィル@ムーティでマチネだったが,今年はゲストオーケストラのバイエルン放響@ヤンソンスでソワレである.席は前よりもよいセンターの前から4列目.曲目はオネゲルの交響曲第3番「典礼風」とベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付」の2曲.オペラではないがソワレだし,ものすごくみんな盛装していたらどうしよう,と思ったのだが,幸い私たちの風体(ご夫君は夏用のブラックスーツ,私はワンピースに麻のジャケット)でも浮くようなことはなかった.
オネゲルはまったく予習なしで行ったのだが,現代風な曲想の中にも深みのある表現満載で気に入った.ヤンソンスがコンセルトヘボウと録音しているようなのでまた入手しようと思う.ちなみに,この曲は61年前の今日が初演(チューリッヒにて,指揮ミンシュ)だったという縁もあって選ばれたようだった.
第九はまあお馴染みの,という感じではあったが,やはりヤンソンスらしい重厚かつ壮麗な表現で聴かせてくれた.特に合唱団がよく頑張っていた.というか,実はライブで「ドイツ人がドイツ語で歌う」第九を聴いたのは初めてなのだが,彼らにしてみれば(当たり前だが)ネイティブの言語で歌っているわけで,日本人がある意味「口まね」で歌うのとは表現力が違うというのを実感した.また,ソロバリトンのThomas Quasthoffという人を私は寡聞にして知らなかったのだが,サリドマイド障害を持っていて,手は肩からすぐのところについていて指は欠損しているし,足もとても短い.それでも大変素晴らしい声量の歌を聴かせてくれて,正直とても驚いた.声楽という,まさに体全体を使う行為をあの体で成し遂げるというのは,すごいことだと思う.
このコンビに次お目にかかるのは,この11月,大阪である.チェロの首席がとてもかっこよかった(コンサートがはねた後,ふつーに私服で祝祭劇場から出てきたのを見るとものすごくその辺のおにーちゃんになっていたのがまたよかった)ので,是非来日してもらいたいものだ.しばらく出待ちをし,ほとんどのオケメンバーとソリストたちを見送るも,遂にマリスを待ちきれず日付が変わってしまったのでホテルに戻った.
寝たのは1時頃だったが,順調に6時半起床.幸い空は雲はあるが晴れている.朝食に最後の米を消費.お土産分くらいは荷物を軽くすることも必要なんである.
8時にミラベル庭園が開くのでお散歩.さわやかな天気でとても気持ちがいい.色とりどりの花が咲き乱れているのを写真撮影しまくり.モーツアルテウムからの秘密の鉄扉も発見.
9時半前にホテルに戻り,さっさとチェックアウト…しようと思ったが,バレットパーキングから車を戻してもらうのがなんだか連絡系統がうまくいかなかったようで,結局1時間待たされた.ザルツブルグは駐車場が少ないから仕方がないけど,だからバレットは嫌なんだよなあ.
帰りは一路ミュンヘンへ.行楽ホリデーなのは洋の東西を問わないようで,高速道路はかなり混んでいた.通常は140キロくらいで皆ぶっ飛ばしている(もちろんもっとありえないくらいの車も最左車線にいらっしゃる)ところなのに,何かフォトジェニックなもの(道端の牛とか教会とか湖とか)があらわれると途端に混むのが分かりやすくてよい.途中去年も立ち寄ったキームゼーに.前回冷たい小雨の中を遊覧船に乗って男島にあるルードヴィヒ2世が建てた(ということは去年行ってから知ったのだが)でっかい宮殿(ヘルンキームゼー城)を見に行ったのだが,今度は対岸の方からアプローチ.穏やかな日射しの中,ヨットがたくさん浮かんでいて,のんびりと岸辺で憩う人や犬たちがいた.
フライトちょうど1時間前に空港到着.チェックイン時にBAのおじさんが「んー,関西…,なんだったっけ?」と空港のスリーレターコードが思い出せなくて困っていた.「カ…,カー」と隣のお姉さんと考えるが分からず,遂に私たちに「知ってる?」とご下問が.もちろん「KIX!」と即答すると,とっても喜んでいた.今日は1つ賢くなれてよかったね.おじさん.その後セキュリティゲートでは国際線フライトだというのにありえないくらい飲料を持ち込むバカ,いやお客様方のせいで随分待たされた.係員はInterLinkを見て「これは何だ?え?PC?ほんとか?(開けてみせる)オオ…」と驚いていた.それくらいにでも驚いていないと,多分この仕事は退屈だと思う.
2時間のフライトでヒースローへ.ぼうぼうに火のついたように泣き喚く子供にもかまわず30分ほど熟睡.狭い機内ではそう眠れるもんじゃない.ロンドンは,雨模様.長蛇の列に並んでセキュリティを通過した後は,ラウンジでフライトを待つばかり.
ロンドンからのフライトは,夕食サービスが終了するなり爆睡.シェルフラットシートの微妙な角度にも慣れてきて,初めて乗ったときのように足元にずり落ちることはなくなった.要は頭の方に重心を置けばよいのである.多分7時間くらい寝ただろう.今回のフライトは,行きも帰りも映画を1つも見なかった.
関空(第二滑走路)には15時過ぎに早着.世界陸上のウェルカムデスクが作られていた.日射しがないので危惧したほど暑くなかったのは幸いだった.どうやら今日あたりから寒気が流れ込んできているようである.リムジンバスで西宮には17時到着.お疲れさまでした.
昨夜は23時に就寝.一度も目覚めず5時半起床.
しかし,また8時過ぎから昼過ぎまで寝てしまう.これはきっぱり向こうの夜である(笑 夕方にもぞもぞと荷物を片づけたり,夕食の買い物をしたり.今日も頑張ってちゃんと寝て,明日は大学に行こう.
こんなところか美容院でしか読めない「女性誌」を読んでいた.最初は「女性自身」,次は「VERY」というある意味対照的な2誌だ.どちらの雑誌もいろいろな「有名ブランド」の商品を紹介しているのだが,
女性自身:安売り店(not直営店)の販売価格が書かれている
VERY:国内直営店の販売価格が書かれている
という違いがあることが分かった.
撮りためた写真からざっとピックアップして200枚弱をPicasaにアップロードしました.一部もうちょっと明るさを調整した方がよい写真もありますが,まあ,とりあえず(以上のものはウェブ上ではもうないのですが…笑)ご勘弁ください.
今回の旅行ではGPSデータロガー持参で毎日の移動経路をトレースしていました.今日は最終日のものしかない(それまでのデータは自宅ノートPCにあるため)のですが,こんな感じで取れるわけです.地図右側のザルツブルグからスタートして,アウトバーンを一直線にミュンヘンに向かい,環状道路を1/4周くらいして空港に向かうという経路です.時速70キロ以上のポイントだけをピックアップしたので,どこで渋滞していたかがくっきり分かりますな.
昨日は特命捜査員をやっていたので,その成果報告など.成果は挙がったが,挙がってうれしいという類のものではなかった.世の中というのはなかなかに難しい.また,某重要案件の書類を眺めてみたり.これはいい=うれしい成果を期待したいものだ.っていうか,そうしないとやばいのである.世の中というのは常に綱渡りである.
また,コタキナバル出張と恩師祝賀会の写真を遂に整理してPicasaにアップロードした.恩師祝賀会の写真の方は,Picasa経由で普通にL版プリントはするとしても,何らかの形で記念品にしたいなあ,しかし写真パネルあたりではなんとも平凡だ,と思ってあれこれ探索していると,ゆうびんホームページでフレーム切手というサービスを発見.オンラインでさくさく注文できるインタフェースもなかなかグッド.しかも安価.大変気に入って即2ポーズを発注した.届くのに少々時間がかかるようだが,楽しみだ.
それはそうと,面白い本をご紹介いただいたので,近いうちに買うこと.
見えてしまうんだねえ.これが.
一日おきに時差ボケが襲来するらしい.寝ようと思ったらドキドキするような,しかし実に同意できるメイルが流れてきて,また目が冴えてしまった.今日あと1時間寝られなかったらよしろうさんのせいだと思う(笑 笑いながら怒らせたら竹中直人も真っ青である.
昨晩の雷雨はなかなかすごかった.ちゃんと西宮ですごかったことも報道されている.しかし,確かに「わーう」と声が出るくらいすごかったけど,前代未聞というほどのことはない.確か1994年の夏は,毎日お昼は不気味なほどの灼熱の暑さで,夕方になったらこれまた不気味なくらい乾ききった音で雷が鳴りまくっていた.あれに比べたら大したことはない.…と言えるのは,先週いなかったせいかもしれないが.
何でもかんでも「こんな気候は今までなかった」→「それもこれも地球温暖化のせいだ」と深刻ぶって言うばかりで,じゃあどうすればいいかをちっとも言わない態度はそろそろやめないか,古館伊知郎.
結局寝たのは2時半.微妙によしろうさんのせいにはできなかった.
今日はMTG3件.六本木・神保町・後楽園.幸いにもみな比較的近接.
久しぶりに17-18ゲート前にあるJALラウンジに入ったら,めっさ変わっていて驚いた.
1)無線LANが自前運用・ワンタイムID(24時間利用可能)をもらう形式に変更
2)ビジネス利用に特化したのか,PC置いて作業ができる,悪く言うとすごく対人距離の広い図書館の自習室のような空間の増量
である.いずれも私にとっては好ましい変更ではあるわけだが.
めっちゃ晴れてるやん!
…と書いたのは六本木でのことだったが,空港に向かうラジオで,えみちゃんが「東京は,あめ」と言っていたので「げーまじかよー」と思っていたからなのである.実際のところその雨は私が東京に着く前にやんでいたようなのだが,それで天気予報が「あめ」はどうかと思うよ気象庁(あるいはウェザーニュース).
六本木:調査項目の調整,1時間半.まだミッドタウンは山びこオフィスとランチで行ったレストラン2店しか知らない私.
神保町:シンポ開催予定会場見学,共催打ち合わせ申請等,1時間.コバテツ君ありがとう.
後楽園:ビッグエッグ襲撃…ではなく,ゲームのテストプレイと研究打ち合わせ,2時間.Iさんは本当にあべしんぞうにそっくりだ.でも苦悩の様子はなかった.よかった.
なんとなく切迫感に駆られたため(笑,ハンドブックの読書会の担当章読みを始めてみる.とりあえず前半の方はとっても易しい英語でとっても易しい内容についてくどくどと書いてあるので,レジュメにする箇所は少ない.こりゃ楽チンかも〜.ただし,全訳には絶対に適さない(笑
今日から世界陸上開催.午前7時スタートでもこの時期のマラソンはほとんど拷問ではないだろうか.
ところでアメリカの男子短距離陸上選手にGayという人がいる.アメリカ在住が長かった札幌M君に,
彼はGayという名前でからかわれたりしないんだろうか
と聞いてみたら
さあ,ないんじゃないですか?
との答えだった.彼は冷血(笑 だからそう思うのか,実際そんなことはありえないくらいアメリカでgayなど当たり前なのか.それはまだよく分からないが,少なくとも日本のマスコミはとっても意図した見出しをつけていてムズムズする.例えば…
「ええと,取材取材….ゲイ選手はどこにいるかな?あの人かな?」
「んー,確信が持てないなあ.聞いてみるしかないか」
「えくすきゅーずみー,あーゆーげい?」
KPC(ポートアイランドキャンパス)に行ったのは2回目.まったくまるで絵のようなキャンパスだった.ただキャンパスが美しいだけではなく,教室からぼーっと外を見ていると「さんふらわあ」だの観光遊覧船だのがゆったりと行き来するのである.少なくともこれを作った本務校のセンスは褒めてあげたい.しかし潮風をまともに受ける立地でこれからの劣化はどうなるか… そして大学という教育機関としてこのキャンパスがただの「絵に描いた餅」にならぬよう願いたい.
ご父君がめでたくも先月古稀を迎えたので,われわれでご両親様を招待してお祝いの食事会をした.あんまり考えずにリーガロイヤルホテルの「なだ万」にしたら,タイミングがいいというのか悪いというのか世界陸上の選手村状態だった.特に今日はウェルカムレセプションあたりがあるのか,ロビーはホテルには似合わぬ短パンTシャツ姿のめっちゃでっかい色の黒い人とか,ハンマー(注:陸上競技用品の方)をぶらぶらさせて歩くアルヘンティーナ女性とか,面白い人をたくさん見ることができた.ご夫君は「学会のレセプションもこんな感じちゃうん」と言っていたが,確かに参加者の体躯とファッション以外(さすがに短パンの人はあまりいないから)はそうかもしれない.駐車場に車を入れようとしたら「今日はVIPが来られるのでこれを…」と「検」というスタンプの捺された紙をダッシュボードに提示するよう依頼された.しかしトランクまで開けられることもなかったので,大したVIPじゃないのかなーと思っていたら,
第2日 8月26日(日) 午前 介護老人保健施設悠々亭 御 訪 問 リーガロイヤルホテル 午後 大阪歴史博物館 御 視 察 リーガロイヤルホテル 長居陸上競技場 第11回IAAF世界陸上競技選手権大阪大会競技御覧 女子七種競技・800m 男子400m障害準決勝 男子100m決勝 リーガロイヤルホテル
というのが天皇皇后両陛下のご日程だったようだ.つまり日本最高のVIPと接近遭遇だったわけだ!(しかし皇太子殿下にお茶を出した従姉には負けた,と思う私.っていうか遭遇してへん…) それにしては警備が軽微だったなあ.
で,なだ万のお料理はなかなかリーズナブルであるにも関わらず,薄味過ぎずしっかりとした,かといってくどくもないお味でおいしくいただけた.お弁当ならもっともっと手軽に味わえるようだ.
読書会のレジュメ完成.ほぼ予想通り所要時間はトータルで6hrsほどであった.中身がぷーすかぴーな割には量が多くなり,時間がかかってしまった.早速MLのフォルダにアップロードし,司会者に連絡の上,指定討論者かいちくんにも送りつけておく.
今日はこの後知恵袋の調査項目の整理(2×4の8パターン+モバイル2パターンがあるのでなかなか大変.しかしこんなめんどうなものを実施してくれる相手先があるのだから感謝しなければならない)をして,それから懸案の執筆を開始しなければならない.これがあるせいで昨夜は日曜日が終わってしまうのが悲しくてたまらないという普通のサラリーマンみたいな気持ちになってしまっていたのである.
知恵袋の調査項目整理は,想定より時間がかかったが,なんとか帰る前に終了.整理しているうちにだいぶ構造化も進んだ,ということにしておく.
明日から…
なんとなんとボローニャから送ったつもりだった1章分は届いていなかったことが判明.道理で受け取りの返事が来なかったわけだ….編集者個人宛のつもりがMLに投げてしまっていたのは私のミスだが,今時MLの容量制限が50KBって,
どんだけー(IKKO風)
一級品のフリーターSAM君のSo What?よりメモ.
ctrl+ space 列選択 shift+ space 行選択
他にもいろいろあるらしいけど,あんまりたくさんあっても手が覚えてくれない.こういうのって,ソフトの使い方を授業やセミナーで教えてもらう経験がないと,めったに気づかないもんだろうなあ.
昼頃にふと腕時計を見たら,ありえない時刻を指していた.普段使いの時計は,
アナログ
秒針あり
であることが必要(前者は単なる趣味だが後者は試験監督をするときに重要)で,なおかつ,
高くないものを買い,一度電池切れしたら捨てる
ことにしている.太陽電池は冬場に服の下にしていて一旦ダメになると再起しにくく厄介だった経験があるので敬遠しているのだ.前回は旅行中にハワイで買ったが,今度は日本で買わなくちゃ.なんとなく,日本で時計を買うのに慣れてないんだけど,待つわけにもいかない.
まず,おもむろに資料を集める.〆切過ぎてるのに今さらかよ!というツッコミはなしだ.だって,今までやってなかったんだから,仕方がないじゃないか!(逆ギレ)
うーん,〆切を破るなんて「よくいるその辺の研究者」のようなことをしてしまっていて,嫌な感じだ.早く書き上げねば.
こないだGay氏について言及したが,2ch経由で知った東京スポーツの記事によると,
その圧倒的なスピード同様、名前のインパクトも抜群だ。ゲイのスペリングはGay。 もともとは「陽気な」「豪華な」といった意味だが、当然のことながら同性愛者という意の方が 有名である。もっともゲイには6歳の娘もおり、そっちの気はないようだ。 この姓は米国の特定のエリアに多いというものではなく、欧米圏でも非常に珍しいという。 米国にマービン・ゲイという伝説的な黒人ソウル歌手がいた。そのゲイも本名のGayを嫌がり、 後からeを付けGayeにしたとも言われている。当然のことながら「彼は小さいころは からかわれたり、いじめたりしたようだね」と米国の陸上関係者が明かした。
やっぱりそうか… 他のマスコミが含羞を込めつつ激しく気にしていたポイントをためらいなくまっすぐ突いた東スポには「さすが」との言葉をおくりたい.
そういえば今更思い出したが,ベン・スティラー演じる Meet the parents シリーズの主人公は自身の「Gaylord Focker」という名前を嫌っていた(普段は単にGregと名乗っていた)し,本名を名乗ったり呼び出しをかけられたりした時の周囲の反応が面白おかしく描写されていた.やっぱり気にされるものなんだよな.以下,当該映画の台詞から.
Late Night Courier: Gaylord M. Focker? Greg Focker: That's me. Jack Byrnes: I thought your name was Greg. Greg Focker: It is. Late Night Courier: That's not what it says here. Greg Focker: Gaylord is my legal name. Nobody's called me by it since third grade. Denny Byrnes: Wait a minute, so your name is Gay Focker?
Dina Byrnes: Now Greg, you have a *very* unique last name and Jack and I were wondering how to pronounce it? Greg Focker: Oh, just like its spelt. F-O-C-K-E-R. Dina Byrnes: F-Focker. Jack Byrnes: Hmm, Focker.
昨日 Meets the parents の話を書いた直後に知ったこのニュース.当該映画では主人公婚約者の昔の彼氏で最後に牧師役でも出てきた彼です.昔asarin心の名作ベスト5に入る My Dog Skip でいかにも頼りなげで薄幸そうで予想通り戦争で死ぬ隣のお兄ちゃんを演じていたルーク・ウィルソンの兄貴でもあります(関係ないけど当該作の主人公を演じた子役は大方の子役とまったく同じ,安達祐実的「成長」ぶりを示しているようだ).リスカにODなんて自殺の王道をやらかすとは思えないネアカキャラだったので,ショック.ABC振興会の速報も結構詳しい.なお,マンUのオーウェンでも,火星人襲撃のオーソン・ウェルズでもありません.
しかし,リスカとODくらいではそう簡単には死ねない,ということが再確認されたなあ…
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大学に行くと何か用事をしなければならないような悪寒がしたので,今日は自宅作業.しかし某WG用の入力フォームを作るのにだいぶ時間を割いてしまった.今日中に他のメンバーに送る手はずだったから仕方がないのだが.
こないだ思い出したので久しぶりに見てみた.スキップが強烈にかわいいので,犬好きの方は絶対に見るべき.そして見たら必ず最後は(強烈に予定調和だけれど)号泣のはず.あと,ケヴィン・ベーコンファンにもお勧め.今ならなんと700円ちょっとでDVDが買えてしまいます(そんなにマイナーな映画なのか…).
そして訂正.ルーク・ウィルソンは戦死したのではなく,戦場で人を殺すのが嫌で逃げて帰ってきた「卑怯者」役でした.
日本選手のダメダメっぷりは,フィジカルおよびメンタルトレーニングの壮大な失敗例としてケーススタディの価値があるのではないだろうか.元々大して強くはないことを承知していても,コンディションが最悪の状態で大会を迎えた人が多すぎないか.それとも,今回不必要に期待を煽られているからそう思うだけで,いつもみんな失敗してるのか.北京五輪で日本(中露米以外の国)がまともに活躍できるとは思えないので,ここがチャンスだったのに!
話には聞いていたが,織田裕二のテンションは異常だ.あとフィールド担当の実況アナも異常だ.もちろん,TBSの中継が全体的に異常なわけだが,この二人は際だっている.地上波TBS独占は仕方がないとしても,せめてNHKのBSやハイビジョンでやってくれたら淡々と競技を見られるのに.今大会の収穫は,地球の総人口が今や67億人に達していることを知った,それくらいだろうか.「67億人の1位」というテロップ,あれは笑いを取るためにやっているんですよね?ね?
ふと気が付くと,某委託研究のことで調査会社と頻繁にやりとりをしているのだが,Web画面を作り込む担当者の女性から私へのメイルの冒頭が,
ほげほげ大学人文部 asarin様
となっている.訂正するのもなんだか気が引けるので,そのままにしてある.大学教員なんだからふつー学部やん,とは思うが,仕事は十分に早く的確だし,新聞部まがいでもガマンするか…
いや,沢野さんとかいう人はどうでもいい.問題は,
これは土佐さんのベストショットなのか?
ということだ.既婚者だけど,女の子なんだぞ!もっと考えてやれよ!
それにしても昨日の男子走り幅跳び決勝(の最後の2試技)はものすごく面白かった.投擲系と跳躍系で,予選ならQライン,決勝なら当該時点でベスト記録のラインが示されており,相対的な意味で記録が見やすくなっているのはよいと思う.前回大会はアイスランドのホテルでまったり見ていた.イシンバエワがやっぱりすごかった記憶が.あのときはヘルシンキ開催.8月半ばではあったが,さぞ涼しかっただろう.
日本選手の悲惨な競技ぶりと共にやり玉に挙げられているのが天下の大阪市をコアとするスタッフの体制.まあ大阪市なんだから,ということですべて説明がつきそうだが,志願ボランティアスタッフはたまったもんじゃないだろう.こんな記事がある.後期からわがゼミに配属される2年次の女子学生が実際現場に入っているようなので,是非大会終了後に詳細なレポートを求めたいと思っている.
村上2メートル届かず予選落ち/世界陸上 <世界陸上:男子やり投げ予選>◇7日目◇31日◇長居陸上競技場 村上幸史(27=スズキ)が、惜しくも決勝進出を逃した。 77メートル63。約2メートル差で予選落ちとなった。 「精いっぱいやりました」と潔く現実を受け入れていた。 [2007年8月31日13時2分] http://www.nikkansports.com/sports/athletics/2007/f-sp-tp0-20070831-249464.html
青山幸、予選敗退に涙/世界陸上 <世界陸上:女子走り高跳び予選>◇7日目◇31日◇長居陸上競技場 青山幸(30=大阪陸協)は1メートル88をクリアできず、 1メートル84で予選落ちした。 「地元大阪で人生の運を全部使っても、 予選通過ラインの1メートル94を跳ぼうと思った。 心残り。助走の技術を詰め切れなかった」と涙ながらに話した。 大阪で中学校教員を務めており、教え子も応援に駆けつけたが、 無念の予選落ちとなった。 [2007年8月31日12時41分] http://www.nikkansports.com/sports/athletics/2007/f-sp-tp0-20070831-249459.html
この場合,人生の運はまったく無駄に消費されてしまったのでしょうか,それとも… なお,やり投げの彼は昔から(局地的に)有名ですが,読み方が違うのです.
いやいや…それはちゃうって>自分
〆切を破っている原稿書き.なんとか今日中にすべてのパーツを埋めてしまいたい.8時から頑張り始めて既に10時間経過(もちろん適当に休憩中).ナイター横目にまだまだ頑張るぞ.
Before...
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