テキストマイニングのためのかわいい前処理ツールTTMですが,下記の通り緊急のお知らせをいたします.
ソフトウェアの中に組み込まれていたツールの試用ライセンス期限切れのため,2008.7.31までにダウンロードしていただいたTTMは,現在使用できなくなっています.8/1にスタンダードライセンスを適用したバージョンを作成しましたので,お手数ですがこちらから再度ダウンロードをお願いいたします.なお,今後同様のライセンス期限切れが発生することはありません.
ご迷惑をおかけします.
テキストマイニングのためのかわいい前処理ツールTTMですが,下記の通り緊急ではないお知らせをいたします.
ソフトウェアの正式名称を,TinyTextMining から TinyTextMiner に変更いたしました.特にシビアな理由があるわけではなく,姉妹ソフトとして開発された TinyWebCrawler(TWC) と語呂を合わせるためです.TWCはYahoo!ブログ検索を利用して,ブログを収集するフリーソフトウェアです.収集されたデータはTTMにそのまま適用可能ですので,両者を併用することにより,さらに充実した研究の可能性が広がります.こちらもご愛顧ください.
キムと話していて「まだ査読結果が来ないよ〜」と文句を垂れていた論文の査読結果が返ってきた.そば屋の出前か.結構骨っぽいコメントをいただいたので,じっくり腰をすえて改稿に取り組まなければなるまい.まずは,2週間ほど寝かせよう(笑
猫の額のような我が家の庭に,このところの時折の夕立のせいか,急に雑草が生い茂ってきた.草抜きには苦労させられているのだが,不思議なのは毎年生えてくる雑草の種類が違うこと.以前はタンポポの友達みたいな,地面にべったり張り付くように茂る草が跋扈していた.当然抜きにくくて閉口した.しかし今年は芝のお化けみたいな,割と背が高いがびりびりと抜いてしまいやすいものがほとんどだ.その点では助かるが,すぐに藪みたいになってしまうのは面倒だ.
相変わらず毎日暑い.そうすると水道の水が熱い.今日もそうめんをゆでてざるにあけ,水道水をざあざあ注いだのに,いつまでたっても体温くらいの水しか出ず,何の役にも立たなかった.洗い物の際は汚れがよく落ちてよいかもしれないが….
今日も仕事をする気になれなかったので,札幌M君が送ってくれた「おにぎりあたためますか」と「ハナタレナックス」を見まくる.DVD6枚,全部完了.
後期試験が終了.対人心理学Iと心理統計法で推定350枚ほどの答案がどっと寄せられることになるのだが,必死のパッチで頑張れば一日で採点できる…かもしれない.やるでー.
藤川がいなくなったから接戦は厳しいのは確かですが,そこまで点数を入れまくらなくてもいいと思うわけですよ.でも,横浜さんは許してくれないんですねえ.
本日午前9時過ぎから午後9時前まで,この日記を運用している自宅サーバが停止しておりました.てっきりサーバマシンの熱暴走かと思いましたが,どうやらモデムないしはルータの問題だったようです.多分…
対人心理学Iは,まぁまぁみんな頑張っていた.よかよか.
心理統計法は,悲惨… っていうか,2変数の相関を求めるのに生データと各変数の平均.分散と両変数の共分散と与えたら,生データと平均から必死で標準偏差を求めている学生,少なからず.そりゃそんなことしてたら到底後ろの方の問題まで手が回りませんて.
心理統計法・対人心理学I各170部ほどの記述式の答案を1日で採点するのは無理でした.すいません.「のべ1日分の労働」に訂正します(笑
昨夜は23時頃まで頑張り,今朝は電車×2とバスの中で猛烈な勢いで採点し,少々乗り物酔い状態(笑 今日は社会心理学領域夏休み直前恒例のSIMSOCのゲーミング実習なのであまり採点に割ける時間がない.しかしなんとか対人心理学Iの方は85%ほど終わった.
髪の毛を切ったために露出した首筋が日焼けしてしまったようだ.それほどに昨日は暑かった.雨が降るとかいいつつ降らないし.裏切り者.慌てて今日から日焼け止めをぬりぬり.
8時半から16時半まで毎夏恒例のSIMSOC(模擬社会ゲーム)の実習.毎年心理学棟5Fの4つの部屋を使い,コントロール基地を廊下にテーブルを出すことで設けていたのだが,今年は「こんな暑さじゃやってられん」ということで向かい側の実験室を使わせてもらってエアコンの効いた環境に退避した.廊下にもエアコンは設置されているのだが,節電のため「電源が常に入れられない」モードになっているのである.毎年最初はルールを忘れてしまい,プチパニックに陥るのだが,今年もその例に漏れず.しかもうっかりヘルパー役の学生をリクルートするのを忘れたのでてんてこまいだった.セッションを重ねるうちになんとか落ち着き,後はあっという間に夕方まで.今年の学生たちは悪く言えば変化に乏しい,よく言えば穏やかな社会を構築したのであった.
実習終了後脱兎のごとく片付けを終わらせて(というより実習助手さんに任せきりにしてしまい)17時にバスに乗ってビアパーティへ出陣.2年前まで同僚だったK先生からのお誘いで学科有志でホテルオークラ神戸のビアガーデンに繰り出した.K先生のお知り合いがいたので,お料理もたんまりサービスしてもらえたし,労働の後のビールは当然心地よく,海際だけあって涼しい風も吹き抜ける快適な空間で,楽しい時間を過ごすことができた.20時頃からは時折の稲光と雷鳴が徐々に激しくなっていったが,結局神戸中心部では雨は降らなかったはず.これで大画面で中継されていた阪神さえ勝ってくれれば言うことなかったのに(--;)
こ,これは… どうせ東京都内くらいだろうとたかをくくっていたのに,自宅が真っ正面からばっちり鮮明に写っているので衝撃.かろうじて表札は判別不能なくらいの解像度ですが.
実家は撮影ポイントからはずれていたが,京都の旧祖父母宅もばっちり.ちょっとこれはどうしたもんか.
表札は一応判読不能に加工してあるらしい(まあ,そりゃそうか).しかし車のナンバーは加工してあるのかもしれないが消しが薄い(流出物か).自宅周辺では推定昨年秋あたりの月曜日朝に,全方位ビデオカメラを積んだ撮影車が通ったようである.
研究室に取材カメラがやってまいりました.ディレクター氏が撮影クルーを2人連れてやってきて,さくさくとセッティング&インタビュー撮影&分析をしているわざとらしい光景の撮影をしていきました.所要時間はわずか1時間.もっと緊張するかと思いましたが,全然.ディレクター氏の質疑がスムーズだったので,あれこれ思いつくままに適当にしゃべりましたとさ.タイガースカレンダー(残念ながら撮影時には外されてしまった)を見たクルーが一言.「西に来たーっ,って感じですね」と宣いました.
所用があって夕方に梅田に出かけ,2時間半ほどでそれを済ませて帰宅.今日も雷雨があったようだが,またもや器用に外してほとんど傘をさすことなく帰宅できた.いやあ,人徳,人徳(笑
車のナンバーは撮影時になるべく映り込まないようにしているという。
いやいや,オープン外構で駐車スペースつきの家を真正面から撮ったら,普通に映り込むに決まってまんがな.
新居予定地は現時点でまだストーキングビューされていないのだが,絶対にクローズド外構にしようと固く決意しました.
旅行前の最終出勤日なので,部屋をちょっとだけ片付けて,ゴミを捨てて,実家に預ける植物さんと旅行に持って行く資料を抱えてえっちらおっちら帰宅.
朝からまめまめしく作業して,自分の担当章チェックと,他の著者から送られてきた第3稿のチェックを完了させた.今日は荷造りせなならんのだ.でも昼前に帰国したご夫君と一緒に昼寝してしまったのだ.そして目が覚めてからも思わず熱心に高大連携出張の準備をしてしまったのだ.うきゃ.
結局荷造りは夕方から夜.といっても私は手回り品と衣類さえ詰めれば後はこびとさんがやってくれるし,しかもこびとさんは今日海外から帰国したばかりとあって,から大した手間ではないのだった♪
豚細切れとキャベツとキムチの炒め物 千切りキャベツと薄切りきゅうりに塩して絞ったもの かぼちゃの直かつお煮 ほうれん草のからし醤油あえ なすの即席漬け キャベツと大根のみそ汁 ごはん
つまり肉は豚こまがちょっぴりしか残っておらず,キャベツ半分が丸ごと残っていたわけですね.
私は行進好き人間だ.高校野球の開会式は毎回見ては涙しているし,衛兵交代式は好きだし,マーチングバンドが街を練り歩いている(欧州ではよくある)と我を忘れて追いかけてしまう.
しかし最近のオリンピック開会式の入場行進はちっとも面白くない.みんなだらだら歩いているし,ビデオカメラをぶら下げ携帯で話しながら旗も振りつつ千鳥足のおじさんもいる.そもそも音楽が2拍子じゃないし.日本選手団は40年前のJALのスチュワーデスみたいな格好だし.
今朝も6時から某章のチェック.一通りチェックし終わって9時過ぎ.荷造りの最終段階をやってから,10時前にチャリでJR西宮に突撃して高大連携出張の切符を予約.激走すれば5分ちょいでいけることが分かった.さらに激走して汗だくで帰宅し,シャワーを浴びて,ようやく旅行に出る格好をして,11時30分のリムジンバスで伊丹空港へ.
空港では,ダメもとで羽田便から成田便(Web上では空席なし)への変更をお願いしたら,なんだかよく分からないができてしまった.なんと伊丹からの午後便はCRJという50人乗りのミニマム飛行機なんである.当然クラスJ設定などないのし空港使用料も違うので払い戻しもあったというおまけつきだった.
というわけで伊丹で出国することになったため,ついでに最終到着地までの荷物タグをつけるのもお願いする.サンフランシスコ→ソルトレークシティ→ジャクソンホールという乗り継ぎ経路を示したら,カウンターのお嬢さんの目が点になって,
遠いですね…
とおっしゃった.遠いらしい.その後,空港内のレストランでそばと天丼を食べ,ラウンジに沈没.やはりまめまめしくSHIP.
ブルンブルンと頑張る小型機で成田到着.2-2の13列にぎゅうぎゅうと詰め合わされたのだが,隣の列に「ミヤネ屋」のキャスターがいた.テレビで見るよりずっとガタイが大きくてびっくり.隣のお嬢さんとの関係を気にする関西人な私であった.
すぐに出国してラウンジに没入.お食事もいっぱい,お酒もいっぱい.ただし後者は縁がない.明るい雰囲気でちょっとアメリカ風なラウンジである.ビジネスコーナーで小一時間頑張ってSHIP原稿へのコメントつけも終わらせて,軽くお食事をしつつ搭乗に備える貧乏性な私であった.
少なくともJALの場合(Unitedはさにあらず),
F:宿泊設備
C:座席
Y:貨物室
というクラス分けのようだ.なぜならFに乗るとまずはリラクシングウェアへの「着替え」だし,夕食が終わると毛布のかわりに布団が配られるからである.実際,Cのシェルフラットよりも現時点で一番古い型のFシートの方が遙かに寝やすかった.
到着が遅れたせいで乗り継ぎが危険な状態にあったため,飛行機を降りた途端にグランドスタッフが待ち構えていて,乗り継ぎのためのデルタ航空のカウンターまで付き添いの全力疾走となった.イミグレもUS Citizensのところを通過させてくれるという特例措置だ.これまでは親指指紋+眼球撮影だけでよかったのに,今回は10本指全部になっていた.こりゃ時間がかかるぞ.さらにそれを抜けてもこれがまた国内線のカウンターが遠い遠い.途中のターンテーブルで荷物を回収し,ごろごろ転がしてまた預けて,さらに必死で走ってデルタのカウンターにたどり着いたら,ソルトレークシティ行きの便も遅れていたw 意味ねーじゃん!と思わなくもなかったが,イミグレで行列するのはいつもとてもだるいので,それを回避できただけでもよかったとしよう.
サンフランシスコは気温17度だそうだ.相対温度は比率尺度ではないから正しくない表現だが,日本の半分だ.
飛行機を降りていきなり全力疾走して疲れたので,デルタのラウンジでちょっぴり休憩して,コーヒーを飲んでからソルトレークシティへの乗り継ぎフライトのために改めてチェックイン.サンフランシスコ便の到着遅れに合わせるかのように45分ディレイしてくれたから,荷物はついてきてくれるだろう.搭乗ゲート前での10分ほどの待ち時間の間に日本に朝がやってきたので,起床直後の札幌M君と連絡がつき,SHIPについてわずかでも打ち合わせができたのは収穫だった.このフライトもまたもやボンバルディア(CRJ900)であった.ボンバルディア機はトラブルが多いことで(日本では)つとに有名だが,離陸の際はびっくりするくらい全力疾走をする,なかなかかわいいやつである.
まさに塩の湖のそばにある街ソルトレークシティに到着したのは,予約していたジャクソンホール行きのフライトの15分前.いっちょ前に大きなソルトレークシティ空港の中をまた走ってゲートへ.到着したのはフライト時刻の5分ほど前.ゲートのおじさんはめちゃくちゃ迷惑そうな顔をしたが,
「もう,とりあえず乗った乗った!」
という感じで誘導してくれた.当然我々の予約席はリリースされていたので,最後部の席におさまった.そしてまたもやここでもボンバル(CRJ700).今日は3連発であった.
ジャクソンホールに近づくと入道雲がかなり発達していて稲光も見えるし飛行機もがたがた揺れた.着陸間際はかなりスリリングだったので,久しぶりに着陸成功の大拍手をすることになった.人間は走っても荷物は走ってくれまい,とあきらめていたのにちゃんとスーツケースも一緒に乗ってきてくれていて,一安心.
早速ハーツでチェロキーを借りて一路本日の宿泊地へ.素晴らしい山々をいただくグランドテイトン国立公園に入ると,ところどころ道端にバイソンがいたりしていい感じ.小一時間でロッジに到着.山々を真正面に見られるよい部屋を割り当ててもらえていた.とりあえず一泊.
グランドテイトン国立公園といってもなじみはないと思うが,一番わかりやすい事例を挙げると,
シェーン,カムバーック
のところです.というのを現地に到着して初めてまともに開いたガイドブックで知りました.このところ我々の旅行はこんなのばっか.
宿泊先は400近くの部屋がある大規模なロッジだが,そのうち9割はコテージである.しかし私は残り1割のホテル棟の部屋に泊まっている.ちょうどグランドテイトン山脈が真正面に見える絶好のポジションだ.日暮れまではたくさんの人たちが眼下にいてわぁわぁ言っていたが,夜になった途端に静寂が訪れた.ここは部屋にテレビはない(でも無線LANはつながる).簡単だが流しもついているので自炊には便利(夕食はカレー).そしてロビーフロアには北京五輪観戦のための特別室が設けられていた.
日本時間で書いた.以下はアメリカ山部時間.
例によって到着直後は「存分に寝たぞ〜」と思ってもちっとも時間が経過せず,23時に寝て起きたら3時.一生懸命4時まで寝たけどそれが限界だった.5時過ぎにロッジを出て空港方面に南下し,Schwabacher Road(ダート)でSnake Riverの河岸に出てみた.水面にGrand Tetonがくっきりと映し出されて美しい.残念ながらやや雲が厚く朝焼けは見られなかったが,静かでよかった.その後いくつかのビューポイントを巡りつつ(大体同じ人に同じタイミングで会うのが面白い)あれこれと撮影.子鹿・ペリカン・ビーバーなどを目撃した.ロッジに戻って朝食.
いったんホテルをチェックアウトしてYellowstone方面に向けて出発.しかしまずはすぐそばのColter BayでJackson Lakeでの水遊びを楽しむ.私はそもそも湖や川となると船に乗りたくなる人なのだが,ここ最近は遊覧船に乗るのももちろんだが,自分で漕ぐ船も好きだ.というわけで2人乗りのカヤックをレンタルして湖に漕ぎ出し,1時間半ほどわっせわっせと漕いだりぷかぷかと浮いたりを楽しむ.途中でGrand Teton山脈が一望できるところで小休止して,お弁当のおにぎりを頬張る.船で出てこないと見られない風景の中で食べるおにぎりは素敵に美味し.
たかだか30マイルも離れていないところなのに,風景がまったく違う.そして暑い.日焼けしまくり.
まずはとっかかりのWest Thumbというところで間欠泉(もどき)を見学.海中にも穴があったがどうも「死泉」っぽい雰囲気だった.とはいえ熱気は噴き出しているので暑い上に熱い.そろそろ腕や首筋がひりひりしてくる.
さらに車を走らせて宿泊場所のOld Faithful Innへ.とてもクラシックな山小屋風の建物.観光客用のホテル館内ツアーもあるような有名どころなので,ロビーフロアは人がわさわさ.しかし宿泊棟の方はさすがに静かだった.こちらの部屋はJackson Lake Lodgeに比べると眺望はきかないが,そこそこの広さ.同じようにテレビはない.そしてネット環境なし.世間から隔絶されている.多分そういう「気分」を味わえというのがアメリカ人的ご都合主義エコロジー思想なのだと思う.
まずはホテルエリアのすぐそばにあるOld Faithful Geyserの見学.これは比較的等間隔に噴出する間欠泉だそうで,しかもその間隔が1時間程度で規則正しい,ということで見学者が多い.30分ほどの待ち時間はカフェテリアで買ったアイスを食べながら過ごす.びっしり並んだギャラリーの前でちゃんと予告通りの時間に噴出はあった.しかし遠巻きにしか見られないし,規模的にもアイスランドのものよりは随分かわいらしい規模だった.アイスランドの間欠泉は,すぐそばまで近寄れて,数分おきに「もかもかっ」として大噴出するのでめちゃめちゃ面白いのだ.
ホテルまで戻る途中に明日会う予定の従姉Mayuちゃんのご夫君Steveの仕事の話をしていたら,前を歩いていた日本人女性たちが異常反応を示した.彼はとある大学の研修旅行のアテンドをしていたのだが,どうやら偶然にもアテンドされているその大学の学生がすぐ前にいたらしい.しばらく彼女らに露骨に誰何されながらホテルの前まで来ると,確かに従姉のご夫君が学生たちの点呼をしていた.しかし,お仕事中だったので声はかけず.彼がやっているツアー会社はYellowsone Glacier Adventures, Inc. なので関心のある方はよろしく.
19:15に夕食の予約を入れていたのでダイニングルームへ.こちらも混雑していた.予約がないと原則的には入れないというくらい人気があるらしい.といっても要はレストランの体をなした店が国立公園内には大してないということなのだろう.安直にディナーバフェをいただく.まあ,アメリカにしては許せる味ではなかったか(と思ったなら翌日もそうしておけばよかったのだ.嗚呼).
本日最後のレクは,腹ごなしも兼ねてすっかり冷え切った空気の中をCastle Geyserまで散歩.これの次回噴出予想時間は「明日午前3時半から5時半の間」…って待てるかい!(笑
部屋に帰ってシャワーを浴び,なんとか寝ないよう努力しようとしたが,22時前にはダウン.
起きたら5時半.時差ぼけはやや解消されつつあるらしい.今日も「日の出の頃に活動が活発になる」という動物たちを見たいので,バイソンやエルクが多いというヘイデンバレーへ.これが遠い.100キロ弱あったろうか.ちょうど中間地点あたりで遠くの山の向こうから太陽が顔を出し,目的地に到着する頃にはイエローストーンリバーに朝靄が立ちこめていた.残念ながらエルクは発見できなかったが,向こう岸から泳いできて道路を渡るバイソン,泳ぐムース(推定),集団で道路をふさいでGメン75拡大版のごとくのっしのっしと歩いてくるバイソンの群れなどを目撃.群れは無事我々の車を無視してすれ違っていってくれた.
8時過ぎにホテルに戻り,さっさと朝食を食べて改めて観光に出発したのが9時.今日は北へ向かい,ぐるっとメインロードを一周する予定だ.途中にあるのは基本的にGeyser.どうやらそれがイエローストーンの売りの1つらしい.非常に濃度の高い泥状のものMud PotはArtists's Paint Potとの名の通り絵の具がぐつぐつ煮えているようで面白かったが,あとはまあ,Geyserである.
公園のほぼ北端にあたるMannmoth Springs Hotelでの従姉のMayuちゃん+息子のKei君と待ち合わせの時間が11時だったのだが,結局数分すぎたところで現地到着.息せき切ってホテルのロビーに駆けつけると,ほどなく2人がやってきた.本来はこのホテルでランチしてから軽く周辺をお散歩する予定だったのだが,しかし不運なことにKei君が昨夜から発熱したということで,ランチをご一緒するのは中止にしてお茶だけにした.アメリカンサイズのシングルアイスを食べながらしばしおしゃべりし,おすすめスポットをいくつか教えてもらう.彼女の話によれば,今の時期は観光客は多い割にほとんど花は終わりかけなのであまりイエローストーンの良さを享受することができないとのこと.とはいえ他に時間の取りようもないのだから致し方あるまい.彼らにしてみればもっとも良い姿を体験してほしいということなのだろうが,世の中とは得てしてそういうものである.
彼女の話で面白かったことが1つ.彼女は結婚して「米国で観戦するオリンピック」というのを今回初めて体験しているのだが,
「何を見ても金メダルか勝つか」
なのだそうだ.なるほど.アメリカ人のメンタリティが常に「上から目線」なのも仕方がないようだ.
Kei君を病院に連れて行くというMayuちゃんと別れて,火山からの噴出物がテラス状に堆積しているUpper Terraceへ調子よくご夫君の運転で車を走らせていたら,その直後から「Police」が背後にぴったりとくっついてきた.あれえ,なんでだろ?制限速度は守ってるよなあ,と思っていたら,いきなりパトライトを点滅させ始めた!(笑 慌てて停止したら,なんとスピード違反をしていたらしい.出てきた警官は「時速25マイルのところを30マイル以上出してただろ」とおっしゃる.確かにその速度は出していたが,制限速度が35だと思っていたのである.国際免許証を出すと「パスポートは?」とおっしゃる.ここ10年というもの旅行中にパスポートを「持ち歩く」などということはまったくない.素直に「持ってない」と告げると,ぶつぶつ言いながら免許証を持ってパトカーに引き返し,しばらくしたら戻ってきて,
ほんとなら95ドルの罰金だからな!ちゃんと速度表示を見て走れ!
と免許証を返してくれ,違反の方は放免してくれた.よかったよかった(笑
Upper Terraceをぐるっと見学した後は一路東へ走り,Tower Fallを見学したり,ハクトウワシが舞っているのを写真に納めたり,ホットドッグを食べたらおまけにLay'sのチップス(アメリカのポテチなんざきっとまずいに決まっていると思ったらこれのClassicは素敵においしかった)が付いてきて喜んだり,ちょっとだけ道をそれて3000メートル級の山の頂上の手前までハイキングして遠目にグランドテイトンも見えるくらいのほぼ360度のクリアなイエローストーンの眺望を楽しんだり,エルクをようやく初めて目撃したりとドライブを楽しむ.どこもかしこも「ほんの数週間前まで高山植物が咲き乱れてました!」という雰囲気満点(笑 そしてようやく「黄色い岩」な大峡谷へとたどり着いた.確かにここはイエローストーンだな,という感想.滝もきれいだったが,やはりアイスランドのそれと比べると迫力的には「普通」だ.その後は途中さらにGeyser群を見学しつつ40マイルほど走って宿に帰着したが,眠くて眠くて運転が大変だった(笑
宿に戻ったのが18時頃.すぐに夕食.昨日と同じバフェじゃつまらないと思ってスペシャリテを頼んだ.二人とも大しておなかがすいていないのでパスタにしたのだが,気絶するほどの量のそれが運ばれてきて驚愕.ああ,やはりここはアメリカだった.私が頼んだPasta Primaveraは,何が入っているのかと聞くと「野菜だ」といわれたのだが,確かに野菜(緑と赤のピーマン)がごってり入っていたがソースが辛いのなんの.量がどうこういう以前に,こんなくどい味のものを継続して食えるかアメリカ人は.ご夫君は「国立公園内とは言えそれなりのホテルに泊まってもやっぱりアメリカはアメリカか…」と以前の出張滞在のことを思い出して絶望的な顔をしていた.それでも「これは野菜.栄養分」と唱えながら半分強は食べて投了.ご夫君はサーモンのパスタを3/4くらい.やっぱり日本が戦争に負けたのは仕方がない.部屋に帰ってキャベジン飲んで,すぐ寝た.ぐぅ.
昨日ぐぅと寝てしまったまま,目が覚めたら6時を過ぎていた.大体旅行半ばでこういう「寝だめ」する時期があって時差ぼけが解消,というのがパタンらしい.キャベジンの効果か,幸いにも胃もたれもせず下痢もせず,気持ちよい目覚めであった.
朝食をとり,シャワーを浴び,ゆっくりと荷物の片付け等々をしてから10時過ぎにチェックアウト.昨日Mayuちゃんからここのホテルその他グループ会社の店で使えるクーポン券を50ドル分もいただいたので,ありがたくおみやげ用に使わせていただいた.
今日はGrand Tetonに戻る日なので,宿泊したホテル周辺の小さなドライブロードをいくつか巡りながら基本的には南下.今日も昨日に引き続いてあきれるほどの晴天だ.2つの国立公園を行き来する観光客は我々ならずとも多いので,交通量は多めだ.しかも道路工事も行われていたのでやや渋滞気味だった.しかしまあ別に先を急ぐ必要があるわけでもない.
Grand Tetonに戻ってからは,山脈を美しく眺めることのできるドライブロードを登ったり,ちょっと調子に乗ってオフロードの道につっこんでみたり.ドライブロードから眺める山脈と湖は,確かに美しかったが,雲一つなさすぎてかえって面白くないくらい.オフロードは多少がたがたでこぼこどっすんどっすんと車は揺れたが,これもまたラナイ島で体験した強烈なものに比べたらまだまだ大したことはない.終着点はスネイクリバーの河畔だったが,ちょうどラフティングのボートも下ってきたりして,山脈をバックになかなかよい写真が撮れた.帰りにカメラのレンズを換えようと一瞬車のドアを開け放ったら一気に10匹ほども蚊が入り込んできて刺されまくったのには参ったが.
そして16時過ぎに再びJackson Lake Lodgeにチェックイン.3日前とほぼ同じ眺め,そして若干無線LANの電波受信状況の良い部屋に割り当ててもらえて(笑 満足,満足.
夕刻(といっても日没は午後8時過ぎ)はOxbow Bendに出かけてみるも,多少カワウソやビーバーがいたりしただけで大物は観察できず.とはいえ,夕暮れ時の山はまたそれなりの美しさがあった.
今日は朝方天気が良く,その後雲が出るとの予報なので,3日前にも出かけたが曇りがちだったSchewabacher Roadに再度挑戦.前回は曇っていたのでそれほど寒くなかったのだが,今朝は放射冷却で寒い寒い.気温は32Fだからほぼ0℃だ.フリースは着込んだが中はTシャツ1枚.というわけで寒さにかじかみつつ自分なりのベストポジションから刻々変わる山の風景を定点観測した.1分ちょっとに1回ずつシャッターを切って1時間弱頑張ったので,それなりの「ぱらぱらアニメーション」はできるだろう.その後またあきらめきれずにOxbow Bendおよびその奥のオフロードを抜けたところに行ってみたが,やはりペリカンしかおらず.
ホテルに戻って朝食等々後,10時過ぎに再度出発して今度はJenny Lake方面へ.湖沿いのドライブロードをたどった後,シャトルボートに乗って対岸へ渡った.つまり今まで眺めていた山脈側に取り付いたことになる.半マイルほど登ってHidden Fallを見学していたら,遙か上の方の岩肌に数名のロッククライマーが張り付いていた.彼らは今日一日のうちに登って降りてとできるんだろうか.すごすぎる.その後,帰りはシャトルボートを利用せずに(決して2人で5ドルをけちったわけではない)湖畔のトレイルを2.5マイルほど歩いて戻った.道々はリスが顔を出したり,湖をのんびりと行き来するボートやカヤックがいたり,圧倒的なグランドテイトンの山頂が眼前に迫ったりと,変化に富んだ風景を楽しむことができた.
近くのピクニックエリアでいつものおにぎりランチの後,Chapel of Transfigurationという観光スポットへ.途中の平原ではプロングホーン(かわいい鹿)を初目撃.チャペルは丸太作りのこぢんまりしたもので,多分モルモン教のものと思われる.周辺にはモルモン教の入植者の夢の跡らしき小屋が点在していた.
15時過ぎにホテルに帰還.少し天気も悪くなってきたので,部屋の窓からのんびり山々を鑑賞しながら,ゆっくりと過ごすとしよう.
ビデオカメラを持っている人は既に絶滅状態に近い.デジカメ,しかも一眼レフ率がとても高い.中には「バズーカ」を抱えたマニアックな人もちらほら.
中国人が多い.日本人も今週に入って増えた.欧州系のどこか分からない言語を話す人も比較的多い.
そういえばMauiでもさんざクジラを探しに行って結局一番いい跳びを見たのはホテルの部屋からだったが,今日もそんな感じ.ホテルの前の散策路でムースを,ホテルの部屋の窓から鹿を発見.わざわざ出かける手間はいらなかったようだw
6時過ぎ起床.晴れ.ただし今日は移動せず,ホテル前で動物観察に徹する.エルク(ただし角なし)が群棲しているようで,一頭だけだがムース(角なし)もいた.いずれも角ありがいないのは惜しかったが,たくさんうろうろしているのを見るだけでも楽しい.
9時過ぎにホテルをチェックアウトして,ドライブの最後の締めくくりは一昨日一部だけを走ったRiver Roadというオフロードをフルに爆走.アップダウンはそれほどないコースだったが,石がごろごろしてるし,ところどころ岸壁みたいになっているところを走るので,転げ落ちたらどうしよう,と結構恐怖感はあった.距離も20マイルほどあったので走破に1時間強を要した.とはいえ常に雄大なグランドテイトンの山脈を,対向車も後続車もいない状況で「二人占め」できたのはよかった.
12時過ぎのフライトでSLCへ.今回はボーイング757と大きな機材だった.
SLCからSFO(これは行き同様ボンバル)の乗り継ぎもスムーズに行き,また車を借りて一路Carmelへ200キロ強を一気に南下した.宿泊はCarmal HighlandにあるHyattだ.しかし,あまりにも寒い.3000メートル級の国立公園に寒い.そしてあまりに寒いために海霧が大量発生しており,海はおろかその辺も見えない.アメリカ西海岸だというのにまるで日本海を見るようですが,何か.誰か!ベランダに露天風呂を!
ここしばらくテレビのない生活を送っていたので,今初めて北京五輪を見ています.多分この国と中国ばかりが勝つものと思われます.
8/15の夜が明けた.Yellowstoneが「氷点下近くになる」と聞いて念のため持ってきた冬用パジャマ(ただし現地では着ず)を着て寝ても寒かった.暖房を入れた.この部屋,暖炉があって薪と火種の新聞紙とマッチが置いてあり,使った形跡もある.西海岸って本当は寒い地域だったんだ.
500キロくらい基本的に西海岸沿いをドライブしてLA到着.Santa Barbaraくらいまではずっと海霧状態だったが,LAはからっと晴れています.さすが,なのか.MalibuとかSanta Monicaとか,思わず懐かしの70年代アイドル歌謡が口をついて出てしまうかも.
今日は現地在住の大学時代の友人とディナー.19時にホテルロビーで待ち合わせ,彼女の車で郊外のPasadenaにあるShiroという日本人シェフのフレンチへ.沖縄出身,当地で20年以上レストランをやっている,地元に根付いた人気店のようだが,さすがに日本人の作るものだけあって味付けも繊細,ポーションも破壊的ではなくすんなり胃に収められるサイズで大変よかった.友人とそのご夫君(これもhusの先輩)とも「銀行員のお仕事って何(ご夫君は某都市銀行の現地駐在員)」などの話題で盛り上がり,とても楽しいひとときだった.帰りはHollywoodやRodeo Driveなどの繁華街(金曜夜ということもあってか人も車もとても多かった)を案内してもらい,車窓観光を楽しんで日付が変わる頃にホテルに帰着.お世話になりました.ありがとうございました.
西海岸に出てきてからホテルの部屋にテレビが復活したので,ここ2日はごくわずかだがオリンピックを見ている.気になるのは,既にアサヒコム等で数時間前から結果の出ている種目を「Live」と冠して放送していること.明らかに「嘘」なのに,実際の(アメリカにおいて視聴に適切ではない)時間帯に本当のLive放送をするわけでもなく,遅れて(アメリカにおいて視聴に適切な)時間帯に「録画」として放送するわけでもないところが,アメリカのアメリカたるゆえんだなあ,と思った.
朝はビバリーヒルズの高級住宅街をぐるっと流す.そこここでStar Mapという「ここがセレブの豪邸だよ」案内図を売っているのだが,セレブ度が高い人の家ほど当然要塞のように中が伺えないようになっているからあまり意味はないかもしれない.私たちはそれぞれ好みの有名人の住所をあらかじめネットで調べておいてそれだけチェック.ご夫君はジュリア・ロバーツで,私はスティーブ・マーティンである.後は「ふーん,確かに豪邸ばかりだ」という雰囲気を楽しんだ.それぞれ思い思いの「かけられるだけの金をかけた私にとってのゆめのおうち」を建てているので当然統一感などまったくないのだが,緑が濃く,またそれぞれの区画が広いので,日本の新興住宅地と違ってあまり気にならない.その後UCLAキャンパス内をぐるっと回ってからLAXへ.
LAX−NRTは特にどうということもなく無事帰国.帰りは行きより1つ新しいシートだったのだが,あまり使い勝手はよくなく,またシートは微妙にフラットにならないCと同等のものだったので,また寝ながらずり落ちてしまった.見た目はきれいなんだけどねえ.しかし機内で炊き立てのこしひかりのご飯はうまいよ.サービスも案外ねっとりしてなくてよかった.
帰りも羽田−神戸便しか予約できていなかったのだが,無事成田−伊丹に変更できた.普通席しか空いていなかったが,プレミアムエコノミーのシートに座れるらしい.今まで座ったことのないカテゴリーなのでちょっとだけ楽しみ.
プレミアムエコノミーのシートは,足置きがだいぶ上げられるので楽と言えば楽かもしれない,くらいのものだった.まあエコノミーだし仕方がない.
自宅には21時過ぎ着.幸い涼しい夜であった.
昨日は自宅在勤とはいえ結局一日あれこれ気を遣う作業をしていたので,今日はダウン気味.大学が今日まで事務閉鎖であることも手伝い,今日も自宅で,今度はひたすら寝る.
旅行中,ななななんと1勝しかしなかった阪神.恐るべき不調なのにもかかわらず,大してドラ虚との差は縮まっていない.おつきあいがよい方々だ.オリンピックもあり,あまりメディアの報道資源が割かれていないのも精神衛生的には悪くない.しかし中国で戦っている新井や藤川や矢野を見ていると「もういいから早く元気で帰ってこい」と言いたくなるあるよ.
所用のため梅田へ.今のところ万事うまくいっている.
実は昨日まで一歩も自宅玄関から外に出ていなかった私である.さすがに暑さは旅行前のような激しさはなくなっているが,何がつらいかといって「湿度の高さ」に再順応することのようだ.乾燥している土地に行ったら行ったであちこちかゆくなったり唇がかさかさになったりするのだが,湿気て暑い土地に久しぶりに戻ってくると,ホメオスタシスがおかしくなるらしく,体温が変に高いままになってしまうのである.
帰宅時に買い物をして,空っぽに近かった冷蔵庫にようやく食料が充填された.
これを時差ボケというのかどうか分からないが,まだ夜は細切れにしか寝られない.寝られないといっても睡眠時間が少なくて苦しいわけではなく「ああ,よく寝た」と思って目が覚めてもまだ数時間とか数十分しか経過していなくて,「ああ,よく寝た」を一晩のうちに10回くらい繰り返したということだ.だからやたらと満足感は高いのである.
というわけでようやく出勤.
昨日も阪神vs広島と日本vsオーストラリアをチャンネル切り替えつつ見ていてどちらも勝ったので,今日も阪神vs広島と日本vs米国を代わる代わる見た.勝てるかどうか不安な試合では常に
私が見ていると負ける
法則が発動しそうな気がするので,連日ハラハラ.じゃあひと思いにテレビ消せよという気もするが,そうもいかないのが人のこころの微妙なところ.今日はほぼ同時に9回裏/7回裏に突入したので「と,とりあえず阪神が勝つの確認してからソフトでええやろ…」と思ってサンテレビを優先させたら,またもやジェフが炎上しかかり,結局ソフトの方が先に試合が終わっていて,金メダルの瞬間を見損ねた.
でも,
私が見ていなかったから負けなかった
のだ.多分.
岩瀬を出したらあかんやろ,と.しかし,星野らしいといえばあきれるほどそうだ.
しかもよりによってあのバ(以下差し障りがあるため略).
研究室で椅子やダンボールを蹴飛ばしまくる私であった.
しかし考えてみれば,私の物理的な意味での攻撃行動や破壊行動はほぼ野球観戦において発生しそして収束するので,人様にあまりご迷惑をかけずに済んでいるともいえよう.
午前中はhus非常勤のレポート採点.一応コメントを書いてフィードバックすることになっているのでまめまめしく作業.来年度も担当することが内定しているのだが,今年と同じやり方ではまずそうだ.もとより無理のあるプログラムではあるものの,もう少し配慮の余地は検討すべきだろう.
午後はDENSOでの心理統計セミナーの資料作成.一日でも早く終わらせてしまいたいのだが,まだ少なくとも3労働日くらいはかかりそうな悪寒.
しかし夜の予定がキャンセルになったのでかなり頑張って作業.野球が負けてくさくさしているのでこんな時は仕事をするに限るのである.多分あと丸1日あったらいけそう,かな.
野球が負けてくさくさしていて,どのくらいくさくさしていたかというと夕食を食べていたうどん屋でご夫君の食べ残しの丼にお茶を投入するくらいだったのだが,なんとかそれを癒やしてくれまいかと期待して,眠くて眠くて仕方がないのをシャワーを浴びたりなんだり必死で頑張って陸上男子4×100リレーを観戦した.結果は期待通りの銅メダル.やるべきことをやり尽くして結果を得た人たちだけが得られるものであろう,素晴らしく清々しい充実感を画面を通じて知ることができて,とても喜ばしかった.
表彰式がしばらくしたらあるかもしれないと思って日付が変わるまで頑張って起きていたが,翌日になることをJOCのサイトで知り,ようやく就寝.
DENSOセミナー資料作成の続き.現在の進捗状況は下記.このセミナーの会場は大府市である.赤星は大府高校出身だ.素晴らしい.私にとって2004年シーズンの赤星★くらい外れ値の例として美しい要素を備えているケースはないのである.
済0. 心理学とデータ解析
1. 記述統計 済a. 1つの変数の特徴を記述する 済b. 2つの変数の関係を記述する
2. 推測統計 途a. 基本的アイディア 未b. 相関係数の検定 未c. カイ自乗検定 未d. 2つの平均値の差の検定 未e. 3つ以上の平均値の差の検定(分散分析)
3. 多変量解析 途a. 回帰分析 済b. 因子分析 済c. 共分散構造分析
まあ予定調和といえばそうなんだが.
実家で見ていたのだが,両親と盛り上がったのは「こいつらはどうやって帰国させようか」ということであった.飛行機なんかありえん.遣唐使並みに手こぎボートで帰ってこれたら帰ってこいや!みたいな.もう一つ印象的だったのは9回表に凡退した阿部慎之助を見たご母君が
「ああ,この試合で良かったのは阿部が打たなかったことだけ!」
と吐き捨てたことであった.この人,多分私より筋金入りの虚嫌いである.
帰国後1週間経過して,少なくとも一時的には暑さも随分落ち着いた.
今朝はゆっくりめの9時過ぎ自宅スタートで関学までのウォーキング.キャンパスの周囲をぐるっと巡ってから,仁川の方に降りる帰路を辿った.11時過ぎに門戸厄神駅まで戻れたので,夢打庵で鴨ざるとおにぎりを食べて,さらに腹ごなしに一駅歩いて帰宅.ようは開店時間にうまく合わせるように出かける時間を調整したというわけだ.相変わらずうまかった.
そして午後はこれまた休日ウォーキング後恒例のお昼寝.ぐぅすか.
DENSOセミナー資料作成をしていたら,高大連携の資料が投げられてきたので,10時にやってきたTA君と共に印刷・製本・発送作業.印刷機の調子が悪くてあれこれやっているうちに手がインクで真っ黒になった以外はほぼ順調に1.5hrsで作業完了.私にしたら着ているものを汚さなかっただけマシだと言えよう.
一息ついてから,DENSOセミナー資料作成の続き.現在の進捗状況は下記.今日のうちに終わらせたかったが力尽きた.今のところスライドは151枚.多分200枚くらいにおさまるだろう.大して手のかからないところを残したので,明日自宅に籠もって作業すれば仕上がるはずだ.
済0. 心理学とデータ解析
1. 記述統計 済a. 1つの変数の特徴を記述する 済b. 2つの変数の関係を記述する
2. 推測統計 済a. 基本的アイディア 済b. 相関係数の検定 済c. カイ自乗検定 未d. 2つの平均値の差の検定 未e. 3つ以上の平均値の差の検定(分散分析)
3. 多変量解析 済a. 回帰分析 済b. 因子分析 済c. 共分散構造分析
帰宅したら庭や駐車スペースの雑草が一掃されて,木々がさっぱりとカットされていた.また留守中に家主差し回しの庭師が来襲したらしい.来襲はありがたいのだが,せめて予告してくれればもうちょっと自浄努力をしてからお迎えいたしますのに.
ひたすらDENSOセミナー資料の作成.途中であれこれ思いついて完成部分にスライドを追加していたら,予定外に時間がかかってしまった.一応18:30にフィニッシュ.
明日からTTMやりまっせ.
今日も一日自宅.
気温が下がったのはよいのだが,雨がじとじと降るので湿度は下がらない.なかなかさわやかな秋とはいかないものである.というか,また暑さが(盛りの頃ほどではないだろうが)ぶり返すに違いないのだが.
夜ソニ生氏来訪.着々と資金計画が進行中である.某口座は一時的に残高がかつてないほど膨れあがっているが,すべて年内に吐き出さなければならない.これぞまさにバブル.
ソニ生氏とパナホ君は,見た目というか雰囲気はあまり似ていないが,多分「営業」というのを職業とする人間としては共通する部分があると思われる.それは,二人とも「無駄口を叩かない」ことだ.
今日は林さんのゲッツーで終わりました.試合前から「まあ今日はいいか〜」と思っていたのだが,虚が勝ったのは余計すぎる.
TTM本の執筆をようやく開始.第1稿〆切まで1ヶ月ちょっと.マジかお前.
開始といっても,TeXのソースファイルを準備したり,章立てをゆるゆる考えてみたり,オープンソースとは何かについてやたらと書き綴ってみたり,そんんなマージナルなことしかしていないのであるが.
まあ,がんばろ.
18時.研究室のテレビのチャネルを3=サンテレビに切り替える.マウンドに立つ投手は誰だ?
あぁぁ,すぎやまぁぁぁぁ
「がっかり」声の典型例として録音しておくといいかもと思うような声が出ちゃいました.
彼自身のやられっぷりは予想通りでしたが,あの巧妙に戦闘意欲を削ぐピッチング(味方が点を入れるときっちりやられ返す)にみな慣れっこなのか,結果としては,林さんが今日はチャンスに打ってくれて,なんだか勝ってしまいました.
今日はいわゆる「高大連携」のお仕事でお出かけ.こんなものがあるそうですが,鳥取県ではありません.
途中に新幹線による移動を挟むで,大雨の情報にやきもき.
結局新幹線は定刻運行してくれたのだが,岡山の手前でかなり凶悪な雰囲気の雲行きに.瀬戸大橋を渡るために乗り換えた特急車内では,ちょうど橋を通過するあたりで恐ろしい黒雲+猛烈な雷雨に遭った.自分の視線より下(すなわち海面)に落雷していたのでびっくりした.
しかし目的地=観音寺に到着すると,そこはどんより曇ってはいるものの雨はなし.ここは香川県だが愛媛県の県境付近(特急の次の駅は川之江)で,ほとんどこの夏雨が降っていないそうだ.早明浦ダムの貯水率がひどいことになっているのも納得だった.
こんなゲリラ豪雨の中の出張に傘を忘れていくという失策を犯した私だが,結局出張先の皆様のお送りお出迎えのご配慮のおかげもあり,まったくそれによる不利益を被らずにすんだ.よかよか.
昨日と今日の昼食は地元のうどん屋にご案内いただいた.すっかり,うどん腹.しかしざるうどん一玉(薬味のうずら卵は入れ放題)で300円はファストフードとして実に優秀ですな.
寛永通宝
観音寺名物といえばこれ,らしい.小高い丘の上から眺めるときれいに貨幣に見えるように作ってある(つまり実際はやや歪んでいる)のだそうだ.由緒に曰く「将軍家光の使者が下向するという知らせを聞いた村人が忠義の意を示さんがために一夜にして作り上げた」ものなのだそうだ.作り上げた年代は寛永10年.なるほど,だから寛永通宝か,と思うところだが,寛永通宝が正式に全国の通貨として鋳造され始めたのは寛永13年だそうなので,やや(控えめな表現)矛盾を感じるところである.ただ,正式ではない寛永通宝は寛永初年から水戸藩で作られ始めており,隣の高松藩は水戸とつながりが深いので,何か関連があるという可能性は否定できない,かもしれない.…と思ったが,水戸から松平が高松に入封してきたのは寛永13年よりさらに後だった.
今でもこの美しさを保つために年に2回は地元中学生を中心としたボランティアが整備をしているのだそうだ.
昨日の出張疲れがどっと出て,今日はまたインドネシアに出かけるご夫君を送り出して,買い物を済ませた後は,一日寝ていた.眠っていたというより微妙に苦悶しながら横たわっていた,という感じか.しかしまあ,なんとか夕方には復活.
来月から新居を建てるための作業が本格的に始まる.まずは旧宅の解体からだ.昨日は夜にパナホに行って解体契約書にサインしたのだが,解体そのものの契約は,解体される家の主とは無関係に行われるものだというのは,なんとも奇妙な感じである.
設計図の詰めも非常に細かいところまで来た.しかし話に聞いていたほど面倒ということはない.確かに細かいことまで決めなければならないのは事実だが,私の意思決定はほぼ「こうしたい」か「どうでもいい」の二肢選択なので,あまり時間はかからなかった.予算の許す限り自分たちの入れたい設備を入れていったら,ブレーカーが24個では足らないような,えれきてるバリバリの家になってしまったようだ.営業氏も「こんなに床暖房を入れてくださる家はあまりなくて…(といってもダイニングとリビングと書斎だけだ)」「ディスポーザーを入れる家を担当するのは初めてで…」などとおっしゃる.そういうもんだったのか.じゃあこの際つり下げ型の電子レンジも入れればよかった.残念.
Before...
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